159.開戦の矢 *
「――さあ、始めるか」
雅鳳組の野営地にて。宣告の時を目前に、組長・アズマ=サカフジは幕屋を後にする。
頭領たる男が夕陽の下に立ったとき、その視界には無数の武士の姿が映った。そしてその武士らの目にもまた、濁り一つ無き決意が宿る。それは騎士や魔導師と同じくして、己が掲げた正義を背負うから。
凪に雫を落とすように、アズマはゆっくりと口を開いた。
「……我らがミヤビ国の産声から現在。流るる侍の血は、濁ることなく脈々と受け継がれた。それは例え、ミヤビ国が自治区・ミヤビへ落ちぶれようとも」
「我らの使命は何だ? 夜の見回りか? 罪人の捕縛か? 刀を振るうことか? いや違う。我らの使命は、ミヤビの誇りを守り次世代へと受け継ぐこと。先人の誇りを無碍にしないこと。ミヤビの魂を守ることだ」
「ミヤビは危機に瀕した。ギノバスは我らの土地を蝕み、ついには我らから武力をも、抵抗力をも奪おうとしている」
「侍が刀を失ったとき、それには何も守れない。ミヤビが我ら武士を失ったとき、ミヤビはいかなる抵抗も叶わない。この時機こそが、我らに残された最後の好機なのだ」
「立て! 立ち上がれ武士共! 我らは我らの誇りに賭けて、先人の作り上げたミヤビを死守する――!!」
集う数多の武士は、その言葉に奮い立った。間もなくして、ギノバス時間は午後五時を迎える。
王都東検問にて。宣告の時を前にして、都外を防衛する騎士らにもまた緊張が張り詰めた。
魔力装甲車に備わる機銃を初めとした魔法銃器を扱う後衛に対し、前衛に備える騎士らは魔導師パーティを模した少数班を編成し、近接戦闘に向けた準備を進めた。そしてその布陣の最前線に立つ班を率いる者こそ、王国騎士団第二師団長・バーキッド=リプル。
「――さあ、始めようじゃないの」
妙な乙女口調で語る白髪の大男はやはり奇抜だが、もう見慣れた班員たちはそれを気にも留めず、ただ堅実に配置へと就く。治癒魔法に覚えのある者は後方へ。攻撃系の魔法を心得る者はバーキッドと共に前方へ。魔導師パーティの伝統的な集団戦法は、騎士においても踏襲されている。
バーキッドの手元の懐中時計は、ついにギノバス時間午後五時を指し示した。そしてその刹那、忌々しき戦争はたった一本の矢から始まる。
いまだ視界に人影は映らないが、その矢は布陣の先頭に立つバーキッドを真っ直ぐに捉えて飛来した。曲射された矢が上空を下りだせば、バーキッドはすぐにそれを視認する。そして男は冷静に防御魔法陣を展開し、その急襲を防いだ。
矢先と魔法陣が衝突したとき、そこには激しい爆発が巻き起こる。
それそのものには属性を持たない魔法刃や魔法弾に対し、魔法矢は術者の属性を付与することができる。そんな知識を持ち合せるバーキッドは、忽ちにして敵の保有する魔法属性を導き出す。
「……炸裂魔法、かしら」
ただその理解と同時、バーキッドは理解し難い感覚を覚えた。確かに矢の攻撃は防ぎきり、続く炸裂魔法による爆風も受け流すことへ成功したものの、防御魔法陣を担う腕にはどこか重たい感覚が残る。
班員の男騎士は、その顔色からバーキッドが何か異変を覚えたことを察した。
「班長、何かございましたか?」
王国騎士団において他の追随を許さぬ戦力こそ、師団長の地位を冠する者たち。そんな肩書きを背負った自身の魔法陣が、たった一発の矢から重圧を感じ、恐らくは亀裂までもを刻み込まれた。それがバーキッドの抱いた素直な弱音だったが、男はそれ口にせずぐっと堪える。
思考とは裏腹に、バーキッドはあえて簡潔に述べた。
「……気を付けて。敵は、私の思っている以上に強大よ」
束の間、視界には早々に雅鳳組の軍勢が押し寄せた。まだ距離のあるうちから聞き取れる怒号は、まさに彼らの凄まじい士気を体現する。皆が馬に跨がり、血に飢えた獣を宿したように得物を掲げた。それはギノバスから見れば酷く古風な戦争の形式だが、バーキッドがそれを甘く捉えることはない。
「作戦通りいくわよ。広い都外でも、後衛の騎士が射撃である程度の区域をカバーしてくれる。私たちは陣形を崩すことなく、近くに立ち入った敵を即刻撃破。他の前衛班に援護してもらいながら戦況を見て進行し、大将を討つ!」
そしてついに、雅鳳組の騎馬兵と前衛班の騎士らは各所で衝突を開始する。ミヤビの騎馬兵は歩兵である騎士らを蹴散らして都内への侵攻を目論むが、それを許す騎士ではない。騎士らは班の陣形を崩すことなく、魔法での攻勢を仕掛けた。
放たれる魔法弾。鉄魔法・弾丸。炎魔法・放射。騎士らの攻撃はミヤビの駿馬を、ときにはそこへ跨がる人間本体を狙った。
しかしその攻撃は、どの班においてもことごとく防御される。鍛え抜かれた王国騎士団をもってしても攻撃の通用しないその事態に、彼らは少しの動揺を覚えた。
そしてその一瞬の揺らぎを見計らったかのように、武士らは反撃に出る。刀を握った侍は、馬に跨がりながらもそれを振るい、魔法刃を繰り出した。薙刀を構えた武士は、馬を切り返して騎士へ急接近し、その長い得物で騎士の頸を刈り取る。
攻撃に対して回避を選択することのできた騎士は幸運だった。その一方で、防御魔法陣の展開を選択した騎士は、即座にその盾を破壊され無情にも骸と化す。
防御魔法陣と魔法攻撃の衝突は、魔力出力量によってその勝敗が決する。それは魔法を扱う誰もが知る理論。
騎士と武士では、その差があまりにかけ離れていた。先の理論によれば、正しい結論なのかもしれない。ただこの戦場に立つ騎士らに限っては、その当然の理論を受容し難い程の違和感を覚えた。