151.その殺戮は意義を持つ **
自治区・ミヤビにて。ミヤビ自治政府宛ての貨物警護を請け負ったある魔導師の男は、その報酬を受け取るべく街中央の城へ続く正門を潜った。
「――んだ? 門番も居ないのか?」
街中は普段と変わらない盛況ぶりだというのに、城に近づけば人気は微塵も感じられない。どこか不審に思いながらも、男は敷地内へと足を踏み入れた。
「――邪魔するぞぉ」
男は城敷地内に併設された雅鳳組本部へと立ち寄る。靴を脱ぐ文化も知らずに、土足で木造の廊下を進んだ。床の軋む小さな音は幾度と鳴るが、それでも人の声にはありつけない。
空っぽの執務室。小綺麗ながらも、使われている様子の無い道場。食堂にも赴いたが、給仕の姿すら見受けられない。ミヤビの自治組織たる存在がこれほど手薄なのは、明らかなる異常だった。
男は駆け出す。向かう先は少々厳かで憚られるものの、最も高い所から街を見下ろす城の本殿。言い換えるならばそこは、自治区・ミヤビの中枢であった。
城の本殿に立ち入ったとき、すぐに違和感は顕現する。男は突然の出来事に震撼した。
暗がりの中に伏すのは、無惨に切り捨てられた死体の数々。どれも強力な一太刀によって両断されており、損壊は激しい。飛散した内臓や肉片へ虫が集り始めているあたり、つい先程の出来事というわけではなさそうだ。
男は一度取り乱すが、それでも魔導師としての経験は深い。直ぐに平静を取り戻すと、目の当たりにした事態を分析した。
「お、俺が第一発見者なのか? だとしても、どこへ通報すればいい? 雅鳳組か……いや、あそこは蛻の殻だぞ……」
答えは出ない。騎士の居ないこの街に、頼れる者は無かった。
そして本殿の入り口で転がる死体の山から、男にはふと最悪の事態が想起される。
この血濡れた本殿の最上部に住まう者こそ、自治区・ミヤビの実質的な最高権力者。人呼んで、将軍。そしてその将軍の身の危険が、ミヤビの存続の危機に直結していることは言うまでも無い。
知りたくはないが、知らなければならなかった。男は意を決し、死体に埋もれる城を進む。
幸いにもその男は、ときに戦闘を経験するような手練れの魔導師であった。故に城を高層へ登っていけば、ここで起こった戦闘の様相が曖昧ながらも見えてくる。
「……役人が将軍を守る為に、慣れない剣を振るって惨敗した。呆気なく蹂躙された防衛戦。ならばその襲撃者は……何故だ? 何故この二者間で争いが起こる?」
「……死臭が薄い。諜報魔法で発見を遅らせたとなれば、奴らはどこへ向かった?」
「折れた魔法剣。魔法装甲をも打ち破る攻撃……そんなものが?」
そして魔導師の男は、ついに高層の広間へと至った。それと同時に、男は事態が最悪を極めていることを理解する。畳にはやはり無数の骸が転がり、畳は泥と血に染まっていた。
中央に伏した死体は、その一体だけが厳かな装いを身に纏う。それがいわゆる将軍であると察しが付くのは、この男でなくても同じだろう。
「……最悪だ」
博識な男は事の重大さを察知した。
将軍という役職は、遙か昔にミヤビギノバス間で自治協定が締結された頃から、ミヤビ側の譲歩としてギノバス政府の認定した人物を据え置く慣例が続く。故に将軍職はミヤビの指導者という建前を持ちながらも、その実態はあくまでギノバスとミヤビの橋渡し。将軍がミヤビに関する全ての決定権を持ち合せることは到底無く、その権限は一定の範囲に制限されている。
またときに将軍は、ギノバス政府の傀儡と揶揄された。そしてその傀儡を殺害するということはすなわち、ミヤビによるギノバスへの挑戦をも示唆する。目の前に転がるたった一つの死体は、それだけで大きな意味を持つ厄災であった。
男は強烈な胸騒ぎを覚えながらも、その事実を伝えるべく行動した。亡骸を更に放置することには底知れぬ罪悪感が芽生えるが、それは次なる亡骸を生まない為の決断だった。
王都・ギノバスの外れにて。魔法学校の敷地内は、訪れた魔導師たちによって活気ある時間が流れる。
「……というわけで、んまあ、弾丸の魔法ってのはこういう理屈だ。大抵どの魔法属性でも相性はいい」
フェイバルは地面へ座り込んだまま、棒きれで砂を掻き分けて図解し魔法を解説する。周囲に群がる子供たちは興味津々な様子でそれを聞き終えた。
ギルド魔導師に憧れを抱く子供たちは鍛錬に明け暮るべく、すぐにそこから散ろうとしたが、フェイバルは念押しに言葉を付け足した。
「待てガキ共、練習は一人ずつだ。そこらで勝手に練習して、誰かに弾当てちまったら大変だからな」
自由奔放な少年からは不満が飛び交う。
「えー! 順番待ちしなきゃいけないの!?」
「当たり前だ。イメトレでもしとけ」
玲奈とヴァレンはニアをフェイバル先生の元へ合流させると、離れた所からその様子を見守った。前回は周りの子供から数歩遅れていたニアが皆と混ざって魔法を学ぶ様子は、玲奈にも感慨深いものがある。
「ああ……ニアちゃんが尊い……ほんと良かった……」
つい先程その話を聞いたばかりのヴァレンも、しみじみと呟く。
「そんな短期間であそこまで……ものすごい才能なのね、あの子。羨ましいわ」
そのとき二人の元には、例の見学者たちが歩み寄った。リオは玲奈たちを労う。
「レーナ殿にヴァレン殿、ご苦労でしたな!」
玲奈はそれに応じた。
「あ、どうもリオさん。ここからはフェイバルさんが一時間ほど魔法教室を開講して、依頼終了になります。あと少しだけお付き合いくださいね」
「なるほど。ならここからは、フェイバル殿の腕の見せ所というわけですな」
リオの横に並ぶメイは、感心した様子で呟く。
「にしても、フェイバル殿とは凄い方なのですね」
ヴァレンは真意を探った。
「と、言うと?」
「先程モナミ殿から、彼の昔話をお聞きしました。やはり逆境を幾度と乗り越えた者は強い。きっとあの子供たちも、彼のような男に憧れて魔導師を志すのでしょう」
ヴァレンは己の師匠への賞賛を密かに喜びつつも、彼女の推測を口にした。
「……でもきっとフェイバルさんは、あの子たちに魔導師になって欲しいとは思っていませんよ」
「そう……ですか」
「魔導師として十分な稼ぎを得て暮らしたいのなら、魔法戦闘は付きものです。そこはいつだって死と隣り合わせ。今はギルド魔導師にヒーローのような憧れを持っていても、大人になる前にいつかその憧れを手放して、現実的で安全な仕事に就いて欲しい。彼はきっとそう思っています」
玲奈はフェイバルと初めて出会った日を思い返しながら、補足するように付け足した。
「ただフェイバルさんは、望んで魔導師になる者を拒んだりはしません。私やヴァレンちゃんがここに居るのは、たぶんそういうことです。私生活と人格はいろいろ終わってますけど、芯は真っ直ぐなんですよね、きっと」
No.151 将軍
自治区・ミヤビにおける最高指導者。ただしその実態は、ギノバス政府による認定を受けた預託者。ミヤビの思想家からは、しばしばギノバスの傀儡と揶揄される。