134.颶風の射手 **
開けた裏庭の中央に二人の魔導師が立った。
「――お手柔らかに頼みまっせ」
男の名はナミアス=オペロット。音の都・ウィザーデンに位置する魔導師ギルドのマスターを父に持つ、恵まれた血筋の魔導師。
観客席のトファイルは、そのサラブレッドの佇まいを目にしながらドニーへと呟く。
「……フェルマ君の息子。向こうでの通り名は、颶風の射手。また厄介な相手だねぇ、ドニー君や」
「なーに。通り名なんて格好つけやがって。そういう呼ばれ方が定着すると、魔法の戦法が丸見えになってありがたいぜ。あいつも大方、風魔法と魔法銃を絡めた使い手ってとこだろ」
トファイルは、ふと顎へ手を当てる。
「あれ? 君も名が立つようになって随分経つし、確かどこかで通り名を囁かれていた気がするけども」
「んえ?」
颶風の射手・ナミアス=オペロットの前に立ったのは、杖を握った黒髪の女性だった。玲奈と似たボブヘアーに、どこか冷ややかな印象を抱かせる顔つき。しかしその冷たさは、ツィーニアのような深い闇を帯びたものではない。ただ情に薄く理知的、といった印象だろうか。
「……お手柔らかにお願いします。颶風の射手さん」
ナミアスは己の通り名を聞き、少しばかり驚いた。
「あれ? 俺のことをご存じですかい。俺はまだまだ地方ギルドの非凡な魔導師だってのに、光栄ですぜ」
「ええ。ギルド・ウィザーデンの有望株だと存じてます」
「……でもって申し訳ないんだけどさ、お名前を伺っても?」
「ギルド・ギノバス所属、ロコ=チェニア。まだまだ魔導師の端くれですが、何卒」
ロコは社交辞令のように無感情に語る。対照的に、ナミアスは柔らかく応答した。
「ロコちゃんね……覚えた」
「ええ、どうも」
耳の良いダイトは会話を聞き取ると、意外そうに呟く。
「あれ。あの女性もギルド・ギノバスからの選出みたいですね。ギノバスからは二人も出場ですか」
トファイルは妙に自信気な顔つきで応える。
「ふふふ、ギルド・ギノバスの規模は大陸一だからねぇ。そりゃあ優秀な魔導師が集うわけよ」
玲奈はそれとなく尋ねた。
「んじゃ、マスターはあの子のことご存じで?」
「もちろん。彼女はまだ二二歳だけど、そりゃ凄まじい腕前だよ」
「二二歳……私と同い年……」
戦場に立つ二人は騎士の案内のもと、定位置へと移動し互いに距離を取った。騒々しい会場は一気に静まり返り、そこは異様な緊張感が支配する。間もなく模擬戦が始められることは、誰の目にも明らかだろう。
二人の魔導師は互いを鋭い眼差しで突き刺し合った。国選魔導師の登竜門へ臨むにあたり、それはまさしく譲ることの出来ない一戦。己の技量を披露し、いずれは騎士の推薦を勝ち取る為。たとえ模擬戦であろうとも、命を奪うような一手を躊躇ってはならない。
そして静寂を打ち砕くように、一発の銃弾が天へと放たれた。騎士の放ったそれは、試合開始の合図。
「……強化魔法・俊敏。剛力」
口火を切ったのは、ロコの強化魔法。流れるように付加魔法を自身へ行使すると、杖を片手に接近を試みた。
ナミアスに先程までの愛想は無い。彼は冷静に敵の出方を窺う。
ロコは間合いに侵入すると魔法杖を振りかざした。強化魔法を活用した近接戦はありきたりながらも、それを持たざる者からすれば確かな脅威。この刹那だけであれば、ナミアスに分が悪いのは必然である。
しかしそれだけで勝負が決する平凡な戦闘は、彼らの領域で起こり得ない。ナミアスが近接戦から離脱すべく選んだのは、快晴の青空だった。
風魔法・飛行は名の通り、人間へ空の旅路を拓く。ナミアスは風に乗って空へと舞い上がり、ロコは地上へ一人取り残された。
すかさずナミアスは腰に手を回す。得物は拳銃型の魔法銃。凄まじい早撃ちの技術は、彼を強力な魔導師たらしめる。
ロコは空からの攻撃を咄嗟に回避した。魔法弾は続けざまに放たれるが、それだけの回避であれば俊敏を行使する彼女に容易い。
それに戦闘を幾度か乗り越えた魔導師ともなれば、魔法弾の速度にはすぐに目が慣れる。彼女もその例外では無い。
しかしながら、ナミアスの弾は徐々にロコを掠め始めた。彼女はその違和感を察知する。
「……弾速が、速まっている」
魔法銃を用いた射撃と、風魔法・放射の連携術。追い風に乗った魔法弾は、驚異的な加速をもって対象へと襲い掛かった。自由自在な弾速が生む回避困難な攻撃は、ロコの経験を凌駕した。
しかし彼女の順応力も引けを取らない。弾丸は掠りさえするものの、確実に急所を避けてかわし続ける。いくら弾丸が放たれようと、それが致命傷に至ることは無かった。
そして戦況が膠着状態へ陥ろうとする中、ついにロコはナミアスを再び大地へと引きずり落とす策へと移行する。
ナミアスが突如として覚えたものは、頭上からのただならぬ圧迫感。次第にその感覚は、体勢を維持することができない程の重さへと豹変する。何の魔法を仕掛けられたのか確認するべく視線を上方に向けても、彼の目には何も映らない。意図せずして高度を下げられたナミアスは、ついに地上へと押し戻された。
ナミアスが着地したとき、その重量感は忽然と消える。彼は視界の正面にロコを捉えつつ、その女の不可視の魔法を分析した。
「……諜報魔法……では無いな」
ロコは応じない。涼しい顔のまま、魔法杖を一振りした。間合いにかなりの距離があろうとも、ナミアスを襲うのはまたも目に見えぬ一打。横薙ぎは確かな威力を宿し、男の脇腹を穿った。
咄嗟の受け身が功を奏し、男は吹き飛ばされようともすぐに体勢を維持する。それでも女の魔法の正体について結論は導かれず、打開策はいまだ見えない。そしてそれは、観戦する多くの魔導師たちにも同じだった。
No.134 魔導師の通り名に関する傾向
国選魔導師はもちろんのこと、ギルド依頼による実績が積み重なり名を挙げた魔導師は、いつしか通り名で語られるようになった。また命名については、王都新聞の記者による影響が大きいとされている。