152.蕾 **
陽は落ち始め、肌寒さがまた一層と強まりだす頃。依頼を終えた魔導師たちは、二人の侍と共にギルド方面への帰路に就く。
フェイバルはふと愚痴のように零した。
「……ったく、ガキの相手ってのは大変だな」
玲奈はその男の真意を手に取るように理解したうえで返答する。
「でも、どうせ続けるんですよね。ギルド依頼には見向きもせず、国選依頼しか受諾しないのに」
リオもその返答に共感を覚えたようだった。
「恩義の為に生きる。魔導師も侍も、同じことのようですな!」
その恩義とはすなわち、フェイバルのモナミに対する恩義を指すのだろうが、よそ者のリオがその恩義に勘付くあては無い。ゆえにフェイバルは直ぐに察した。
「おい、モナ婆から俺の生い立ちもろもろ聞き出しやがったな?」
「ええ! 孤児としてモナミ殿に引き取られたこと。幼くしてその魔力はあまりに膨大で、ついには手に負えず、ある貴族に養子として迎えられたこと。お聞きしたのは、そこまでですがねぇ」
玲奈は勿論のこと、それはヴァレンですら知らぬ略歴。ヴァレンは思わず大きな声を上げた。
「き、貴族!?」
フェイバルはそれを気にも留めず、ただ歩みを続ける。それでも特に隠すつもりは無いので、平然と己の姓について明かした。
「知ってるだろ。タクティス=リートハイト。王国騎士団の現総督だ。俺はリートハイト家に迎えられて、騎士になるべく育てられた」
そのときヴァレンは直球で言葉にする。
「フェイバルさんが騎士!? 絶対に無理!!」
「……失礼な弟子だな」
フェイバルは頭を掻いて続けた。
「嫌気が差したから、家出して魔導師になった。誰かさんと同じだ。以上。さあ、さっさと帰るぞ」
男は身の上話を面倒と言わんばかりに切り上げると、僅かに足早になる。そこからは誰も、彼を詮索しなかった。
「――それではわたくし共は、ここで失礼します」
「本日は副長の我儘にお付き合いいただき、ありがとうございました」
宿を前に、リオとメイは魔導師たちへ別れを告げた。玲奈は魔導師側唯一の良心として、礼儀正しくそれに応じる。
「こちらこそ、楽しい一日になりました。次はミヤビで、サムライのお仕事を見せてくださいね!」
リオはその粋な返答に微笑む。
「……ええ。勿論ですとも」
しかしフェイバルという男だけは、まだどこまでも空気が読めない。
「おいレーナ。ミヤビってクソ遠いんだろ。俺はそんなとこまで行かねーぞ」
玲奈はフェイバルに軽いビンタをお見舞いしつつも、強引に場を収める。
「そ、そ、それではまたいつの日か!」
そして三人の魔導師たちは、ギルド・ギノバスへと帰還した。フェイバルはモナミからの依頼書を窓口へ届ければ、そこでようやく依頼の全てが終結する。ただ彼が言う慈善活動という言葉はまさにその通りで、今回の依頼は無報酬であるので、窓口の手続はただ依頼受諾の体裁を取るだけのものに過ぎなかった。
煩雑な事務処理が一段落したとき、ヴァレンは突拍子もなく頼み事を呟く。
「あの……フェイバルさん」
「ん? なんだ?」
「今日なんですけど、レーナさんをお借りしていいですかね?」
「あ、うん。いいよ」
玲奈はあまりに自然な流れで進む会話に、一歩出遅れる。
「は!? どゆこと!?」
ヴァレンは玲奈の手を取った。夜に二人で話したいことがある、そんな望みが見て取れる。
「今日……一緒に寝てもいい? レーナさんの部屋で」
「ぃえ! っと……それって……その……百合……じゃなくて! んンと、別にいーです……けど?」
「……ありがとう」
そういえば夜になってからというもの、金髪が少し乱れた彼女の顔は、どこか悲哀に満ちている気がした。玲奈には心当たりがある。きっとヴァレンは一日で満杯まで積もった苦しみに、悶えているのだろう。
