130.真実は闇へと堕ちる **
夕刻。第一師団から派遣された部隊は、エンジ村跡地から王都へ帰還を果たした。厳戒態勢下で王国騎士団本部へと到着すると、件の男は速やかに地下牢へと投獄される。淡い光が点々と灯るだけの地下層にて、ライズは柵越しの塔主と呼ばれる男へ忠告した。
「日が変わった頃には誘惑魔法の扱える騎士が本部へと戻る。全てを吐くまでは、治癒魔法で生きながらえてもらうぞ」
男に応答は無い。しばし沈黙が続くと、ライズは颯爽とその場を後にした。
革命の塔の生き残りであるエルは、騎士の見張りこそあるものの、一旦は王都の外れにある空き家へ身を置くこととなった。彼女は魔導師裁判の被告人として、間もなく訪れる裁きの時を待つ。
与えられた空き家の居心地は悪くなかった。新しくはなくとも、どこか味のある家具が並び、生活に必要な魔法具も粗方は揃っている。
エルはソファに腰掛け、ただ呆然と俯く。茶葉があったのでそれを淹れたいところだが、目の見えない彼女にはそれさえ叶わなかった。
己を縛り続けた拘束具は外れたのというのに、光の失われた自由はそれ以上の枷だった。生きて償う。そんな大口を叩く以前の問題だったのかもしれない。身寄りの無いままに王都へ連れられた彼女には、一人で生きることさえ困難極まりなかった。
孤独に蝕まれていたとき、ふと彼女の耳は聞き慣れぬ声を拾う。
「……やあ、洗脳魔導師の人間さん。ご機嫌いかが?」
随分と軽率な男の声に聞き覚えは無い。ただそれ以前にエルは咄嗟の出来事へ恐怖し、思わず小さな悲鳴を漏らした。目が使えないぶん音には敏感だったはずなのに、その者の接近には全くもって気付けなかったのだ。
「だ……誰……!?」
声の主は畏れる彼女を気にせず続ける。
「君さ、もうその魔法を使わないの? 君の力があれば、まだ世の秩序を再構築できるかもよ?」
エルはようやく息を整えた。少し落ち着いたところで、彼女は真摯に応答する。
「使いません。魔導師裁判が終わって一段落つけば、この穢れた目玉を何としてでも摘出するつもりです。それに私の眼球が研究されれば、未知の魔法の正体に近づける……かもしれません」
「……そっかあ」
納得したような返事では無かった。しばしの沈黙が、場に不穏な空気をもたらす。
そして声の主は、突拍子も無くまた言葉を綴った。それはかつて、誰かが唱えた文言と一致する。
「……魔法とは愛。魔法は穢れを払い、世を正す。死とは贖罪。死して人は償い、終を迎える」
ジェディト教典。それは彼女の信じるグリット教に相反するもの。ここで彼女は、前に立つ者がジェディト教の狂信者と推測した。
声の主はまた浮ついた口調で語りだす。
「君は……いや君たちと言うべきかな。君たちは世を正すべく、その力を手にした。そして残念なことに、その力を持ってしてもやり遂げることはできなかった」
「力を持ちし者には、それをもって何かを成す義務がある。つまり力ある者が何も成さないことは、罪だ」
そして声の主は、繰り返すように聖典をなぞった。
「死とは贖罪。死して人は償い、終を迎える」
エルはささやかながら反論する。
「……私はグリットの教えに従い生きてゆきます。死とは救済。穢れた私に、まだ救われる資格は無い」
それを聞いた声の主は、こそこそと笑い声を零した。エルにはその感情が何を意図するのか分からない。
そして次の瞬間、彼女はその不可解な感情の結論を知ることとなる。声の主は、笑みを含ませて語った。
「――洗脳魔法は、ジェディト教の教祖が作り出した魔法だ。その魔法を一度手にした時点で、君の信じる教えは一つに決まっている」
エルの思考は止まった。それが虚言であることを疑うこともせず、ただ早まる鼓動だけに聴覚が支配されてゆく。
声の主は更に付け加えた。
「ニットリア=トラジェディト。数百年も前に地上へ降りた天使の名だ。いや降りたってのは語弊があるか。正確には堕ちた」
「――そして何を隠そう、それは僕の名前だ」
「ま、詳しいことはどうでもいいや。とにかく君がその魔法を手にしてしまった時点で、もう君はジェディトの教えから逃れられない。さっきの答えに撤回が無いのなら、裁きは直ちに執行される」
エルは黙り込んだ。意図して黙ったというよりも、黙らざるを得なかった。妙に信憑性のある口調で語る男の声が、頭から離れない。
そしてその沈黙は、必然的に黙認として解釈される。
「……そっかぁ。なら、逝ってらっしゃい」
エルの体は、風船が破裂するように弾け飛んだ。
翌日。王都・ギノバスは突如として起こった怪事件に騒然とした空気で包まれる。またしても発刊された号外には、こう刻まれた。
――革命の塔掃討作戦の重要参考人であるエル並びに革命の塔指導者と見られる男が、未明に遺体となって発見された。遺体は損壊の激しさが一致しており、同一犯と想定される。
「……やられた。事態は考えうる中で最悪だ」
王国騎士団本部第一師団棟にて。ライズは失態を悔いる。潰されるような重い空気の流れる中で、彼以外に語り出すことができる者は居なかった。
「……何故だ。何故騎士の護衛がある地下牢に居た人間を、誰にも気付かれずに殺すことができる……? 何故だ……!?」
ライズは声を荒げる。そこに居合わせたどんな古株の騎士でも、これほど冷静を欠いた彼の姿を見るのは初めてのことであった。
そしてそれはつまり、第一師団・ライズ=ウィングチューンの誇る先見の明をもってしても想定されなかった事態の発生を意味する。まさに人智を超えた力が、人間へと干渉したのだった。
No.130 洗脳魔法
術者が瞳を介して付与することで、他者を意のままに操作する魔法。術者が『○○に従え』という旨の命令を下すことで、操作権限を譲渡することもできる。また術者と他者の魔力容量の差による無効化も確認されていることから、誘惑魔法の完全上位種と言える。