153.日常は脆く散る **
――気が付いたとき玲奈は、薄暗い夜の街へと立ち尽くしていた。そのとき両手で握ったものは、もう随分と見慣れた魔法銃。ただ既に引き金へ指を掛け、真っ直ぐと正面に銃口を構えているその状況には、我ながら少々の驚きを覚える。
視線を手元から更に前方へ移せば、そこには見慣れた男の背中。そのまま引き金を引けば、きっとその男の背中を穿つことになるだろう。それでも不思議なことに、躊躇いという濁った感情は感じられない。彼女は迷うこと無く、むしろ安堵してその引き金を引いた。
慄然として飛び起きたとき、そこはいつもと違わぬベッドの上だった。肌寒い朝だというのに、玲奈は嫌な汗を感じる。また見てしまった。件の予知夢だ。
そのままベッドから出ようとしたが、そういえば直ぐ傍にはヴァレンが居た。彼女はまだすやすやと眠ったままなので、玲奈はそれをひっそりと跨いで飛び越える。静かに床へ足を付けると、音を立てぬようにして自室を後にした。
そこからは足早に階段を駆け下りる。あっと言う間に一階へ至れば、彼女はそのまま居間へと突撃した。
「――フェイバルさん!! ちょっと起きて!!」
玲奈はソファに駆け寄り、ぐっすりと眠る男を容赦なく揺さぶる。彼は不機嫌そうながらも、直ぐに目を覚ました。
「……何だよ……まだ早朝だろぉ」
「よ、予知夢です! 見たんです! 見たら教えろって言ったでしょ!」
「……言ったけど……マジ?」
「マジです。大マジです」
フェイバルは勢いよく起き上がると、神妙な面持ちで夢の全容を尋ねた。
玲奈は朧気な記憶を頼りに、可能な限り夢の全景を語る。フェイバルはそれを頼りに、少しずつ洞察を開始した。
「……俺の背中に銃を向けていた。引き金も引いた、と」
情けない顔を晒したフェイバルは、小さな声で尋ねる。
「……もしかして……俺に恨みある?」
「ありませんよ! 仮にあっても、背中撃つようなヤバ女じゃありませんから!」
「……だよね。よかった」
そして彼はまた、真剣な表情へ様変わりした。
「とにかく今日一日……いやレーナが次に深い睡眠を取るまで、俺とレーナは同じ場所で魔法戦闘に立ち会う可能性があるってことだな。ただ現時点で分かるのはそこまで、か」
「でも今日一日は、依頼の予定すら無いんですよ? 王都に居てそんな騒動に巻き込まれること、あります? 何なら私、今日は家から出る予定すらありませんし」
「……うーん。予知夢という概念が曖昧な以上、それが必ず起こるわけじゃ無く、その後の行動次第で回避出来る可能性もある。レーナが予知夢を予知夢であると認知して、行動を改変すれば予知は外せる、とか?」
「そっか……今まで見てきた予知夢は、当時まだそれを予知夢と認知出来ていませんでした。もしかしたら、その可能性もありますね! やった! 死にそうな現場、回避!」
「んまぁ今は、そう信じるしかねーな。とにかく今日は家で大人しくしとけ。俺はもう少し寝る」
そう言ってフェイバルはまた横になった。その切り替えの早さは、もはや称賛に値する。
そしてちょうどそのとき、ヴァレンも目を覚まして一階の居間へと立ち入った。
「おはよーございます……」
酷い寝癖に気付く様子も無く、彼女はただ目を擦り続ける。はだけたままの寝装束に気付く様子すらないあたり、朝が苦手なのは師匠と同じらしい。
玲奈はさしあたり、ヴァレンの眠たげな挨拶へと応じた。
「お、おはようございます。ヴァレンちゃん、とりあえず二階に戻って着替えよっか」
そんな他愛も無い会話の最中、日常という幸福は突如として崩れ落ちる。それは彼女の見た予知を想起させるような、王都・ギノバス未曾有の危機の序章。予知夢とは確定事項であり、回避可能性の生じるものでは無い。そんな慈悲無き宣告をもたらすかの如き、無情なる出来事であった。
肌寒くも、どこか気の安らぐ冬の朝は、底の見えぬ絶望へと転落する。王都全土に備え付けられた音響魔法具は、突如としてけたたましいサイレン音を放った。
この世界に訪れてから数ヶ月が経過した玲奈でも、その悍ましい警報音は初めて耳にするもの。ヴァレンですらそれに聞き覚えが無いようで、二人は唖然としながらそこへ硬直した。そしてフェイバルだけが、その音の意味を理解する。
男はソファから飛び起きた。そして彼は普段の生活で決して見せない剣幕のまま、言葉を発する。
「……まじかよ……王都戒厳令だ。直ぐ出るぞ!」
玲奈はわけも分からず尋ねる。
「予知夢からの展開早すぎィ! じゃなくて……出るって……どこへです!?」
「騎士団本部だ! 直ぐに召集が掛かる!」
フェイバルは慌てて身支度を始め、国選魔導師の証たるブローチを装着した。その緊迫した様子から、玲奈はようやく事態の大きさを痛感する。まだ詳細は分からずとも、次第に己のすべきことが見えてきた。
「わ、分かりました……すぐ車両を手配します!」
そのときフェイバルのブローチは、忽ちにして光を放つ。そのブローチは推薦役の師団長へ繋がる直通の通信魔法具であり、無論男は直ぐそれを起動した。
「……おいおい、何事だ?」
魔法具越しから聞こえるロベリアの声は冷静だった。
「王都戒厳令の種別は、武力攻撃。たった今、王都・ギノバスに対して宣戦布告が行われたわ」
「――敵性勢力は自治区・ミヤビの自警団である雅鳳組。ギノバスはこれから、約三〇〇年ぶりの戦争を経験することになる」
No.153 王都戒厳令
王都の治安及び現体制の維持に対して著しい影響を及ぼす事態の発生に伴い、王国騎士団総督によって発せられる戒厳令。王都有事条項に明記。発令されると全国選魔導師に対して直ちの出頭義務が生じる。