32.正義の執行者
フェイバルは玲奈の肩に手を添える。突然の出来事に参ってしまった彼女を慮り、言葉は贈らなかった。
鈍重な空気の中、ムゾウの指輪型通信魔法具へ光が灯る。それは彼の師匠・ツィーニアが作戦を終えた合図だった。
「……恒帝殿。師匠が戻ったようです」
「おう」
フェイバルはやや低い返事でそれへ応じる。ただ玲奈は、そこに立ち尽くした。
「レーナ。気持ちは分かるが、その子のことは後だ」
「……はい」
三人は荷台から降りると、ツィーニアとの合流を目指す。
「――ご苦労様でした、師匠」
「――ええ。それでムゾウ、どうしてこんなとこに恒帝が居るのか、教えてもらっていいかしら?」
「恒帝殿とこちらのお付きの方は、ギルドに届けられた不審な依頼書の依頼主を追っている過程でここへ辿り着いたそうです」
フェイバルは会話へ割り込む。
「まーそういうことだ。そんで、その横に居る娘は生き残りか?」
「ええ。彼女はギルド・ギノバスの魔道師。無事だったのは彼女だけみたいね」
「あの要塞には何人くらい居た? お前にしちゃあ、随分と時間食ったみたいだが」
「そうね、三〇人ってとこかしら。中には食糧まで備蓄されてたし、簡素な水場まであった。これからもっと人を集める予定だったのでしょうね」
「中に居たのは、全員魔道師か?」
「ええ。ギルド紋章を確認したわ。紋章はギノバスと、隣町のカポリエテのギルドのものばかり」
ツィーニアは続ける。
「全員もれなくして、訳の分からない魔法を行使されていた。まるで催眠にかかっているような目をして、でもって凶暴にこちらへ襲い掛かってくる。自分の意志で動いているとは、とても思えない」
「そのことなんだが、俺らは道中でそれを一番良く知る奴に出会ってだな。曰く、洗脳魔法とかいう代物らしい」
「洗脳魔法……聞いたことないけど」
「あくまで推測だが、誘惑魔法と同じ系譜の魔法だろうな。そして誘惑魔法よりも、大規模かつ精密に人間を操作できる。そっちに操作の対象が三〇人も居たってんなら、自動操縦みたいな機能まであるのかもしれねーな」
「……その術者は、あんたが始末したの?」
「いや、そいつと術者は別だ。術者の方は、まだ一〇歳もいかないような子供だった」
「ならその子供はどこへ?」
「……殺された。まんまと、口封じされたってわけだ」
「はぁ……また物騒な事件に繋がりそうね」
そしてツィーニアは、地面に下ろしていた大剣を持ち上げる。軽々と肩に担ぎ上げると、彼女は要塞の方へ向き直った。
「この場で考えたって分かるものじゃないし、とにかく今は王都へ帰還するわ。ここにはまた騎士の調査が入るはずだから、事態を知るのはそのときでいい」
「……だな」
「あんたもちゃんと騎士団に情報を伝えなさいよね。どうやら私よりも、その洗脳魔法ってのに興味あるようだし」
ツィーニアは妙に含みのある言い方を残す。フェイバルは凜として応じた。
「ああ。分かってる。俺に巡ってきた好機だ。無駄にはしねーよ」
そしてツィーニアは、そのまま玲奈たちへ背を向けて歩き始める。ムゾウは慌ててそれを追おうとするが、その直前でフェイバルと玲奈へ一礼した。
「……それでは、我々はこれにて失礼します」
玲奈とフェイバルもまた帰路へと就く。車の唸るような駆動音だけが、二人の耳を満たす。そんな沈んだ帰り道だった。
思い返せば玲奈にとって、この日は二度目に望んだ戦場だった。まだ自分は甘かったのかもしれない。彼女がかつて愛した少年漫画のように、何も失わずして戦果を得る世界とはまるで違う、残酷そのものが蔓延る世界。彼女の降り立ったのは、そういう世界なのだ。
