12.禁忌の秘薬
魔道を一歩歩んだのも束の間、沈んだ日はまたすぐに昇った。
フェイバルと玲奈は、早朝からギルド・ギノバスへと足を運ぶ。予定の時刻よりも早くギルドに到着した二人は、目覚ましがてら温かい飲み物を口にした。
どうやらこちらの世界にも、焙煎した豆から飲み物を作る文化があるらしい。玲奈はかつて職場で愛飲したコーヒーを思い出す。とはいえそれだけではカフェインが物足りず、別のドリンクへ手を伸ばすのが日常だったので、決して良い思い出ではないのだが。
勝手に一人で萎えていると、待ち人は直ぐに現われた。真っ直ぐと歩み寄ってくるのは、二人の若き魔導師。
「――フェイバルさん! おはようございます!」
「――おはー! フェイバルさんが遅刻しないなんて、珍しいですねえ」
白髪の青年とは、以前に一度出会っている。名はダイト=アダマンスティア。フェイバルの弟子という紹介を受けたはずだ。しかしその一方で、ダイトの隣にいる金髪の女性には見覚えが無い。どこか妖艶なオトナの女性というのが、玲奈から見た第一印象だった。
フェイバルはカップを乱雑にテーブルへ戻し、親しげな口調で語る。
「よお、おめぇら。また今日もいろいろ頼むぜ」
金髪の女性はやや食い気味に返答した。
「フェイバルさぁん。この娘が前言ってた、新しい秘書さんですか?」
「おう、そうだ。名前はレーナ。まだ魔法はからっきしだが、俺の秘書兼ギルド魔導師。ちゃんとギルド紋章も持ってる。でもまぁ現場は今日が初めてだ。右も左も分からんだろうが、今日はお前らも居るし、折角だから同行させることにした」
その女性は突然玲奈にぐっと顔を近づけた。その尋常ではない距離感に、玲奈は気押される。
「ひっ……」
その女の唇は、玲奈の唇へ触れる寸前にまで迫った。初めての経験に、玲奈の思考回路は忽ちショートする。
(え……何この距離? ち、痴女キャラ!? やばい……何かドキドキする……お、おおお、落ち着け私……わ、私にそんな趣味は無い……はず……アレ……意識が……?)
金髪の女性は、妙に吐息混じりの声で話し始める。
「私……ヴァレンっていうの。お嬢ちゃん……よろしくね」
そのときフェイバルがヴァレンを制止する。
「ヴァレン、止めろ」
金髪の女性は少々不服そうにしつつも、大人しくそれに従った。そのときフェイバルは補足するように伝える。
「レーナはお前より年上だ。『お嬢ちゃん』なのは、お前の方な」
「え?」
「へ?」
二人は依然としてとんでもない距離感のまま、同じ反応で見つめ合う。先入観が互いに錯綜していたらしい。
フェイバルはゆっくりと立ち上がり、ヴァレンの頭を鷲づかみにして玲奈から引き剥がした。
「初対面の人間に魔法を使うな、バカタレが」
「えへへ、ついつい……」
ダイトはそんな一騒動も見慣れた様子で、真面目にも時間を案じていた。
「フェイバルさん、時間は大丈夫でしょうか? すいません、自分たちの到着が定刻ギリギリになってしまったので、急がなくてよいものかなぁと」
フェイバルはヴァレンを掴んだまま玲奈へ目配せする。つい最近フェイバルから預けられた懐中時計を確認すると、意外にも時間は押していた。
「……で、ですね。そ、そろそろギルドの外に出ましょうか!」
四人の魔導師はギルドから屋外へと移動した。車両の行き交う大通りの傍で控えた車の運転席には、いつも通りご機嫌な運転手の男の姿。先日に騎士団本部へ赴いた際とは異なる、やや大きな車両だが、男の鼻歌がその存在を知らせてくれた。
玲奈は秘書らしく率先してそこへと歩み寄り、男へ軽く挨拶をする。
「どうもダルビーさん。またお世話になりまーす」
「おうおう、お嬢ちゃん。よかった! まだフェイバルの旦那から逃げ出してなかったか!」
フェイバルは玲奈を押しのけてダルビーの座る運転席の傍に立った。
「おいじーさん。あんたは俺のことを何だと思ってるんだ?」
「フェイバルの旦那、ほら早く乗りな! 現場に遅れちまうぜ!」
清々しいほどに滑らかな無視。フェイバルはやむなくそれへ従った。
四人は速やかに魔力駆動車へと乗り込む。車内には、向かい合った座席に、その間で固定されたテーブルのようなスペース。座り心地は悪くないが、足は伸ばせなさそうだ。玲奈はフェイバルの正面、ヴァレンの横へと腰を下ろした。
ダルビーは行き先までのルートの下調べも万全のようで、有無を言わさず直ぐに愛車を起動させた。
「――そんじゃあ早速、向かうとするぜぇ!」
そして一行の乗る車両は、早々に王都の見慣れた町並みを走り始める。
先日の騎士団本部までの道のりとは異なって、ギノバス中心部から離れる方向へ進む進路。町並みは記憶に新しい貴族とまるっきり違い、やや庶民的で居心地の良い賑わいが垣間見えた。
そんな慎ましい賑やかなさの街を走り抜けてしばらく経ったところで、フェイバルは唐突に口を開く。
「よし、先に依頼内容の確認だけしとくかぁ」
玲奈は適当にそれへ応じた。
「は、はぁ……」
フェイバルは依頼書を取り出し、それをテーブルへ放り出す。懐にしまったせいで皺だらけのそれは、小さく折りたたまれたままでそこへ転がった。このままではわざわざお披露目した意味が無いのに、男はまた話し始める。
