180.忍ぶ魔の手 *
王都西検問を目指す車両にて。助手席に腰掛けるフェイバルが、通信先のタクティスへ自らの決意を吐露し、言い捨てたその台詞を最後に通信を切断しようと意図した、まさにその刹那。事態は急変を迎える。
「――停めろ!!」
迫真の一声は、フェイバルのもの。運転を担うダルビーは、もはや反射的にブレーキを踏んだ。
相当な制動距離をもってして、ついに車両は止まる。車内の者は凄まじい慣性に晒されるが、どうにか負傷は免れた。
「おいおい旦那……一体どうしたってんだ!?」
ダルビーは行動こそしたものの、まだ事態を理解出来ていなかった。後部座席に腰掛ける玲奈らも同様に、いまだ目前の出来事を理解出来ないでいる中、フェイバルはその答えを明かす。
「……諜報魔法だ。目には見えないが、かなりの人間が潜んでる。道路上に五人。両脇の建物に五人ずつくらいか」
熱魔法・感熱を行使していた男は、車両から僅か先に群れる人間の体温を感知していた。その数およそ、一五名。車両で強引に突破するには、相当な危険性を孕む人数と言える。
諜報魔法という言葉から、後部座席のリオは直ぐに悟った。
「そいつらはきっと、忍じゃ。忍は諜報魔法・不可視を常用しおる」
そしてフェイバルは、直ぐに決断する。彼は後部座席の皆へ指示した。
「降りるぞ。ここで奴らを叩く」
玲奈は一つ不安を露わにした。
「でも……ここにアズマ=サカフジが居る保証は無いんですよね? あの男を見つけない限り、戦争はきっと終わりません」
その言葉を経て、フェイバルは指示を付け足した。
「サムライ共、もしこの場にアズマが居ないと分かれば、直ぐにここを抜け出して西検問を目指せ。そのときは、俺ら魔導師がシノビを請け負う」
「……良いのか?」
「お前らは、アズマの頸取りにきたんだろ。なら、それしかない」
「……面目ない」
そしてフェイバルは、率先するように車両から降りた。続けざまに、玲奈らも車外へと降り立つ。見計らってフェイバルが手を小さく掲げれば、手はず通りダルビーは車両を動かし、その道を引き返して戦地を後にした。
残されたのは、四人の魔導師と二人の武士。暗がりの中、ヴァレンが強化魔法・暗視を全員へ行使したところで、フェイバルは行動に出る。
「シノビ共。お前らがここで網張ってるのは分かってんだ。諜報魔法を解除して、魔力を温存すべきだと思うが、どうだ?」
男の言葉はどこか挑発的ながらも、魔力の節約について模範的な行動を言及していた。故にシノビらは、自ずとそれへ従うようにして魔法を解除する。
そして現れたのは、黒い装束に身を包んだ人影の数々。目に見えぬ暗殺者の登場に、玲奈は愕然とした。
「――我ら忍の隠匿術を看破するとは、お見それします。恒帝殿」
観念したかのように声を発したのは、幹線道路の中央に立つ若い男。穏やかで紳士的な佇まいに、落ち着き払った声色。黒の長い前髪を垂らした男は、忍の頭領・ハッタ=クラトリ。
フェイバルはここで、隠密にリオへ視線を送る。リオは首を横に振った。男の性格を鑑みるに、アズマ=サカフジはここに居ない。
慎重なフェイバルは、ハッタと言葉を交わすことで更にアズマの所在を探った。
「あんたが頭領ヅラして出てくるってことは、ここに大将は居ないってことだな」
ハッタは意外にも、包み隠さずそれへ応じる。
「組長殿は我が忍大隊からやや後方。既に都内へ侵入し、幾分か魔導師を狩ったところです」
「ほーん。そんなにべらべら喋って、怒られねーの?」
「ええ。問題ありません」
「騎士が手回しして、お前の大将討ちにいくかもよ?」
「現在、騎士及び魔導師の戦力は都内へ広く分散しています。直近で組長殿の脅威となるのは、あなたくらいでしょうか。ただあなたは我々忍によって葬られるが故に、組長殿へは届かない」
そのときリオは、同胞たるハッタへ対話を試みる。
「ハッタ! どうしてこうなった!? アズマは一体何を考えておる!?」
「副長殿、やはりあなたは、まだ分かっていないのですね」
「な、何のことじゃ」
「ギノバスへ傾くミヤビの執政。そして極めつけは、騎士団の設置。協調、調和、いや違う。ただの悪しき同化政策。我々武士の魂は、幾度となく穢された」
「だ、だとしてもこんな馬鹿げた真似は――!」
「愚か者は貴様だ、リオ=リュウゼン」
ハッタは突如として語気を強めたとき、リオは遂に押し黙った。そこで会話は決裂する。そして同時に、場の全員が魔法戦闘の勃発を予見した。
フェイバルは前方を見据えたまま、二人の侍へ語り掛ける。
「先、行けよ。隙くらいは作ってやるから、あとは何とかしろ」
リオとメイは向き合った。視線だけで意を決せば、メイはせめてもの助言を残す。
「ハッタ=クラトリは忍の頭領。諜報魔法の達人です。ミヤビからギノバスまでの長い隠密行軍を可能にしたのもまた、奴の手腕によるものと考えられます」
「……そうかい、あの若造がそんな離れ業をねぇ」
フェイバルはしみじみと呟きながらも、真っ直ぐにその男を瞳に捉える。その眼光に晒されたハッタは、まるで競り合うように睨みを返した。
そしてそのとき、フェイバルには聞き慣れた声が掛けられる。
「――フェイバルさん!」
声の主は、ヴァレン=トレヴィリナ。どこか切羽詰まった様子の彼女は、フェイバルは振り返るのを待たずに話を続けた。
「二人がここを離脱するのに、私の強化魔法が使えるはずです! 彼らに同行する許可をください!」
フェイバルは暫し考え込む。それでも弟子の意思を尊重するのが、この男の方針。師匠からの応答は、彼女の要望に合致するものだった。
「……行け。そいつらを、しっかり大将の喉元まで届けてこい」