140.空を仰ぎ、地を抱く。 **
そして夜は明けた。ギルド裏庭の中心に立ったのは、二人の男。ナミアス=オペロットとドニー=マファドニアス。地を這う泥と、空に吹く風。
「――さあ、ドニーさんは二戦目ですね」
ダイトは神妙な面持ちで構えた。玲奈にも同じ心境が巡る。それは一日目の模擬戦で、十分にナミアスという男の力量を知ったから。
一方にしてトファイルは、特に変わらぬ様子で呟いた。
「今回はお互いに強化魔法無し。今までの近接志向とは、少し違う展開になりそうだね」
玲奈は男の見解に興味が沸いて、ふと尋ねてみる。
「……ということは、遠距離戦ってことです?」
「それだけじゃないとも。お互いに近接戦という決定的な戦法が無いってことは、互いにもっと多彩な戦法を試す必要が出てくる。んまあ、尚更部外者からでは展開の読めない戦闘になるってことかな」
「なるほどぉ……私も強化魔法持ってないし……ちゃんと見ておかねば……」
玲奈とて、これまでのギルド依頼や国選依頼への同行で数ある戦闘に立ち会った。特に先の戦闘では、自らの負傷によってヴァレンの手を煩わせてしまったのだから、今は少しでも魔法戦闘のヒントが欲しい。そんな向上心が、彼女の瞳を目前の模擬戦へ釘付けにした。
ドニーは悪気無く呟く。
「颶風の射手……なんだか大層な冠を背負ってらっしゃるようで」
ナミアスは相も変わらず、気さくに応じた。
「なんだい。あんただって随分に名は広いだろうよ」
「え、そうなん?」
「聞いたぜ。パーティも組まずに戦闘の絡む依頼を受ける、とんでもない命知らず。得意な魔法は泥魔法。好きなものは気の強い女で、嫌いなものは……いややっぱそれは知らんかったわい」
「嫌いな物? そーだな。強いて言うなら、俺の心眼魔法具をぶっ壊す奴かな。結構高いんだわこれ」
「ほーう。模擬戦でもしものことがあっても、俺のことは恨まんでくれよ。泥中の変態さんよ」
ナミアスの強気な発言はともかく、ドニーは末尾の言葉に違和感を覚える。彼は寸分遅れをとって返答した。
「……ひど。お前結構良い奴だと思ってたのに、普通に嫌いになりそうだわ。なんだよ泥中の変態って。急に悪口じゃん」
ナミアスは妙に不貞腐れるドニーに違和感を感じつつ、とりあえずの弁明を始めた。
「いや別に俺が名付けたのではなくて、あんたが巷でそう称えられてるってことを、良い具合に教えてやったつもりだったんだが?」
ドニーの声色は晴れない。
「……貶されてるじゃん。俺」
妙な空気感の中、ナミアスはついに相手を励ます方針へとシフトした。
「……それは……その……考え方による……じゃね?」
ただその心配りも虚しく、ドニーはついに爆発する。
「よらねーよ! おい知ってるか! 俺の親父はな、泥中の狩人って呼ばれてたんだ! 狩人の息子が変態って何だよ! 鷹が鳶産んだみてーじゃん! いたたまれねーよ!」
ナミアスは考えた挙句、とりあえずそっと寄り添ってみた。
「……それは……魔道四天門が終わり次第、親父さんのとこに謝り行こうや。何なら、俺もついて行ったるから」
「もう死んでるっての! もういい! こうなったらお前を殺して、あの世で俺の代わりに親父へ詫びてもらう!」
そしてドニーはナミアスへ背を向け、そのまま定位置へと向かう。ナミアスは不服そうな敵を前に、ふと頭を掻いて呟いた。
「……逆恨みされてしもた。悪くないよなぁ、俺」
「――あの、なんで怒ってるんです? ドニーさん」
玲奈は特に考ることもなくトファイルの方を向いて尋ねるが、彼も難しい顔を浮かべた。そして挙句、彼はそれとない答えを提示する。