妙に会話の弾まない食事を終え、入浴を済ませてしまえば、あっと言う間に深夜になった。玲奈からすれば、むしろここからが本日の一大事。叶わぬ恋の相手に二度も出くわしながら、ただそれを見守るだけの辛さなど、恋愛弱者を自称する玲奈にも痛いほど分かる。
二階の自室に備え付けられた空調魔法具を起動し、部屋を暖めて待っていれば、入浴を済ませたヴァレンが遂にそこへ訪れた。
「――ヴァレンちゃん、おかえりなさい」
ベッドに腰を下ろす玲奈は、朗らかに口を開く。ヴァレンは小さく微笑んでそれに応じるが、やはりそこに彼女本来の爛漫さは見て取れない。
ただこうみえても、玲奈は年上だ。慣れないながらも、ここは姉貴肌を見せつけよう。
「……分かってるのよ。ヴァレンちゃんの話したいこと」
ヴァレンはすぐに玲奈の横へ腰掛けた。あまりにも近すぎる距離感に玲奈は焦るが、それを必死に隠して彼女の言葉に耳を傾ける。
「……どうすればよかったのかな」
曖昧な言葉だったが、玲奈には分かる。
「リオさんのことよね」
ヴァレンは黙って頷く。そこからは一言ずつ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「叶わないし、諦めないといけない。分かってたのに、またあの人が目の前に現れた。ほんとに神様って、意地悪」
重い話だと覚悟はしていたものの、やはり玲奈は返答に詰まる。ヴァレンは話を続けた。
「……諦めたくない。私……それでいいと思う?」
玲奈は意を決する。その問いについては、己の倫理観からすぐに答えが見つかったから。
「……駄目。だってリオさんには、許嫁がいるから」
ヴァレンは黙り込んだ。玲奈はヴァレンの手を取ると、そのまま優しく撫でてやる。なぜかそのときだけは、すらすらと言葉が浮かんだ。
「ヴァレンちゃんが魔導師になりたい理由は、愛を知る為、でしょ」
「……うん。フェイバルさんにはそう言った。でも本当はただ、将来の婚約者を見つけたい。ただそれだけ――」
玲奈はヴァレンを遮って語る。それはかつて彼女が好んだ、とある小説からの借り物。ただその事実は伏せ、あたかも自分の言葉のように連ねた。
「あなたはまだ愛を知らなくても、ある一つの恋を知った」
「……え?」
「恋なんてのは、どこにでも撒かれているような種から伸びた、ただの蕾の一つ。それが咲くのか、あるいは腐り落ちるか、そんなのは時の運。雷雨が降るかもしれないし、誰かに引っこ抜かれちゃうかも」
「そう思うと、その蕾から花が咲いたときってのは、凄くすごーく尊い。それこそ、愛だと思うの。残酷な運命に引き裂かれる蕾もあるから、花という存在の尊さが引き立つ」
「ヴァレンちゃんが撒いた初めての種は、残念ながら花が咲かなかった。ただそれだけ。自分の蕾が枯れても、他人の咲かせた花を踏み潰す権利なんて無い」
我ながら臭い話をしてしまったと後悔し、玲奈の頬はやや赤らむ。それでも彼女は真剣な眼差しをヴァレンへと向け続けた。
ヴァレンは俯きながら、やや反抗的に呟く。
「……理想論。嫌になるほど空想的で、過剰なほどロマンチック」
機嫌を損ねてしまったことを後悔する間も無く、玲奈は慌てて言い繕う。
「で、でもさ、ええっと、その――!」
ただヴァレンは一転して、腑に落ちたような表情を浮かべた。
「……でもやっぱり、理想は目指すべきものよね。理性ある生き物なんだから、感情ばかりに左右されてちゃいけない」
ヴァレンの表情は穏やかだった。玲奈もそれに連られるように、ただ穏やかに呟く。
「……少しずつで、いいと思うの。立ち直ろ。明るいヴァレンちゃんが、一番ヴァレンちゃんらしいから」
No.152 とある本
作者の作品一覧参照。