フェイバルからすれば、きっとそれは突拍子もない問いであった。ただそれでも玲奈は、躊躇わずにその質問を投げ掛ける。
「……なんていうか、どうして人間は争わなくちゃいけないんでしょうか。同じ人間を殺してまで……」
操縦桿を握るフェイバルは、少し返答に困ったような表情をして応じた。
「なんだ。ダストリンの作戦後とはまるで威勢がちげーな」
「いや、ほんとのほんとに当たり前のことなんですけど、あるんだなって思いまして。その……守りたい人が守れないときって」
フェイバルはそれとなく、いつかの日と同じ話をする。
「……前にも同じことを話したな。殺しなんて物騒なものは、ギルド魔導師の禁忌。それでも俺の元でギルド魔導師をするのならば、そいつを許容しなければならない事態が必ず訪れる。ただ自由気ままに仕事を受諾し、夜はギルドで酒を酌み交わすだけのギルド魔導師とは、もう住む世界が違う」
「分かってます……いや、分かってたつもりだったんです」
「俺はお前の魔導師たる素質に惚れた。お前は俺の魔導師たる矜持に惹かれた、だとか言ってくれたか」
「……はい、それは今も変わりません」
フェイバルは黙り込んだ。玲奈は平然と無免許運転を続ける彼の横顔を伺うが、そこで彼が思いのほか真剣な表情をしていたことに気が付く。
そして彼は、ようやく先程の問いの答えを調達した。
「……こっからは俺の持論だ」
「は、はい」
「正義って言葉あるだろ。人間は誰しもが正義を持ってる。持ってるというか、成長の過程で形成されていくもの、というのが俺の解釈だ」
「こんな世界だ。ガキの頃の経験ってのは色々だし、まず無力なガキには何も変えられねぇ。それでもそのときの経験が、そいつの正義を自由自在に歪ませる」
「ダストリンのあいつらも、ジェーマ=チューヘルも。そして俺らも同じだ。誰しもが己の正義を為すために争う。人が殺し合うときってのは、総じて正義が衝突したときだ」
フェイバルは一呼吸置くと、流れるようにして玲奈の琴線へと触れる。彼には彼女の質問の本意が分かっていた。
「あの子が殺されたとき、ダストリンのときとは違う殺意を感じた。仕事という建前のある殺意は許容出来ようとも、守りたい者を奪われたことに対する復讐の殺意、言うなれば本音の殺意は許容出来ない。都合良く殺意を分別する自分へ、激しい嫌悪感を覚える。違うか?」
玲奈は顔に出さずとも、それに心底驚愕した。図星と認めたくはないが、きっとそれで正しい。
「そう、かもしれません」
そして玲奈は、別れを告げたはずの地球を語った。
「じ、実は私、王都に来る前はもっと平和な場所にいました。そこは殺人なんてめったに起こらないようなところです。私の中で、人を殺めるということは絶対悪でした」
玲奈は自嘲する。
「都合良すぎだし、今頃かよって感じですよね。ダストリンではこんな感情にならなかったのに。自分の側に火の粉がかかるときだけ、こうやって取り乱して……」
フェイバルの話はまたも過去へ遡った。それは彼が玲奈へ、一欠片の語弊も無く問いの答えを伝えたかったからだろう。
「……ただのしがないギルド魔導師の頃、俺は漠然と人を守る為にこの力を奮おうと思った。それで選んだのが、王都マフィアの幹部でも反政府組織の一員でもなく、国選魔導師。その席に就くことが出来れば、最大多数の人間を守れると思った」
「考えた先に行き着いた席が、たまたま国選魔導師だった。国選魔導師とは大陸の秩序のため最前線に立つ、いわば正義の執行人。俺の正義は大陸の正義であり、それは大陸に住まう最大多数の人間と同じ正義。俺が国選依頼で人を殺しても罵声を浴びないのは、そういうことだ」
「……は、はい」
そして長い前提のもと、ようやくフェイバルは結論を下した。
