174.生と死の舞踊 *
「――急に逃げるだなんて、どうしようも無く失礼な奴だな」
人間を模した何かは、二人の魔導師が墜落した場所へと至る。
イグの下敷きとなって地面へ衝突したナミアスは、そこで血濡れて息絶えた。対して彼女は男の体から弾かれ、少し離れた所で地面へと伏す。
ただその衝撃が幸いしてか、イグは意識を取り戻した。不意に瞼を開けば、そこに広がるのは都外にありふれた荒れ地の景観。そしてそのありふれた光景の中ではあまりにも異質な、灰色の肌と白の髪をした男の姿。ナミアスの亡骸を目撃しなかったのは、幸運だったかもしれない。
人間を模した何かは、イグの傍の男を殺したことへ触れず、ただ純粋に彼女へ交流を図った。
「ねえ、どう? ミヤビの奴らは、結構頑張ってる?」
まだ意識が朦朧としてないイグであれば、この瞬時で禍々しき化け物の魔力を感知し、咄嗟に距離を取っていただろう。ただその行動の末にあるのは、ナミアスと同じ結末。彼女は意図せずとも、男の質問に応じることで命を繋いだ。
「――あなたは……ミヤビの人間……なの……?」
そのとき人間を模した何かは、また魔法を行使する。束の間、イグの右手は風船のように弾け飛んだ。
断末魔が響く中、人間を模した何かは平然と続ける。
「あのさ、こっちが質問してるわけよ。ちゃんと質問に答えてもらわないと、こっちも困っちゃうんだよね」
たった一度の会話から、右手首へ灼熱感を覚えるまで。そのたった数秒の間で、イグは理解した。目の前の化け物に逆らってはならない。もしも逆らったならば、己の肉体はきっと先の右手の如く破裂し、原形を留めぬまま醜く死に絶えることとなる。
認めたくはないが、それは確かに畏怖であった。イグは過呼吸のまま質問に答える。
「……ミ……ミヤビは……魔器魔法を行使する……」
人間を模した何かはイグの元へと歩み寄りながら、満足そうに会話を続けた。
「あー、違う違う。それ、魔器魔法なんて名前じゃない。本当の名前は、代償魔法」
その意表を突くような言葉も相まって、イグはついに間近で化け物を見上げる。そこでようやく、彼女はそれの放つ禍々しき魔力へ気付いた。ただ今直ぐに、この場所から逃げ出したい。本能は危険を訴えるが、それを実行するだけの余力は無かった。
対して男は、依然としてお構いなしに話を続ける。
「確かにあの魔法は、魔器を強化する魔法だよ。でも魔器を強化したところで、人間の肉体はその発達に耐えきれない。だから人間がこの魔法を使ったとき、その肉体は加速度的に老衰していき、結果として寿命が大きく短縮される。だから、代償魔法」
イグにとって、その魔法の詳細を信じる道理は無い。ただその異質な生き物を前にして、彼女は心のどこかでその話の信憑性を感じ取った。
そして人間を模した何かは、おもむろに右手をイグへとかざす。
「……冥土の土産……とかいったけ。殺す前にしょーもない慈悲を与えるやつのこと」
束の間、顕現したのは漆黒の魔法陣。魔導師として経験を積んだ彼女でも、その魔法属性を知る由は無い。
そしてイグは、為す術無く肉体が破裂して飛沫と化してゆく。そんな受け入れがたい運命は、また一つの運命によって揺らいだ。
「――おい」
差し込んだのは、また見知らぬ男の声。その男は禍々しき魔力に怯えることもなく、ただ大胆不敵に言葉を続けた。
「――それ、なんの魔法だ?」
人間を模した何かは、声の方へ振り返ると、ただ傲慢に話を切り替える。
「……そうだ……たしか君は、オルパス=ディプラヴィート。この大陸でも有数の、魔法に長けた人類だったね」
突如として戦場に降り立ったのは、国選魔導師・魔天楼。その地位にありながら自由奔放な男は、王都・ギノバスの戦争状態にただ興味を抱き、ふらりとそこを訪れた。そしてその最中に、こうして特異点へと至ったのである。
オルパスは少し前から様子を窺っていたらしく、少しばかり時を遡って語り出した。
「お前、さっきその娘に話を逸らされて怒ってたろ? 自分はお構いなしかい? 私はお前の魔法について尋ねてるんだ」
「……そうか。君も興味があるのか。僕の魔法に」
そのとき人間を模した何かは少し俯いて考え込み、また言葉を紡ぐ。
「ならまずは、この戦争をどうにかすることだね。なぜなら、この戦争の引き金を引いたのもまた、僕の作った魔法だから」
「……それはさっきお前が言った、代償魔法、とかいうやつのことか?」
「ああ、そうだとも」
人間を模した何かは、補足するように付け足した。
「別に僕は、この戦争へ肩入れする為にここへ来たんじゃない。ただ、魔法を手にした人類の営みを観測しに来ただけ。彼女には、そのインタビューをしてたとこ。そしてその用も、もう済んだ。僕は帰るよ」
そうして人間を模した何かは、忽ちにして黒き靄に包まれる。そこからそれが姿を消すのは、僅か先の出来事だった。
一帯はまた戦場へと回帰する。取り残されたのは、不服そうに佇むオルパスと、重傷に倒れるロコ。
オルパスは、ふとロコの元へ歩んだ。彼女の傍へと至れば、男は忽ち彼女の右手に注目する。
「……手首から抉られたように千切れている……切断する魔法ではなく、破裂する魔法か」
「……いやでも、炸裂魔法とは異なるのか。近くに指の肉片は転がっていないから、爆発で吹き飛ばされたわけでもない。となると、視認出来ない程まで粉砕する魔法か、はたまた物理の限界を越え、対象そのものを消滅させる魔法か」
独り言を並べる中、男はふとしてロコに手をかざす。行使したのは、治癒魔法。
「まあいいや。君には後から体験談を聞きたいし、もうちょい生きてもらうよ」
男の治癒魔法の効果は凄まじく、ロコの負った傷は忽ちにして回復した。失われた右手は、指の根元あたりまで復元される。
そのときロコは、掠れた声で呟いた。
「……ナミアス……は?」
オルパスは当然その名を知らないが、周囲の状況から直ぐに察しが付けて問いに答える。
「ナミアス? ああ、あの男か。あれは駄目だ。流石にもう死んでる」
「……え?」
「だってほら、下半身が吹き飛んでる」
そこでロコは、ついに相棒の死を目の当たりにした。