193.愛とは *
目前の忍を殲滅したとき、遂にヴァレンは自我を取り戻す。瞳から魔法陣が消失すると、彼女はそこで現場の状況を理解した。
「……何とかなったの、かしら」
まずもって視認したのは、自らが引き受けた敵を全て制圧したこと。加えて、砂漠地帯から少し離れた現在地が、何故か瓦礫の山と化していること。
それは言うまでも無く、砂塵魔法秘技・嵐の成した技。それはもう数分も前の出来事であったが、街に刻まれた悍ましい破壊力に、ヴァレンは戦慄した。
ただそこから束の間、彼女の思考はその悍ましき敵と対峙した二人の侍の安否へと辿り着く。忍の骸が転がる前方から踵を返し、砂漠の広がる方角へ向かったのは、そこから直ぐのことだった。
幹線道路には砂を纏う瓦礫が無数に転がり、人間の通行を拒む。それでもヴァレンは、強化魔法を頼りにそこを駆け抜けた。魔力負荷が体を蝕み、血涙が頬を伝うが、その血を拭う時間すらも彼女には惜しい。
崩れ落ちた家屋の壁面の上を跳び、寄り掛かって支え合う石柱を潜り抜ける。そんな酷道の先で、彼女は遂に砂漠へと至った。
砂漠とはどこまでも変わらぬ殺風景で旅人を惑わし、死へと誘う。ただ都内に突如現れた砂漠は殺風景を表さず、そこには舞い降りた鳳凰の爪痕が刻まれた。炎で掻き乱された砂の海は荒波のように厳かな紋様を呈し、淡くともその道標を記す。
そしてその紋様の中心点で力無く横たわる者こそ、リオ=リュウゼンであった。失った右腕から絶えず流れ出る血液と、秘技魔法の連発による魔力負荷。何よりも代償魔法による生命の返済が、彼をそこで弱らせた。
ヴァレンは灼熱の砂漠へ足を踏み入れる。次第に靴は焦げ落ち、露出する素足には熱傷が刻まれるが、彼女にそれを心配するだけの余裕は無い。たとえ叶わずとも、今はただ愛してしまった者を救いたかったから。
リオの元へ至ったとき、ヴァレンは直ぐに治癒魔法を行使する。続けて強化魔法・剛力を帯びた彼女は、軽々と彼を担ぎ、速やかに砂漠からの離脱を試みた。向かう先は、都内中央部。ギノバス王立病院。
もはや痛覚の失せた両脚を動かし、ヴァレンは砂漠地帯を脱する。そこからは強化魔法・俊敏を活用し、そのまま先の酷道を引き返した。あわよくばフェイバルたちと合流したうえで、彼らの手を借りリオを病院へ担ぎ込もう。そんな理想論は、無慈悲の影に打ち砕かれる。
砂漠を脱したところでヴァレンの行く末を阻んだのは、瓦礫の山ではない。その瓦礫に立つ、無数の侍の影。男らはあらかじめアズマの大規模魔法を想定したうえで、その魔法の影響を被る侵攻ルートを迂回し、後に幹線道路で合流する予定の一団であった。
アズマを中心として両翼のように広がっていた一団の規模は大きく、頭数は先の忍らを上回る。無論その全てが代償魔法を有しているともあれば、満身創痍の二人は手詰まりに他ならなかった。
微かに意識のあるリオは呟く。
「……わしは……もういい」
それはただ純粋に、ヴァレンを巻き添えにしたくない彼の意思。しかし彼女にとって、その何気ない言葉はあまりに残酷な意味を持つ。惚れた相手を見捨てることの出来る人間など、この世に存在しないのだから。
彼女は声を震わせた。ただしそれは、自分の思いを踏みにじられたことへの怒りではない。愛する女性がこの王都で待っているというのに、彼はそれすらも諦めるかのように嘆いたから。
「……駄目です。あなたはまだ、生きなければならない」
「わしを置いて……フェイバル殿と合流出来れば……まだ希望はある……」
「駄目です……それじゃ駄目なんです……!」
そして遂にヴァレンは声を荒げる。
「だってあなたは、許嫁へ会う為に王都へ来たんでしょ……! なのにこんなザマ、私が許さない!!」
叱咤から束の間、ヴァレンは駆け出した。向かう先は変わらず、王都中央部。目前にどんな障害が立ちはだかろうとも、彼女の隠し続けた愛は止まらない。
残党の侍らは、一斉に刀を構えた。手負いの男を抱えた一人の魔導師など、もはや壊すのに造作も無い。それがヴァレン=トレヴィリナという優れた実力を持つ魔道師であっても、同じことだった。
自らに行使した二種の強化魔法。そして背中に抱えた男へ施す治癒魔法。加えて先に行使した慣れない秘技魔法に起因する魔力負荷が、ヴァレンへと重くのし掛かる。それでも彼女は諦めない。魔法とは愛で、愛とは魔法。どこかの本で読んだ気がした。
侍は忍に比べて機動力に劣る。ゆえに彼女は、屋根上の高所を伝って進行する策を選んだ。ただしその活路が叶うのは、瓦礫地帯を抜けてからのこと。高所など存在しないこの場だけは、もはや強硬に突破する他ない。
強化魔法・俊敏の出力は高まる。まずは険しき瓦礫地帯を抜けるべく、ヴァレンは採算度外視で魔力を消費した。
それでも数名の侍がその俊足に追いすがる。ある男はヴァレンの側方に並ぶと、そこで躊躇わず一太刀を放った。
ただ一つ、ヴァレンの利き手と同じ方向からの攻撃であったことが功を奏す。彼女は銃身でそれを受け止めて刃を滑らせると、華麗にその太刀筋をいなした。愛銃に傷が付くのを嫌う彼女だが、今だけは迷わずその行動を選ぶ。守るなら、愛する銃より愛する人を。