168.空の刺客 *
都外で戦闘の偶発するその最中、都内にもまたその毒牙が迫る。そしてそれは静寂の中で周到に、かつ大胆に仕掛けられた。
王都・ギノバス東部。住居の中から出て何気なく屋上に立ったある男は、その決定的瞬間を目撃する。
戦時中には似合わぬ快晴の空へ突如として現れたものは、大きな翼を生やす獣の数々。黒い毛に覆われたそれは、紛れもない魔獣であった。
そしてその魔獣らは、整列してギノバス中央部へと飛び去る。目撃者の男に知る由は無いが、その統率された魔獣こそ、召喚魔導師の存在を如実に示唆した。
王国騎士団本部に設営された作戦本部には、すぐさま件の観測情報が伝達された。突然にして行われた都内への侵犯行為。統率を持った鳥獣型魔獣群と、そこへ騎乗する敵勢力の進軍。向かう先は無論彼らの宣言通り、王族の住まうリベリア宮殿。それすなわち、騎士らにとっては由々しき事態と言って差し支えない。
参謀として本部に立ち会うトファイルは、状況を冷静に分析した。
「……現地の騎士によれば、魔獣の数はおおよそ二〇匹。この魔獣がロベリア君の召喚魔法・鳥獣と同じタイプのものだと仮定すれば、一匹あたり三人くらいの人員が騎乗出来るはずだ。つまるところ、敵勢力はざっと六〇名。そこそこの規模になるね」
タクティスはトファイルへ尋ねる。
「奴らが騎士たちの目に触れず王都外周の魔獣防護壁を越えたのは、諜報魔法の力か?」
「うん、私もそう推察する。諜報魔法・不可視だろうね。ただやはり、魔獣二〇匹へそれを行使し続けるのは、あまりにも無駄に魔力を消費してしまう。防護壁を越えた段階で魔法を解除して、魔力の節約を図ったのだろうか」
目視出来たのは幸いながらも、敵の遊撃は痛恨だった。無論タクティスはその遊撃を阻止すべく、待機する戦力の出動を迫られる。脳裏に過るのは、本部で控えるフェイバルら魔導師の存在。
ただここでトファイルは、先手を打ってその男へと提案する。
「東検問に敵おそよ二五〇。北と南にはそれぞれ一〇〇名。そして空からの遊撃が六〇名。雅鳳組総員の数にはまだ至らない。ならばここは、フェイバルたちを温存すべきだろうね。そして同時に、我々老兵の出番ではないかな?」
「……老兵というと、貴殿ら神鳴る碧の出撃、ということか?」
「ええそうだとも。私の仲間はギルド近くに待機してるんだか、そこならギノバス中央部へ向かう敵の進路を丁度遮断出来る。私含め三人で、奴らを止めてみせよう」
タクティスはその大胆不敵な宣言に、思わず小さな笑みを零す。
「……まったく、血気盛んな老兵が居たものだな」
「今まで仕事で何回死にかけようと、死に物狂いで這い上がってきたんだ。そんな魔導師が老いたとき、心までも落ちぶれると思うかい?」
「ならば、尚更分からんな。なぜ急に解散してしまったのだか。貴殿の愛した、神鳴る碧を」
「……そりゃーまあ、あれかな。頼れる次世代が増えた、てきな」
曖昧な答えを残し、トファイルはタクティスへ背を向けた。掌を小さく掲げ、たった一言だけを残す。
「んじゃ、夜にはまた戻るよ」
そしてトファイルは雷魔法秘技・神速を行使した。フェイバルの行使する光魔法秘技・神速と同じルーツを持つその魔法は、男に光にも匹敵する速度をもたらす。眩い光が途絶えたとき、もうそこに勇ましき老兵の姿は無かった。
タクティス嬉々とした呆れ顔で言葉を零す。
「やれやれ、節操の無い雷神様がいたもんだ」
同刻。王国騎士団本部・第三師団棟にて。
空き部屋からひっそりと廊下へ出たヴァレンは、ただ一人階段を下った。その目的は、騎士によって押収されたリオとメイの刀を奪還する為。
一つ下の階層に降り立つと、ヴァレンは死角を使って身を隠しつつ慎重に周囲を窺う。この緊急時であれば巡回する騎士の数も少ないようで、彼女は存外手こずることなくそれらしき扉を目撃した。
視界に映ったのは、他の部屋とまるで異なる重厚な金属製の扉。そして見張り番らしき騎士の男。有事故に見張りが設けられる場所も自ずと限定される為、ヴァレンは確信を得た。
しかし、そこで彼女は一度踏み留まる。それはつい先程フェイバルによって説かれた武士道について、いまだに迷いが残るから。ここで二人の刀を奪還するということは、その二人の侍が死地へ向かう準備の完了を意味する。叶わぬ恋でありながら、その男を危険に晒すことへの抵抗感が、彼女の任務の邪魔をした。
それでも自身がここで引き返してしまったなら、その行為は親睦を深めた二人の侍への侮辱に値するだろう。ヴァレンは拳を強く握った。
「……ただの私の、エゴなんだよね」
そして彼女は、廊下を進む。見張り番の騎士と目が合うや否や、一気にその男の元へと駆け寄り、妖艶な上目遣いでその男を魔法へと誘った。
「……その扉、開けてくれる?」