175.命の返済 *
都内東部。ムゾウらの待機する前哨拠点は、突如として現れた刺客により襲撃された。
ミヤビを震わせた人斬り・イロ=シャクヤへと立ち向かうのは、ツィーニアの元で研鑽を積むムゾウ=ライジュ。
張り詰めた空気の中でも、ムゾウは冷静を貫く。それは相対する敵が、代償魔法を保有するから。
対してイロは、油断を見せつけるようにして歩みを始めた。片手で刀を振り上げ、その鐔を肩に当てる。乱雑な所作は、微塵の気品すら感じられなかった。
ムゾウはいまだ刀身を露わにせず、得意とする居合いの構えで備える。居合いはその性質上、一手目の太刀筋が読まれやすいものの、男は臆せずにその一手に命運を委ねた。
そしてイロは大胆不敵にも、その間合いへ無造作に侵入する。浮ついた笑顔を貼り付けたまま飄々と死線へ立ち入る様は、人斬りという猟奇を体現していた。
ムゾウは異様な男に動揺せず、百戦錬磨の居合いを放つ。速攻魔法陣にて発動した強化魔法・剛力と俊敏が刀身へ宿れば、それは目に捉えられる領域へと至る。
しかしながらその斬撃は、いとも容易く制圧された。ムゾウの刀とぶつかり合ったのは、イロが片手で展開する防御魔法陣。生まれながらの卓越した反射神経と、代償魔法による魔力の増強が、ムゾウの磨き抜かれた一撃を打ち砕いた。
そして反撃は、忽ちにして開始される。いやむしろ、イロ=シャクヤにおける反撃とは、防御と同意であった。音の鳴らぬ斬撃はムゾウの培った刀の感覚を鈍らせ、山吹色の魔法陣は防御と共に発光することで、彼の視界の一部を奪い去る。
その避け切れぬ隙こそ、イロの勝機。男の刀は、袈裟を狙って叩き落とされた。
ただその手法は、既にムゾウの知るところ。彼はイロの太刀筋をあらかじめ読んだうえで、刀身を切り返して斬撃を受け止める。
イロの斬撃は代償魔法の効果が相乗することで凄まじい威力を生む一方で、その男に強化魔法の覚えは無い。ムゾウは強化魔法を有するが故に、その刃を受けることに成功していたのだった。
それでも実戦を重ねたイロの斬撃は巧く、判断もまた早い。男は自らの戦法が破れたことを気にも留めず、流れるように連撃へと移行した。
ムゾウはその斬撃の雨を巧妙に受け流す。自らの強化魔法へ追随する敵の太刀筋に驚嘆しつつも、その一つ一つを正確に弾いた。
束の間、イロはまたも光魔法・帯陣を行使する。魔法陣そのものに光を宿すその魔は、もはや防ぐ術など存在しない。
無論その魔法を行使されることは、ムゾウの想定の範囲内であった。それでも人間の本能とは厄介で、視線はその光へと誘われる。ムゾウの瞳が発光に気を取られた刹那、ついに敵の凶刃は彼の肩を捉えた。
やむを得ず、ムゾウは数歩後退する。肩の傷は浅いものの、そういった傷の蓄積が彼から僅かながらの俊敏性を奪ってゆくのも事実。一度距離を取ることで対抗策を見つけ出すことこそが、ムゾウの判断だった。
そんな思惑を知る由も無く、イロはまたムゾウへと駆け寄る。対抗策を探る暇もなく、戦況はまた斬撃の応酬へと回帰した。
ムゾウは為す術無く、防御へと徹する。敵の刃を防ぎ切ることへ集中し、例え微かな隙が垣間見えようとも、そこに刃は放たない。彼はただ冷静に敵の斬撃を記憶し、突破口を探る為の時間を稼いだ。
それでも人間の防衛本能には依然として抗えず、時折差し込まれる光に、ムゾウの視線は度々奪われる。そしてその隙こそが、イロ=シャクヤの好機。その単純明快な戦法をいくら理解しようとも、ムゾウは回避に至れない。剣戟の応酬から数分も経てば、ムゾウは浅くとも多くの切り傷を負った。
魔法戦闘は、冷静さを欠いた者から死んでゆく。師からの教えを何度暗唱しようとも、その理不尽な魔法に突破口は見えない。ついにムゾウは、焦燥に駆られ始めた。
対してイロは、まるでムゾウを逆撫でするように言葉を連ね出す。
「いやぁ君はやっぱ、侍って感じだね。雅凰組の奴らより、よっぽど侍だよ! カッコいい!」
その嘲笑を含んだ言葉は続く。
「でもやっぱさ、侍って固いよね。刀に固執し過ぎ? 自分の技に酔い過ぎ? 的な」
「……なんていうか、綺麗に勝とうとし過ぎなんだよ。不意打ちすれば頸を断てるのに、わざわざ正面に立って真剣勝負みたいな」
ムゾウは敢えてその言葉に応じた。
「……そうだな。お前たちは侍じゃない。侍の誉れを偽った、ただの浪人だ」
「はは。残念だけど、その煽りは効かないよ。だって俺は、元から人斬りなわけだし」
ここでムゾウは、突拍子も無く話題を切り替える。
「……原因は、その髪色か?」
イロはその意図を読めずに音を零した。
「……は?」
「その白い髪。ミヤビでは珍しいだろ? お前はその髪色をあの隔絶された土地で虐げられ、人斬りの罪人に堕ちた、なんて想像をしただけだ」
イロは動揺を隠し切れず、ついに表情から薄ら笑いが剥がれ落ちる。滾る無意識な怒りが、声をやや低く押し下げた。
「知るかよ。雑魚魔導師が」
ムゾウは敵の図星を悟り、不敵に笑って応じる。
「そうだよ。俺は侍じゃなくて、魔導師だ」
その笑みは幼稚なイロに効果的だった。男は遂に感情のまま駆け出し、ムゾウの命を目指す。ムゾウは刀を握り直して覚悟を決めた。
敵を煽るという行為は、ある種の賭け事。成功すれば敵はきっと冷静さを欠くが、その感情の高ぶりがより魔法を強くする。その教えもまた、師であるツィーニアのもの。ムゾウはその教えへ、自らの命運を委ねた。
そしてその賭けは、その場の誰にも予想出来ぬ事態を引き起こす。こちらへと迫るイロは、突然にして口から血の塊を吐き出した。
それこそまさに、代償魔法が引き起こす命の返済。代償魔法を習得した後、それを試すべく人斬りに興じ続けたその男は、ついに寿命の償いを迫られた。