182.零の誘惑と、秘めたる未知。 *
王都西検問を目指して駆け抜ける、三つの人影。リオは、やや後方を駆けるヴァレンに問い掛けた。
「ほんとに良かったのか? 魔導師であるお主が、わしらの方に付いて来ても」
「……ええ。強化魔法が無ければ、最速で検問に迎えないでしょ?」
「それは……そうじゃ。でも……」
「いいの! とにかく、これからはきっと共闘することになる。だからあなたたちの使う魔法の属性、先に教えて!」
王国騎士団本部。タクティスは、懐に収めた極秘の通信魔法具が点灯していることに気が付いた。ただしその直通の通信魔法具は、周囲の騎士にすらもその存在を悟られてはならない。故に男は側近の騎士へそれとなく呟き、そっと作戦本部から一時離席した。
「……少し外すぞ」
大会議室を出たタクティスは、外廊下を抜けて中央棟に入る。棟の最上階にまで上ると、真っ直ぐに自らの執務室へ立ち入った。
そこでようやく男は通信魔法具を手に取る。王都未曾有の危機を前に、意志は揺らいだ。それでも自らがかつて掲げた方針を死守すべく、男は意志を固め直したうえで通信に応じる。
「……見えぬ剣よ、目覚めたまえ」
タクティスは不服ながらも、慣例通りの通信コードを唱える。相手方は、軽薄な声でそれに応じた。
「――国の為、主あるじの為。その声に応じようぞ」
そしてその相手方は、直ぐに話を切り出す。
「やあ総督さん、お久しぶりだね。たしかあんたが総督に就任した日、第零師団との決別を表名する為に通話掛けてきたときが、最後だったかな?」
皮肉めいた言葉を告げる男の名は、第零師団長・ブルーノ=ボーバリア。一〇年以上もの間その地位に立つ男の外見は、スキンヘッドに右手を覆う入れ墨。もはや騎士とは思えぬ装いであった。
タクティスは凜として応じる。
「そうだな。そしてその意志は、今も変わらない。貴様らの手は、一度たりとも借りん」
「いいの? 戦争してるってのに、立派な一戦力である第零師団を使わないわけ?」
「そう言っただろう。私は先代のデティシュ=ストロニアとは違う。貴様らの存在があっては、王都に真の平和は訪れない」
「あーあ、悲しいねぇ。あんたは自分の意志の為に、救えたはずの民衆を殺すんだ」
タクティスはその煽りをもろともせずに、通信を終える流れへと運ぶ。
「私は合議体との体裁上、この通信魔法具を手放すことは出来ない。貴様らへ解散命令を下すことも、今はまだ出来ない。ただしいつの日か、ギノバスの腐った慣例たる貴様らを亡きものにする。以降、二度と通信を掛けるな」
そしてタクティスは、強引に通信を切断した。
都内西部では、二人の魔導師の激戦が続く。狙撃を成功させた玲奈へ襲い掛かるのは、不可視の忍。
側方の建物で高所を陣取る忍たちは、その恐るべき狙撃手へ苦無を投擲する。降り注ぐ無数の凶刃は、回避の筋道を絶つようにして彼女を追い詰めた。
漂う僅かな魔力でそれを観測しようとも、凡庸な身体能力の彼女に反応する術は無い。一挙に湧き出る焦燥を感じたとき、彼女を守ったのは相棒であった。
まだ駆け出したばかりの女魔導師の傍には、頼るべき国選魔導師の男が居る。フェイバルが展開した遠隔魔法陣は、玲奈へ迫り来る刃を抜かりなく弾き返した。
束の間、玲奈はもはや本能的に魔法弾を放つ。目に見えずとも、決して当てずっぽうではない照準を合わせ、苦無の投擲手のうち一人を狙った。その弾道上にはいまだフェイバルの魔法陣が残るが、やや焦った彼女の引き金は止まらない。
考え無しの狙撃とは、いわば魔法銃使いにおける最大の隙。フェイバルは彼女の身の危険を察知し、直ぐに後方へ駆け戻ろうとした。
男の判断は確かに最適だった。しかしながら、魔導師レーナ・ヒミノの魔法は、またも想定外の事態を巻き起こす。彼女の放った魔法弾はフェイバルの魔法陣すらも穿ち、そのまま真っ直ぐに忍の命を刈り取った。
言うなれば彼女の繰り出した魔法は、国選魔導師・恒帝をも上回った。その男はもはや、困惑を呈する。
「……は?」
玲奈もまた、その出来事に困惑した。仲間の防御魔法陣が障壁になることを鑑みずに狙撃したことで、彼女は隙を作る失態を犯したはずだった。それでもその失態は、こうして最良の結末を呼び起こしている。そして意図もせず、彼女は最強と信じ続けた男の魔法を打ち砕いたのだ。
「……なに……これ?」
自らの力に畏怖する。そしてその畏怖は、屋根上を陣取る忍らにも行き届いた。
苦無の雨は止む。尻込みする忍を前に、それでもたった一人、頭領だけが動き出した。ハッタは背を向けたフェイバルへ音も無く接近すると、忍ばせた魔法剣を振りかざす。
フェイバルは本能的に振り返り、正面へ防御魔法陣を展開した。男の誇った恐るべき魔力は、代償魔法を纏うハッタに引けを取らない。しかし若干の体勢の揺らぎはフェイバルの踏ん張りを緩め、男は大きく後方へと吹き飛ばされた。
いまだ熱魔法・装甲を保持するフェイバルは、路面を融解させて着地することで、速やかに体勢を復帰させる。追撃を試みるハッタは続けざまに剣戟を放つが、フェイバルは防御魔法陣でそれを器用に捌き切った。
それでも強引な着地は小さな瓦礫を弾き出し、それは不運にもフェイバルの額を裂く。垂れた血が引き越したのは、若干の視界不良。そのとき彼は一時的に敵を引き剥がすべく、防御魔法陣を利用して強引な張り手を繰り出した。
ハッタは後方へと押し出され、二人の間合いは刃の届かぬ距離へと至る。それでも無尽蔵の体力をもって機動する忍の頭領は、直ぐにまた近接戦の距離を引き戻した。
フェイバルは右目の上から垂れた血を拭うと、またその剣戟へと応じる。気付けばハッタの諜報魔法・不可視は解除されたが、それは同時に男が本来の魔力を取り戻したことを意味する。全力をもって襲い来る敵を前に、フェイバルは玲奈へ手を焼く隙を失った。