「……これぞ展開の読めない戦闘、ってことだね」
「……適当言ってますよね?」
妙に浮ついた空気の中、空砲が裏庭を満たす。音が鳴ればその刹那、二人の魔導師の眼光は一変した。
先手を打ったのはナミアス=オペロット。男は小手調べと言わんばかりに、得手とする早撃ちを放つ。
風魔法に乗る魔法弾は、目で追うに苦しい速度でドニーへと迫る。しかし戦闘における鋭敏な勘が、ドニーの体をそれより早く動かした。常人離れした動体視力で弾道を読み切り回避すれば、男は続けて反撃の一手を講じる。
「――泥魔法・触手」
詠唱も束の間、ドニーの前方から現れたのは三本の触手。高粘度の泥で形作られたそれは、確かな速度をもってナミアスを目指した。
ナミアスは迷うこと無く魔法銃の照準を合わせ、触手の一本を撃ち抜いた。放たれた弾は触手の先端と衝突し、それを破壊するも、触手は直ぐに再形成されることで再生する。可塑性の高い物質の発現魔法たる強みが、ここで頭角を現した。
銃は懐へと帰る。ナミアスの判断は早かった。行使したのは、風魔法・斬撃。
束の間、泥の触手は風の斬撃によってキューブ状に砕け散る。魔法弾に攻撃速度で劣りながらも、攻撃範囲と破壊力に勝る斬撃は、より効果的に触手の修復を妨げた。
しかし泥中の変態は先を往く。男は触手を稼働させながらも、並行して泥魔法・潜伏を行使し、既にナミアスの背後を奪っていた。
地中から飛び跳ねたドニーは、そのまま強烈な一蹴りを放つ。ナミアスは咄嗟に振り返り防御姿勢をとったが、不意の一打に体勢は揺らぎ吹き飛ぶ。
ドニーは畳みかけるべく、吹き飛ぶナミアスへの再接近を開始した。しかし望んだ更なる一撃は、虚空へと費える。
ナミアスが選んだのは、風魔法・飛行による緊急離脱。空への逃亡は、隙の生まれた局面を更地へと戻す。
「――やはり風魔法は手強いねえ」
トファイルに零した声へ、ヴァレンが反応する。
「でも発現魔法の最強格は、雷魔法なんでしょう?」
「風魔法が最強格だと考える魔導師も一定数いるもんだよ。風魔法の目に見えない高威力な攻撃は勿論だけど、何より恐ろしいのは空中における自由度の高さ。空中で重力に逆らって行動できるのは、それこそ風魔導師か念魔導師くらいだろうね」
「念魔導師?」
「おや。念魔法、知らないかい?」
玲奈は、ここぞとばかりに二人の会話へと参戦する。
「念魔法というのは、物体や術者本人に運動エネルギーを付加する魔法ですね。確かフェイバルさんが、王都マフィア掃討作戦中にその使い手と交戦していたはずです」
ギルド書庫に通い詰めることで培った知恵は、伊達では無い。ヴァレンは素直に玲奈の知識を賞賛した。
「へぇ、レーナさん詳しいのね……!」
トファイルは気前よくそこへと付け足す。
「念魔法は、付加魔法の一種。付加魔法の最強種は強化魔法というのが一般論だけど、私の知る最強の魔導師は念魔法の使い手だよ。まあ、それ以外に発現魔法も扱う双魔導師だったけど」
玲奈はふと思い当たるところがあったので尋ね返す。
「……最強? またまた最強? 魔天楼さんじゃなくて……ですか?」
「うん。まあ詳しい話は長くなるから、またいつか。とにかく今は、彼らの戦いを見守ろうじゃないか」
No.140 発現魔法における最強種の議論
発現魔法の最強種は長年議論されているが、その見解は大きく分かれる。速度と攻撃力を併存した雷魔法を最強種とするのが最も有力な見解であるが、風魔法や毒魔法、水魔法とする学説もある。また、魔法属性同士に相性があることを理由に、最強種を一概に決定することは出来ないと結論づける見解も見受けられる。