35.曇天の邂逅
昼食を終えた三人は一旦解散し、各々で自由に散策することとなった。
「……んじゃ、検問の前で二時間後に集合だ。ギノバス行きの客車、意外と本数少ねーから遅れんなよ」
クアナとエンティスは躊躇いなく言い放った。
「そんなこと言っといて、どうせまたフェイバルが遅れてくるんだから」
「ああ。違いねぇ」
フェイバルは言い返さない。いや、言い返せない。前科持ちに言い訳する権利など無いのである。
クアナは薬指を胸の前に掲げてフェイバルへ語り掛ける。
「まーフェイバルは大丈夫だよ。またベンチで寝て集合に遅れたりでもしたら、コレで連絡したげるし」
それは三人がお揃いで装着する、指輪型の通信魔法具。緻密に連絡を取る為、駆け出しの頃に無理をして購入した代物だった。
「そーかよ。余計なお世話だ」
そうして三人は、初訪問の地であるグリモンにて、思い思いの時を過ごすのだった。
エンティスがまず真っ先に向かったのは、またも大衆食堂だった。先程昼食を摂ったばかりにも関わらず、彼はまたとてつもない量の料理を注文する。というもの品書きを流し見たエンティスは、ある謳い文句へ釘付けにされてしまったから。
「ミヤビ風……? ミヤビって、あの大陸の最果てにある自治区の料理か。いいじゃん。このミヤビ風って付いてる料理を一皿ずつ全部くれ!」
「――は? は、はいよ!」
威勢の良い料理人の声が飛ぶ。料理人の男は、その凄まじい量の注文を快く受け入れた。
「……ミヤビの料理は海から離れてるギノバスじゃ高くて、なかなか食えないんだよなぁ。今のうち食っとかねえと!」
生憎フェイバルには、特にこれといった目的が無い。その場で突っ立っているわけにもいかないので、とりあえずは街中をぶらぶらと歩き回ることにした。それでも彼は国選魔道師の身。どの土地に行こうとも、それなりに注目を浴びてしまう。
「――ねえ、あれって国選魔道師の」
「――あれ恒帝じゃん、すっげー」
繁華街の雰囲気は、ギノバスとよく似ていた。人の数もそれなりに多く、中央に設けられた車道には相当の数の車が往来している。違う点を挙げるならば、やはり書籍を扱う店が多いことくらいだろうか。
落ち着かない雰囲気の中で暫く歩き続けると、彼はようやく噴水のある閑静な広場へと辿り着いた。ベンチを見つけると、そこで横になるのが彼の性。まだぽつぽつ降り続ける雨など気にも留めず、仰向けになりながら足を組んだ。
フェイバルの視線は、必然と薄い灰色の空に覆われる。時折にして顔へ滴る雫は、特に気に触らなかった。
「……やっぱこれだな」
フェイバルはゆっくり目を閉じる。灰色の空は、瞼の裏で真っ暗になった。
クアナは望み通り、己の知識欲を満たす魔導書を求めて書店へ足を運んだ。真っ直ぐと魔導書の並ぶ本棚に立ち向かえば、そこを片っ端から品定めする。
ギノバスの書店にも並ぶベストセラーから、初めて見かけるような珍品まで、そこにあるのは膨大な数の魔導書たち。見たことの無い魔導書は全て隅々まで読みたいところだが、その数は途方も無い。全て読破む為には、もはやここへ永住しなければ叶わないんだろう。
「し、仕方ない……買うのは興味あるのだけにしよっ……」
クアナは断腸の思いで、購入する魔導書を厳選した。
そしてクアナは紙袋を抱え、満足気に書店を後にした。魔導書が雨に濡らされぬよう、氷の傘で入念に守り曇天の下を歩く。ふと上を見上げたとき、近くにそびえ立つ時計台で時間を確認した。
「げ……もうこんな時間なの?」
どうやら相当に長い時間を書店で過ごしていたらしい。もう次の書店で同じような買い物をするには時間が足りなそうだ。
「いや、まてまて。まだ魔導書の故郷を満喫出来るはず。図書館なら近いし、行けるよね……!」
クアナは泣く泣く予定を変更した。もし万が一フェイバルの前で遅刻してしまっては、もうそれをイジることも出来ないので、ここは仕方ない。
「それで……グリモン中央図書館までの道は、と」
クアナは適当な誰かへ道を尋ねようと、周囲を見渡す。するとそのとき、ふとある人影へ目を奪われた。
彼女が捉えたのは、まるで執事のような格好をした老人。ハットからはみ出す灰色の髪。眼鏡と共に、こちらから横顔が窺える。かねてよりいくつもの魔導書を読み漁っていた彼女だからこそ、その人物を捉えることが出来た。そして彼女の足は、自然にその老人へと駆け始める。
クアナは老人の前に立ちはだかった。そして彼女は、興奮を露わにして老人へ声を掛ける。
「す、すいません! 魔導書作家のパルケード=コミュレイト先生ですよね!? 私、先生の魔導書読みました! そうそう、最近出版されたあの改訂版も大変興味深く――!」
