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Just-Ice ~明星注ぐ理想郷にて~  作者: 福ノ音のすたる
第8章 ~魔道四天門編~
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138.蓮華に歌を **

 背後を奪ったドニーは形勢逆転の一手に踏み切った。

 「泥魔法・拘束(ロック)……!」

詠唱から束の間、イグの足元には魔法陣が展開される。そして間もなくして、巨大な泥の球体はイグを丸々と包み込んだ。粘性の高い泥は、敵の拘束において比類無き力を発揮する。

 それでもイグには、突破口が残されていた。次の瞬間、泥の球体は内部から破裂して呆気なく崩れ去る。またしても、彼女の掌へ備わった魔法銃が奮った。

 「洗濯代……出してくださいよ……!」

 飛散する泥でいまだ視界が晴れぬ中、イグは再び距離を詰める。ドニーは為す術無く、また彼女の土俵へと引きずり込まれた。

 戦況は肉弾戦へと舞い戻る。鞭の如く自由にしなるイグの両腕は、ドニーをもってしても防ぎ切るのは至難。人間の腕では構造上不可能な方向から繰り出される拳が、着実に戦闘の流れを変えた。

 イグの止めどない連撃は、ドニーが魔法を行使する為の隙さえ奪う。仮に後方へ引き下がろうとも、強化魔法・俊敏(アクセル)からは逃れられない。地下へ潜ろうとも、また魔法銃の餌食だろう。黒の進撃は、もはや男を絡め取っていた。

 そしてイグの掌底は跳ね上がる。その一撃は、ついにドニーの胸を穿った。逆流する血液と共に、男は後方へと吹き飛ばされる。崩れた体勢は、更なる大きな隙を生んだ。

 イグは追撃を仕掛けるべく、また冷酷に距離を詰める。しかしその僅かな攻撃の小休止こそ、ドニーが縋った契機。敵から離れられないのであれば、敵が離してくれるのを待てばよいのだ。

 イグは好機を見て駆け続けた。力強い踏み込みで地面を蹴り上げ、いまだ空中に漂うドニーを狙う。しかしそれが叶うのは、踏み込むための地面が堅牢であればの話だ。

 昨晩の雨で少々泥濘んでいることは、イグにも理解があった。それでも彼女の足は、ふとした瞬間に液状化した地面へと引きずり込まれる。濡れた土と一見違わぬそこは、小さな泥の沼。粘性の高い泥は、ついにイグの土俵を崩した。

 泥魔法・(トラップ)。地味な戦術であることは否定出来なくとも、そういった手法こそが戦闘の命運を分かつ。ドニーには、その教えがあった。

 ついに着地した男はすかさず体勢を整え、攻勢へと転じるべく魔法陣を展開した。泥魔法・触手(テンタクル)から放たれた一撃は、真っ直ぐにイグを目指す。

 足を拘束されたイグは、向かい来る触手に掌をかざした。備え付けられた魔法銃を使うのは、至って自然な策。しかしここで、またも想定外が彼女を襲う。

 「……は?」

 ここぞという局面で、魔法銃は不発した。イグはすぐに思い当たる節へとぶつかる。それは僅か数分前、泥魔法・拘束(ロック)へ対応した一幕。当時は確かに窮地を脱したものの、今思えばそれ以降から、妙に両腕へ重みがあった。

 ここでようやく合点がいった。銃口を塞いでいるのは、男の魔法から生み出された高粘度の泥の塊。男の繰り出してきた技の全てが、この瞬間の為の布石だったのだ。

 触手がイグを穿つ寸前、それは側方から飛び込んだツィーニアの魔法刃によって切断される。束の間、模擬戦闘は終結を告げられた。この日を制したのは、ドニー=マファドニアス。




 両者を称える拍手が鳴り響く中、真剣な眼差しを崩さぬ観戦者は一人そこで呟く。

 「泥魔法……(トラップ)

 女の名は、ロコ=チェニア。先日の模擬戦闘で負った傷も完治し、次なる日程に向けて偵察に訪れていた彼女は、ドニーの戦法に関心を寄せる。

 「……同じギルド・ギノバスであるなら、なおさら負けるわけにはいかない」

そして彼女は、広場の中央部から背を向ける。得物である魔法杖を堅く握り、颯爽とそこを去った。




 そして盛況の昼は過ぎ去り、魔道四天門は二日目の夜を迎える。繁華街から少し外れた小道には、肌身離さない楽器の眠るハードケースを抱えた男の影が揺れ動いた。ギルド・ウィザーデンのマスターを務めるフェルマ=オペロットには、向かうべき場所がある。

 男は古びたパブの扉を開く。店名は、蓮華庭(ロータスガーデン)。そこはドニーの母・アンヤが経営する店である。

 店内から毎日の喧騒は聞こえない。男の一声が、漂う静寂を破る起算点となった。

 「――久しいじゃねーの、アンヤ」

 休業日であることを分かったうえで訪れた。静まり返った店内に、男の低い声が響く。一人カウンター席でグラスの氷を転がすアンヤは、背を向けたまま若干の気まずさを噛みしめるように応答した。

 「……マスター」

 「お、声だけで俺だと分かってくれるのかい。歌い手冥利に尽きるってもんだ」

 「……ええ。随分と年を食った声になってますけどね」

 「しゃーないだろ。どんな魔導師でも、時には抗えない」

アンヤは少し口元を緩めて振り返った。目の前には、見慣れていたはずなのに、やはり皺が増えた男の顔。夜でも外すことのない黒眼鏡だけが、昔と相変わらずだった。

 一方でフェルマは、年にそぐわぬ程に若々しい彼女を見てふと呟く。

 「なんだ。お前は全然変わってないみたいだな。どうやったら老いを隠せるのか、教えて欲しいもんよ」

 「知るかよ」

アンヤは雑な返事と共に立ち上がる。カウンター席から離れれば、その席の向かい側へと立ち、適当な酒瓶を掴む。休業日とはいえ、その珍客をないがしろにする訳にはいかなかった。

 しかしそんな思いと裏腹に、フェルマはアンヤを制止する。

 「ああ悪い。酒は控えてるんだ」

 「あ、そうだったか。どこか悪くしてるのか?」

 「嫁からの命令だ」

 「……へぇ。破天荒な音楽家も、随分と律儀になったもんだ」

No.138 イグ=ネクディース


 丸眼鏡を身に着けた小柄な女性魔導師。二五歳。ギルド・ダストリンでは随一の実力を誇る。普段はゆったりとした大きめの服を好んで着用することで、装甲魔法具による武装を隠匿している。

 行使する魔法は、強化魔法と護謨魔法。強化魔法を纏う身体能力と護謨魔法による自由自在な打撃で肉弾戦を得意としたうえ、装甲魔法具による搦め手を駆使して戦闘を支配する。

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