「正義の元の殺しを容認するってわけじゃない。だがこの世界に生きる人間は誰しもが、魔法という人を殺める力を持っている。そいつと正義が衝突したのなら、戦わなければ生き残れない。それはただ生物として生存するという意味だけじゃねえ。選んだ正義を貫くことのできる、誇り高き自分が死なない為の生存戦略だ」
「俺たちが正義の元に戦うとき、同時に敵は奴らなりの正義を元に戦う。そこに譲り合いは生じない。互いに何かを失うことは必然だ。だから正義を貫くってのは難しいし、何より苦しい」
そのとき玲奈はなぜか、フェイバルの次の言葉が予見できた。
「難しいし苦しいから、僅かな人間にしか成せない。そして私はそれを今日乗り越えようとしている、と?」
フェイバルは少し驚いたように語った。
「なんだ。分かってんじゃねーの」
「話を聞いていてなんとなく分かりましたよ。まあ予想は出来ても、自分がフェイバルさんの言う正義の執行者として相応しいとは思えませんが……」
「俺の話を先読みしといてよく言うぜ」
「……でもフェイバルさんの話で、どこか腑に落ちました。私の正義は、きっとまだ成長途中なんです」
「ほう。そんなら俺の長話は無駄じゃなかったな」
「私はこの世界で色々な経験をして、少しずつ正義なるものを確立していく。そしていつの日か、自信を持ってそれを執行するときがやってくる。そう信じています」
「そうか。それはつまり、まだ俺のもとでギルド魔導師を続ける決意があると?」
「……勿論ですとも。これからまだまだお世話になりますよ」
「ふーん。なら俺は、お前の言ういつの日を気長に待つとするぜ」
夕焼けで茜色に染まる空に、街を囲む高い壁が映り始める。気づけば王都・ギノバスは直ぐ目の前だった。
少女の亡骸の引き渡しを終えた二人は、自宅兼オフィスへと帰還する。そこで疲れがどっと噴き出した玲奈は、颯爽と自室に籠もってベッドに沈んだ。カーテンを閉める間も無くして目を閉じた彼女の部屋には、温かい月明かりだけが差し込む。
「正義……ね」
ギルド魔道師とは、いやフェイバルの言うギルド魔導師とは、想像より遙かに過酷であった。彼は飄々と生きているのは、そう生きないと身と心がもたないからなのかもしれない。そんな勝手な想像すらしてしまう。
激動の一日、とも言うべきだろうか。この日の彼女の前では、多くの命が失われすぎた。たった一言、辛いという言葉だけで表現するにはあまりに軽薄すぎる。
ただそのとき玲奈は、両手で自分の頬を強くはたく。自分の中で折れてしまいそうな何かを、どうにか持ち堪えさせる為に。
同刻。フェイバルは、居間の隅で埃をかぶった文通魔法具なるものの前へ座る。タイプライターのようなその機械は、入力した文書の送受信を行うことのできる便利な魔法具であった。
慣れない手つきで鍵盤に指を置くと、ゆっくりとそれを叩き始める。静寂な一室には、心地良い打鍵音が響いた。
「……やっぱ苦手だわ。次があれば、レーナにやってもらうか」
弱音を吐きつつも、男は満身創痍の体へ鞭を打って公文書の制作へ取り掛かる。宛名は、王国騎士団第三師団。
打鍵音は鳴り止んだのは、深夜の頃だった。フェイバルにとってそれは、紛れもない大仕事。男は立ち上がると、その成果を報告すべくして、クアナの写真が入った額縁立てを手に取った。
「こりゃーまた、大仕事が入るかもだわ」
No.32 ツィーニア=?
国選魔導師の一人。刃天の名で知られる。フェイバルと同じ二八歳。艶やかな金髪と碧い瞳は吸い込まれそうなほどに美しいが、冷徹な性格が彼女を近寄りがたい存在にする。魔法剣・ヘルボルグと魔法大剣・ヘブンボルグの二本の剣を操る、二刀流の魔法剣士。