彼女は自然と早口になりながら、その熱意をぶつける。老人には無事にそれが伝わったらしく、男は笑顔で応じた。
「そうですか、ありがとうございます。今後とも是非、よろしくお願いいたしますね」
「なんなら私、先生の魔導書を読んで造形を習得したんですよ! もう一〇年以上前のことですけど、そのときの魔導書はまだ大事に持ってるんです!」
「……あぁ。だいぶん昔に出版した魔導書ですが、まだ大事にされているのですね。ありがとうございます」
興奮冷めやらぬクアナに、パルケードはにこやかな表情で応対する。するとクアナはそこで、ようやくパルケードの後ろに立つ小さな女の子の存在を知った。
「あれ。パルケード先生、その子は……?」
「ああ、この子はレイシュ。私の孫ですよ」
クアナはそこで一瞬ばかり言葉を詰まらせる。
「……そうなんですか。レイシュちゃん、こんにちは」
「……」
少女は少しだけ顔を出す。そのとき、クアナは少女の両目が包帯で覆われていることに気が付いた。並の人間には、きっとその少女が目に病気を抱えた可哀想な子に映るのだろう。しかし魔導師であるクアナは、自然と別の解釈をする。それは視覚での情報と同時に、本能的に感じ取った異常な魔力に起因した。
(この感じ……魔眼? いや、何か違う。もっと嫌な感じ)
彼女の深い魔法への見知、それに長年の魔導師としての感覚が彼女自身へ警鐘を鳴らす。
(この感じ……ヤバい……)
魔導師として、見逃すわけにはいかなかった。クアナはパルケードに尋ねる。
「パルケード先生、レイシュちゃんの目には、いったいどうして包帯が?」
「ああ、レイシュは目が病気でね。目が空気中の魔力に触れないよう、こうして包帯で覆っているのです」
クアナの感じた違和感はついに確信へと変わった。
(……先生は、何かを隠している)
そしてクアナさらに探った。声には、自然と緊張感が混じる。
「な、何て病気ですか?」
パルケードは少し困った声で応える。
「気になるのは分かるんですが、他人の病気はそう探るもんじゃ――」
クアナは相手が口を割らないことを悟ると、その男に重ねて核心を突く。
「……あなたは嘘をついている」
そこからは一瞬の出来事だった。パルケードは懐から魔法銃を抜くと、迷うことなくクアナへ銃口を向ける。引き金は瞬く間にして引かれた。
臨戦にまで想定が及んでいたクアナに、対応は容易い。放たれた弾丸は、咄嗟に氷の傘で防いだ。傘は音を立てて砕け散るが、弾丸の軌道は逸れて彼方へ散る。
クアナは即座にパルケードと距離を取った。前に立つ男が尊敬する魔導書作家であろうと、寸分の動揺も見せない。
突然の発砲は周辺の人々を錯乱させた。繁華街の一角からは次々と人が逃げ散ってゆく。悲鳴が飛び交う中、クアナは買ったばかりの魔導書をその場に置いた。すぐ通信魔法具に連絡を入れると、フェイバルとエンティスに通話を繋ぐ。
「二人とも、今すぐ時計台のとこへ来て――!」
本来なら戦闘を終えてから連絡してもよいのだが、今回に関して彼女は悪い予感を覚えていた。それは少女の瞳に隠された未知なる何かが、あまりに悍ましい魔力を秘めていたから。
そしてその切羽詰まった音声から、二人はすぐにただならぬ事態を察する。
「……何だ。厄介事か」
エンティスは緊急事態をすぐに理解すると、店主に財布を投げ付けて店を飛び出す。
「事情は分かんねーけど、あいつの予感は当たるんだ」
エンティスは雨を気にも留めず駆け出す。そしてそれは、フェイバルが飛び起きて駆け出したのと同時の出来事だった。
「あなた、一体なんのつもり……!?」
クアナは男を睨んだ。パルケードは銃を懐にしまいながらも、どこか呆れたような顔で返答する。
「今日に限って私の作品の愛読者に出会ってしまうとは……一応入念に変装までしてたのですがね」
パルケードは愚痴を零しながらも、少女の肩に手を置く。その動作は、視界の奪われた少女にも伝わる合図だった。
少女はそれを理解すると、踵を返して路地へ消えてゆく。おぼつかない足取りではあるが、先の合図に従った行動らしい。
そしてパルケードは少女を見送ったうえで呟く。
「面倒な事にしてくれましたね。あなたのせいで、グリモンからも消えなければならない」
老人は魔法陣を展開する。それは輝かしい銀色だった。
No.35 クアナ=ロビッツ
氷見野玲奈と非常に似た外見を持つ、魔導師パーティ・煌めきの理想郷のメンバー。極冠の巫女の異名で知られる。ギルド・ギノバスに在籍。当時二三歳。氷魔法を操り、中でも氷魔法・造形を得意とした。