139.王都の外に生きた者たち **
「――それで、見には行かないのかね?」
一杯の水を飲み干したフェルマはふと尋ねた。アンヤはカウンターに肘を突いたまま、ただ淡々と回答する。
「そりゃあ、魔道四天門の話か?」
「それ以外に何があるってんだ」
「……行かねーよ」
フェルマにとって、それは想像に難くない答えだった。
「なんだ。一人息子が頑張ってるのに、見に行ってやらないのか?」
「勝手にやらせとけばいーんだ」
「そういうものかい。俺は息子の魔法なら何度だって見ていたいし、俺のライヴには何度だって息子を連れて行きたいもんだが」
「知らねーよ。ウチとそっちじゃ方針が違う。ただそれだけだろ」
フェルマはその痛快な文言に笑う。目の前の女の頑固で真っ直ぐな性分が、まだ健在であることを知ったから。
アンヤはそれを見て眉間に皺を寄せた。
「ったく、何がそんなにおかしい」
ここで男は突然にも、ふと話を筋へと戻す。
「……明日だ」
「何の話してんだ」
「ナミアス=オペロット対ドニー=マファドニアス。俺のガキとお前のガキ。どっちが強いか」
アンヤは暫し黙り込んだ。しかしそれは、息子の勝利に確信を持てぬ不安の表れではない。
自然と彼女の口角は上がる。そして雄弁に語った。それは目の前に映る男が、かつて籍を置いたギルドのマスターであろうとも。
「うちのバカ息子は負けねーよ。あいつは、国選魔導師になる男だ」
「なんだなんだ、言ってくれるじゃないの」
「仕方ねーだろ。あいつが自分でそう言ったんだ。ガキの言ったことを最後まで信じてやるのが、親ってもんだろう」
そのときフェルマは、ただ呆然とアンヤを見上げた。そしてその突然の沈黙に、またアンヤが怪訝な表情を浮かべたところで、男は耐えきれずに吹き出す。
「いやーそうだよな! やっぱそうなんだよ!!」
アンヤは酒の入ったグラスを叩きつけるように置くと、男の嘲笑へ反抗するように身を乗り出した。
「な、なんだよ!?」
「いやぁ、すまんすまん。やはり人は変わるものだなぁと思ってな。ガキが出来るのも、老いるのも、やっぱそんなに悪いことじゃないらしい」
ギルド・ギノバス近郊にて。深夜になろうとも、いまだ灯りが消えぬ邸宅は、ツィーニア=エクスグニルのものであった。
床にあぐらを掻いた彼女は、目前に並べた愛剣の手入れを続ける。普段通りであれば、その大小異なる三本を磨けば全てが済むのだが、今日に限っては、加えてもう一本の予約が入っていた。
「……すいません師匠。こんな忙しいときに」
その剣は、ムゾウ=ライジュの得物であった。
「いいのよ別に。元々こっちの予定が先で、後になって魔道四天門の仕事が入ったんだし」
ツィーニアは手を動かしながら淡々と応じる。まずは己の愛剣・ヘブンボルグから。
「……そうですか。であれば、ありがとうございます」
向かい側で正座するムゾウは、彼女の手元をまじまじと見つめる。剣の扱いはそこそこ長い彼であっても、いまだ魔法剣の整備や調整においては、見習うべき箇所が多く残されている。
ムゾウは整然と並んだ刀剣を前にふと呟いた。
「装備品が多いと、やはり整備にも一苦労ですね」
「……そうね。腕が二本しか無いのに三本も剣を持つ剣士なんて、相当な変わり者だから」
数十分が経過すれば、ついにツィーニアは最後の一刀を持ち上げた。それはムゾウの愛剣・夢幻泡影。通常の魔法剣より微かに湾曲したその刀身は、特にミヤビ式刀剣と分類される。
ツィーニアはその日本刀に近しい剣をまじまじと観察しながら呟いた。
「……ホルトでの戦闘を終えても、まだ傷一つ無い。ミヤビの剣ってのは、本当に丈夫なのね」
「ええ。ミヤビの職人に伝わる、秘伝の製法が応用された魔法剣ですから」
ツィーニアはその剣から、ふとある言葉を連想した。
「確か……サムライ。そんな呼び名だったかしら」
「はい。侍はミヤビの誇り高き武人。時代が違ったなら、私も目指していたかもしれません」
「あら、もうミヤビにサムライは存在しないの?」
「侍とは君主の為に命を捧げるべく刀を握った者たち。大陸戦争でミヤビの君主たる将軍が討たれて以来、本当の意味での侍は存在しません。警察組織の雅鳳組は、確かに伝統的なミヤビ式刀剣で戦う一軍ですが……自分は彼らを認めません」
ムゾウの声は、僅かに沈んだ感情を孕んでいた。ツィーニアはまだ彼の事情を知らなくとも、その心境へ深く介入せずに受け流す。
「自治区ミヤビと王都・ギノバス。相容れぬ文化を持つ土地だからこそ、確執が生まれるものね」
「はい。現にミヤビは、駐在騎士団が置かれていない唯一の都市ですから」
「それで親交を深めるべく始まったのが、ギノバスの貴族の娘を積極的に嫁がせる取り組み、という訳だったかしら」
「そうですね。しかし血の繋がりだけでは、風土の繋がりを結びつけるに至らないようです」
「ミヤビ出身のあなたがギノバスに出てきたのは、せめてもの架け橋になりたかったから。とか思ってたりするの?」
「……少しは思い当たります。もしも自分がゆくゆく国選魔導師になったならば、強固な架け橋になるでしょうし」
ムゾウは少し改まった口調で続けた。
「ミヤビに住む人間は己の文化に誇りを持ち、同時にそれが廃れることを恐れています。故にギノバスへ反感を持つ人も多い。自分にも少なからずあったそんな迷いを振り払うために、自らでギノバスを知る必要がありました」
「……そう。あなたのような立派な人間が、きっと世界を良い方向へ傾けるのでしょうね」
そしてツィーニアは手入れを終え、刀身を鞘に収めて静かに床へ置き戻した。
「あなたの剣はいつも通り問題無し。さ、もう遅いし帰んなさい」
ムゾウは正座のまま一礼し、愛剣へと手を伸ばす。
「夜遅くまでありがとうございました」
腰にその剣を差し直せば、颯爽と立ち上がった。
「それでは失礼します。おやすみなさいませ」
No.139 ナミアス=オペロット
黒髪でポニーテールを結んだ上機嫌な男魔導師。二四歳。ギルド・ウィザーデン所属。颶風の射手の異名で知られる有力な魔導師であり、ギルド・ウィザーデンのマスターであるフェルマを父に持つ。
行使する魔法は風魔法と音魔法。魔法銃の弾丸へ追い風を乗せる独自の銃術を編みだし、故に遠距離戦を得手とする。