113.地上の魔法と空の魔法 ***
ギルド・ラブリンの情勢は、天導師に仕えし者・フィロル=バンドリアテの登場で大きく揺らいだ。その男は顔の殆どを包帯で覆いながらも、その上から分かるほどの歪んだ笑みを貼りつけ、ただ不気味にこちらを伺う。
その悪寒が走るような緊張感の中で、フィロルはどこか片言で戦闘の合図を呟く。
「……革命の塔よ、天を穿ち世を導け」
瞬間、ダイトは男から溢れる殺気を鋭敏に感じ取った。敵が長物を持っていることを危惧し、そのリーチを埋めるべくして、鉄魔法・造形で鉄刀を創り出す。
ただしダイトの鋭い推察は、敵の珍策の前に屈する。フィロルはその場で槍を体の正面へ引き寄せると、正面の空間を穿つようににそれを突いた。
無論それは、無意味に隙を作るだけの素振りに他ならない。それでもダイトは、僅か数秒にして違和感を察知した。そのタネまでは分からずとも、彼は側方に飛び出して敵の真正面から離脱する。
闇雲な選択は、魔法戦闘における最大の失策。ただそれはときに、敵の希有な攻撃から己を救う。そのときダイトは、いまだかつて見たことの無い攻撃を目にした。
(槍が……伸びた?)
本来魔法槍の先端に備わった刃というのは、魔法剣の刀身と同様の一品。ゆえに最も普遍的な攻撃手段は、魔法刃の放射であると想定出来る。しかしながらフィロルの一突きは、槍の柄を物理的に伸長させて繰り出されたのだった。
魔法槍は他の魔法具と同様、魔装加工を施されているのが常。その物体に魔法を作用させるには、莫大な魔力量を要する。だからこそダイトにとって、伸長する槍の一薙ぎはまさに、不可思議な一撃であった。
伸びた槍は、次なる攻撃へと繋がる。フィロルは槍を鞭にようにしならせると、側方へ回避したダイトへ再び照準を合わせた。男が体を捻りそれを目一杯に薙ぎ払ったとき、遠心力の乗った槍の柄は、凄まじい勢いでダイトの脇腹を捉えた。
吹き飛ばされたダイトはギルドの扉へと激突し、その扉と共に屋外へと弾き出される。暗いギルドの中には、入口からの光が差し込んだ。
「……レーナさん、ちょっと待っててね」
ヴァレンはダイトが戦線へ復帰するのに時間が必要なことを察知すると、男へ応戦すべくして立ち上がる。すかさず銃を構え、自身に強化魔法を施した。
そのとき玲奈は、負った傷を抑えながら呟く。言葉を発することも出来ないくらい傷が痛むが、それでもこれだけは伝えておきたかった。
「……護謨魔法です。前に……本で読みました……! あいつの槍が伸びるのは……きっと先端の刃以外に魔法装甲が無いから……あれは先っぽ以外、ただの棒きれです!」
しかしヴァレンは早計にも、愛銃から魔法弾を放った。凄まじい速度の早撃ちは、フィロルの心臓を狙う。しかし男は弾速を見切ったうえでそれを気にも留めず、伸びた槍をのんびりと引き寄せながら、悠々と一歩を踏み出した。
弾丸は確かに男の心臓へと直進する。しかし弾丸は、そこに届かない。弾丸は男の衣服を貫くに至ったものの、ゴム状に変質した肉体が、それを弾き返した。
弾丸は真っ直ぐとヴァレンの元へ引き返す。彼女はそれに驚愕しつつも、防御魔法陣で対応した。
弾丸が魔法陣と衝突して朽ち果てたとき、ヴァレンは銃の無力を悟り、それを懐へ収める。その選択はすなわち、肉弾戦を意味した。遠距離戦を得手とする彼女に、格闘の類いの覚えは無い。ただしその選択は、手負いの玲奈へ敵を近付けさせないない為の、唯一の手段であった。
強化魔法・俊敏を纏った彼女は快速に駆け出す。そして最初の拳は、男の腹部を捉えた。それでも男の魔法は、その更に上を往く。フィロルの護謨魔法・装甲は、強化魔法の付加された彼女の拳でさえも容易く弾き返した。
反発した拳は無造作に放り出され、ヴァレンには大きな隙が生まれる。男がそれを見逃すことはなく、手にした槍で彼女を豪快に薙ぎ払った。
ヴァレンは咄嗟に後方へと回避する。しかし放たれた微弱な魔法刃が、僅かに彼女を捉えた。浅く断たれた脇腹からは血が滲むが、それでもヴァレンは怯まずに、また拳を構え直した。
弾丸のみならず、打撃をも無効化する魔法。そのときヴァレンは、己に勝機が無いことを理解した。ただそれでも、彼女は闘志を折らない。それがギルド魔導師として、そして国選魔道師の弟子としての執念であった。
紫の雲から小さな雫が滴る。そしてその雫は真っ直ぐと街へ降り注ぎ、そこを地獄へと変貌させる。そんな運命へ、偉大なる国選魔道師が挑んだ。
集中の極地へ至ったフェイバルは、ゆっくりと右の腕を側方へ展開する。それと同時、ラブリンの空は紫から深紅色に塗り替えられた。
雲をすっぽりと覆うその魔法陣は、街の誰もを釘付けにする。強大でありながら恐怖は感じさせない、不思議な魔力が街を満たした。
そして男はゆっくりと瞼を開く。次の瞬間、右腕を正面へ運び唱えた。
「光熱魔法秘技・爍光――!!」
迫真の咆哮に、魔法陣が激しく呼応する。閃光の対空砲は巨大な魔法陣から幾重にも入り乱れ、紫の雲を削り始めた。爆発的に生じる高熱は、雲が溜め込む毒液を蒸発させてゆく。
フェイバルの魔法は数分に及んだ。そして男の魔法陣が尽きたとき、広がったのは雲一つない空。青の空は、忽ちにして奪還された。
「なんとかなったか……」
しかしながら、その代償は大きい。広大な秘技魔法で消耗した魔力は、たとえ国選魔道師であろうとも負担を覚えるほど。男はその疲労に耐えかね、その場に跪いた。
魔法負荷による出血は無くとも、凄まじい重圧感がフェイバルを襲う。秘技魔法の相殺は、彼にもあまり覚えの無い試みであった。
「……いやーまずいかもな、こりゃ。体が動かん」
大要塞・ラブラの屋根には、その大魔法を鑑賞する者が一人。第一天導師・クレント=ズニア。
男は腕を組み、ただ感心するようにその青空を見つめる。己の秘技魔法が破られたことを憂うことはせず、むしろ男は口角を上げた。それは国選魔道師・恒帝の魔力を削ぐことこそ、彼の目的であったから。
「……作戦通り。お見事です、塔主さま」
これも全ては、男の心酔する指導者の導き。そしてその作戦は、次の段階へと移行した。
「さあ始めよう、恒帝。恒星落としの時間だ」
男は屋根を蹴り上げ、先に見た魔力の発生源へと赴いた。
No.113 ホーブル=アロファロス
黒眼鏡を愛用する陽気な男。二三歳。遠距離射撃の技術を会得しており、天使・カシアを口封じすべく殺害した。