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Just-Ice ~明星注ぐ理想郷にて~  作者: 福ノ音のすたる
第10章 ~日出でぬ街の薔薇~
205/206

200.暗くとも明るい空 *

 レント=ハンジュは齢二一にして、ある一人の妻をめとった。名は、モデラ=ハンジュ。レントよりも二つ年下の彼女は、彼が魔導師として籍を置いたギルド・ジュテムで給仕を務める娘であった。共に惹かれ合い、永遠を誓ってから数ヶ月の頃。身籠もった彼女は都内で暴走した魔力駆動車に轢かれ、そのまま帰らぬ人なった。

 モデラを弔い、身の回りの整理がついた頃。いまだ傷心の癒えぬレントは、その足で隣町の地下街・オラトリアへ赴いた。自暴自棄で酒に溺れ、欲望の街をふらつけば、既に時刻は深夜。男はそのまま、鈴と薔薇(ベルローズ)の扉を開けた。




 「……そうでございましたか。それはきっと、お辛いことでしょう。私が安易に想像してはいけないほどに」

 酒の抜けたレントは、身の上話をだらだらと零してしまった自分を恥じながら呟く。

 「……すまん。女の慰めを受けるつもりもなかった。こんな話をするつもりも。少し酔ってたみたいだ……冷やかして悪かった」

 そしてレントは立ち上がる。彼はそのまま、一室を後にしようとした。

 しかしながら、レティアはレントの手を取り制止する。根拠は無かったが、ここで彼を放してしまえば、彼がよからぬ選択をすると想像出来たから。

 ただその思惑を口にすることはせず、彼女はどうにか男をここへ留めるようと仕向ける。

 「……お待ちください。その、よろしければ、もう少しだけどうでしょう。お話だけでも」

それを聞いてもなお、レントは少し強引に振りほどこうとする。ただレティアは必死にそれへ抗い、遂には少しばかり語気を強めた。

 「……私の仕事は、ここへ来られた旦那様の支えになることです。あなたに今ここで帰られたなら、私はその目的を達成出来ない。娼婦にだって、誇りの一つはあるのです」

 少し暗さを帯びたその声色に、レントは思わず抵抗を止める。そして暫しの沈黙の後に、彼は小さく呟いた。

 「あんたの、やりたいことは何だ」

 その抽象的な質問に、レティアは少し困惑する。

 「えっと、それは……」

 「俺は……あんたに礼がしたい。あんたに礼をすることが、今俺のやりたいことだ。だから言えよ。あんたがやりたいことを、だ」

レティアは少し考え込んだ。そして導いた答えは、どの世界の人々にも達成することの容易い、慎ましやかな夢だった。

 「……空が見たい、です」

 「……空?」

 「私はこの街に生まれて、物心がついた頃から働き詰めだったので、その……お恥ずかしながら……空というものを見たことがなくて」

 「小さな頃から働き詰めって……おい」

 「ち、違います。小さい頃は、小さな酒場の雑務で。その後は別のお店で給仕をして、そして今に至ります」

 「い、いや待て。俺としたことが、もっと驚くべきところは別だった。おいあんた、本当なのか? 空を見たことがないだなんて」

 「……え、ええ。はい」

 そしてレントは、レティアに掴まれていた腕を優しく振りほどき、今度は自らの手で彼女の細い腕を掴んだ。

 「……今から、見に行くぞ」

 「え、今からですか……!?」

 「当たり前だ」

 「でも、私がここから抜け出すわけには――」

 「出来ないって? 馬鹿言うな。不可能を可能にするのが、魔法の力だ」

そう言い放ったレントが向かったのは、一室に設けられた一つの窓。彼は光を遮るカーテンを振り払い、縁の錆び付いた窓を強引に開いた。

 窓の向こう側は、狭く暗い路地。一階に位置するこの部屋を抜け出すのは、拍子抜けするほどに容易い。

 「……ほら、行くぞ」

レントは窓に足を掛け、軽快に路地へ降り立つ。そして彼は、レティアへ手を差し伸べた。

 住み込みの娼婦であった彼女は、いわば囚われの身。無断での外出は当然許されることではない。ただそれを承知したうえで、彼女は己の抱いた願望へ従った。

 レティアは窓から身を乗り出す。そして次の瞬間に彼女は、思わぬものを目撃した。

 路地で体を丸めるのは、黒い体毛で身を覆った大きな獣。それが噂に聞く獰猛な魔獣であると察するまで、レティアにもそう時間は掛からなかった。

 「こ、これって……!」

 怯えるレティアに対し、レントは落ち着き払って応答する。

 「召喚魔法。俺の魔法だ」

そして男は、慣れた様子でその魔獣へと跨がった。

 「さ、乗れよ」




 魔獣は二人の人間を背に乗せ、深夜でも人の多い中心市街を駆け抜ける。街中で忽然と現れる魔獣の姿は人々を畏怖させるが、この街の性か、それを騎士へと通報する者はいなかった。

 数多の視線に晒されながらも、二人は瞬く間にして検問へと辿り着く。本来であれば守衛を務める騎士の姿がこの場に無いのは、この街の騎士が貴族に買収されてしまうほどに落ちぶれた生き物だからだろう。ただその事実は、許可証も無く外を目指す二人には都合が良かった。

 二人は上向きに伸びる広い階段をゆっくりと歩む。乾いた石畳が湿ったものへ移ろいだとき、ようやく淡泊な光が足元へと差し込み始めた。

 幸いにも、雨は上がっていた。夜空にはまだ薄い雲が広がり、月光が地上へもたらすのは微かな灯火だけであるが、レティアにはその夜空すらも愛おしく思える。

 「……そうですか……これが、空ですか」

 「……地上というのは、こんなにも清々しくて美しいのですね」

感激のままに言葉に綴る。レティアは取り憑かれたように空を仰ぐが、レントはその後方で静かに視線を落とした。

 そのときレティアは、黙り込んだレントの元へと振り返る。俯いたままの彼に違和感を覚え、彼女は尋ねた。

 「……どうか、しましたか?」

男は、声を震わせて呟く。

 「……な、何でもない。気にするな」

それは自らの感情を誤魔化すべく、まるで適当に綴った言葉。レティアはそれを承知の上で、あえてそこを追及することは止めた。いやむしろ既に、彼女にはある程度の察しが付いてしまっていた。きっとその男は、先に自らへ語ったモデラ=ハンジュを想っている。もうこの世には居ない、かつて愛した女性が、きっと彼には見えている。

 もしかしたらレントはある日、モデラと共に特別な夜景を堪能したのかもしれない。あるいはモデラとという女性は、自分と同じような金色の髪を生やしていたのかもしれない。酷く憔悴した彼の姿を見たレティアは、勝手ながらに想像した。

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