「今回の依頼は、未認可の薬品を秘密裏に製造している施設の制圧任務だ。場所は工業都市・ダストリン。現地の騎士団によると、奴らは廃工場を勝手に生産拠点として利用しているらしい」
ヴァレンはふと疑問を呈した。
「それくらいなら、国選依頼じゃない一般の依頼とも遜色なさそうだけど……?」
「早とちりするな。問題は、この拠点が王都マフィアとの繋がりを疑われているってことだ」
途端にヴァレンは納得したように溜め息を零した。一方で玲奈には、彼女の疎ましそうな感覚があまり理解できない。
ダイトは更なる詳細を尋ねた。
「マフィアが別拠点を設けてまで囲う未認可薬品……どんな代物なんでしょうか?」
「恐らくだが――」
フェイバルは王都で発刊されている新聞を開いてテーブルへ放った。ふと流し見る中で、物騒なワードを指差す。
「えーと、そうそうこれだ。先日の、貴族邸宅に突然魔獣が現れた事件。恐らく未認可薬物が元凶だろうと疑われてる」
ダイトは思い出したかのように呟いた。
「あぁ、人間が魔獣になって貴族を襲ったっていう怪事件ですね。そういえば自分も見ました、その記事」
続けてヴァレンが新聞を覗き込む。
「人間が魔獣になるなんて普通あります? それも王都のど真ん中、貴族街で」
フェイバルはそれへ応じた。
「んまぁ、普通に考えたらありえん。ヒトの魔器は他の生き物よりデカいしな」
「ならどうして……?」
そこで彼は顎に手を当て、自身の見解を語る。
「まず予想出来るのは、服用によって空気中の魔力を受容する力が大幅に増強される、つまるところ魔器を強化するような薬物の存在だな。受容する力が強化されれば、魔力消費の激しい魔法をより継続的に使うことで魔法戦闘の結末をひっくり返せるわけだし、王都マフィアが欲しがるのも合点がいく」
「なるほど。奴らの武装としても一役買うわけですか」
「もしその効能があまりに強くて、魔力の自然消費が追いつかなくなるほどに体内へ魔力が集積する。そうすれば、ヒトが都内で魔獣化するってのも折り合いがつく」
魔法に関してであるなら、フェイバル=リートハイトという男は相当頭が切れる。玲奈は彼の論理に納得せざるを得なかった。彼女は素直に関心を露わにする。
「な、なるほど……さすがは国選魔導師」
ただフェイバルはこれほどの詳細な解析を経てもなお、いまだ顔は晴れない。
「……にしても今回の作戦は、相当面倒になりそうだな。あえて最悪の想定をするなら、俺らは人間由来の魔獣と戦闘することになるわけだ」
あまりに深刻な口ぶりなので、玲奈は思わず弱音を零する。
「……何でこんな危険な依頼が初任務なの? というかそういうのって、現地の騎士団が対応してくれないものなの? 警察みたいな感じちゃうの……?」
ちゃっかりそれを聞いていたフェイバルは喰い気味に応答した。
「王国騎士団はまだしも、王都外の騎士にそれは出来ねーな。あいつらは俺らギルド魔導師よりも実戦経験に欠ける。名目上は警察組織だが、結局のところ都外の実戦任務は大抵が魔導師の仕事だ」
「そ、そういうものですか……」
フェイバルは空気を断ち切るように、勢いよく新聞を畳んで話を変える。
「ま、詳しい話はダストリンに着いてからだな。ここからダストリンまでは、まだまだ時間が掛かる。お前ら、あんま気張りすぎんなよ――」
そしてフェイバルは、あまりに気持ち悪い早さで眠りに就いた。それは玲奈が思わずツッコんでしまうほどに。
「は? 嘘でしょ? ほぼ気絶じゃん?」
二人の弟子はその奇行に驚きもせず、何やら打ち合わせを開始した。
「ヴァレンさん、そちら側はお任せしますね」
「ええ。もちろん」
どうやら彼らは車両が都外へ出て以降、魔獣の警戒任務を担うらしい。
玲奈は師匠の遠慮無さにまだ驚きつつも、弟子の役目とはこういうものなのだろうと思い、二人に倣って気を引き締めた。
一同の乗る車は、ついに検問へと到着する。玲奈は実際に検問へ来るのが初めてだったものの、こういった事情はギルド書庫の本で履修済みだ。
王都・ギノバスは外周を高い塀に囲まれた構造を持つ。これらは過去の魔法無き時代における戦争の産物らしいが、現在では王都の外から襲来する魔獣が王都へ侵入するのを防ぐ役割を果たしており、王都から都外へ出る道は、東西南北それぞれに設置された検問に限られている。
依頼書を提示は検問を抜ける証明書の一種。一行の車は、ついに都外へと至った。ここから広い道を走り抜け、今回の目的地・ダストリンを目指す。
王都・ギノバス。貴族街に紛れた、とある屋敷にて。
腰に大きな剣を携えた大男は、机へ数枚の写真を並べた。そこに焼き付いたのは、全て目を逸らしたくなるような凄惨な死体の数々。半身を吹き飛ばされた者。内臓を撒き散らし息絶える者。もはや原形すら無い、肉の塊へと成り果てた者。そして討伐された、大きな魔獣の亡骸。
「首領。堕天の雫による暗殺は、随分と派手過ぎるようですが」
大きな椅子に座った貫禄のある男は葉巻を手に取り、慣れた手つきで火を付ける。
「問題無いな。ウチに刃向かう馬鹿共への見せしめには、丁度良いくらいだ」
そして男は、含んだ煙をゆっくりと吐いた。
No.12 貴族
ギノバス王国時代の特権制度が引き継がれた人々の名称。現在の合議制を礎とした大陸統治において、貴族身分は政治参加するための前提条件となっている。