136.小雨の降る夜に **
ロコを確実に捉えた魔法弾は、側方から飛び込んだ短剣によって相殺される。その攻撃が致命傷に至るものと見たツィーニアが、投擲により模擬戦を終結させた。
戦い抜いた双方の元には治癒魔法を会得した騎士らが駆け寄る。激戦を経た二人の魔導師の治癒は、その場ですぐに開始された。
玲奈は塞いでいた耳からようやく手を離す。魔法陣の直線上に居なくとも、それは凄まじい音圧だった。その証拠に、耳の違和感はいまだ鮮明に残る。
玲奈は思わず声にして零した。
「……嘘でしょ……何なのよあのイカれた魔法……」
ダイトは顔をしかめたまま呟く。
「音魔法……あんなの間近で使われたら、回避のしようがありませんね」
颶風の射手・ナミアス=オペロット。そしてその名からは窺うことのできない搦め手、音魔法。観戦者はその驚異的な魔法に釘付けだった。しかしそれはただ一人、トファイル=プラズマンを除いて。
「……いやはや、ナミアス君は賢いねぇ」
ヴァレンはその呟きを耳にする。妙に含みのある言葉が引っ掛かり、彼女はふと尋ね返した。
「どういう意味です?」
「彼にとって、音魔法はいわば切り札。そんな切り札をここ一番で切った。これから対峙する二人の中で、恐らくは最も格上の相手にね」
その日の晩は、小雨の降る夜だった。舞台はギノバス王立病院。長らく昏睡状態にあったフェイバル=リートハイトは、ようやく意識を取り戻した。
「……ありぇ」
思い返せば、あれほどまでの激戦は随分と久しい。クレント=ズニアとは、国選魔導師をもってしても恐ろしい敵であった。死戦の記憶が、まだ明瞭に思い出せる。
「……やっと起きたよ。まったくもう」
気づけば傍にはセイカが控えていた。あからさまに疲弊している様子から、きっと直前まで治癒魔法を行使していたのだろう。
「お前は……セイカ……だっけか」
「あんたを地獄から引き上げた治癒魔導師の名前なのに、まだ覚えてくれないの。失礼な奴だな」
「なんで地獄に落ちる前提なんだ。せめて天国連れてけ」
空気はどこか浮ついているが、セイカは語気を改める。まだ若くとも、一人の治癒魔導師として端的に状況を述べた。
「連日の解毒魔法の甲斐あって、とりあえず毒は粗方抜けたよ。ただ、魔法負荷を初めとした体へのダメージがまだかなり残ってる。つまり、もうしばらくは安静ってこと」
「そうか……世話掛けたな」
「……いくら何でも初めてだよね。君があそこまで死にかけるなんて」
「まぁ、それもそうだな。街中だから使える魔法の規模にも制限があったし、ちと厳しかった」
「……聞いたよ。民間人も魔導師も……騎士も、それはもう山のように死んだ」
フェイバルはそれに頷かず、どこか顔色の晴れないセイカを伺う。
「……なんだ。ラブリンに知人でも居たか?」
「いや。ただ姉が王国騎士団に所属してるってだけ。あの子ドジなとこあるから、いつかそういう作戦に参加するのだと思うと、ちょっと怖くてね」
「そっか。姉ねぇ」
「もう長らく会ってないんだ。だいぶ忙しいみたいで」
「いくら忙しいからとはいえ、同じ王都に居てそんな会えないことあるもんか?」
「ボクの家、治癒魔導師の家系でさ。姉は騎士になる為に家飛び出していったの。だからやっぱあの子からしたら、ボクとも会いずらいのかなっーて」
「なるほどねぇ。いろいろと込み入った事情がある訳か」
そして男は気恥ずかしさを紛らわすように、寝返りながら呟く。
「まー、会えるうちに会っとけや。人間の時間ってのはそう長くねぇ。一応、人生の先輩からの忠告だ」
セイカはしばし男を見つめると、噴き出すように笑った。
「ふふふ、痛み入るよ」
「なんだろう。すっげー馬鹿にされてる気がするぜ」
そしてフェイバルは逃げるように話題を変える。そういえば彼には、一つ気掛かりなことがあった。
「そ、そうだ。まだ目覚めないのか、あの人」
「あの人? ああ、オリハさんのこと?」
オリハ=アダマンスティア。それはフェイバルの弟子・ダイト=アダマンスティアの母。オリハは病弱ながらも、愛する息子を生かすべく命を尽くしたのだ。
セイカは沈んだ顔で呟く。
「彼女は、まだ駄目みたい。かれこれ何年も治癒魔法を尽くしてるけど、まだ一度たりと目は覚ましてない」
「……そうか。長いもんだな」
そのときセイカはふと立ち上がった。確信は無くとも、病室の扉へ向かいながら決意を述べる。
「ボクが、絶対になんとかしてみせるよ。だって人間の時間は、そう長くないからね。オリハさんも、ダイトも。ボクも君も」
「……ああ。そうだな」
ふと思い出したかのようにセイカは尋ねた。
「あ。君が目を覚ましたってこと、連絡しておこうか? レーナたちに」
「いらねー。まだ人に会うには無様だ。もっとマシになってから会う」
「……そう言うと思った。でも君を王都まで搬送してくれた騎士の人たちには、早いうちに感謝しとくんだよ。ラブリンの病院に解毒の使い手が居なかったから、治癒魔法の使える騎士が順番に君を延命してここまで運んだんだって。ここまで着いたとき、みんな魔力負荷で血塗れだったんだから」
「それは……分かった」
ギノバス某所のとある宿屋。どこか眠たげな顔つきをした女性は、ぼんやりと夜のギノバスを丸眼鏡に映す。
「……きれい」
王都を訪れたのは昨日が初めてだった。二日目の夜はあいにくの雨だが、それさえも彼女には新鮮に映る。
「明日は地面、泥濘んでるのかな。やだな」
そして彼女はおもむろに立ち上がる。眼鏡を外して照明魔法具を消すと、室内は一気に暗闇へ支配された。
「……王都の夜景に魅入るのも悪くないけど、もう寝よ」
宿屋の一室から灯火が消えた。そしてまた、次の朝が訪れる。
No.136 治癒魔法
外傷を癒やす付加魔法。精神に作用するものや解毒については、秘技魔法の領域を要する。魔法陣の色は緑色。