112.衝突する正義 ***
ギルド・ラブリンは本来であれば、まだ営業の続く時間だった。施錠されていないままの扉は、申し訳程度の平穏の痕跡だが、人気を感じさせないほどの異様な静けさがその逆説を唱える。
先頭を往くダイトに続き、玲奈とヴァレンはギルドの入口の正面へと並んだ。ギルド・ギノバスの喧騒を知る三人の魔導師だからこそ、彼らは静寂のギルドからただならぬ違和感を覚える。
「――何か静かすぎません? ギルド・ギノバスが騒がしすぎるだけ?」
玲奈の呟きに、ダイトが応じた。
「……いえ、僕も同じことを思いましたよ」
「……てことは、状況は最悪ってことなのかしら」
「……完全に手遅れだったのかもしれません。ギルド魔導師は既に、ほぼ全員が洗脳魔法の制御下。そして彼らは、俺たちと望まぬ戦闘をする羽目になった。ギルドはもう機能してないとみて、間違い無いでしょうね」
そのときヴァレンは先の戦闘を振り返った結果から、ダイトの推論に齟齬があることを悟る。
「だとしても、私たちここに来るまでで応戦した魔導師だけじゃ、頭数が少な過ぎない? 確かギルド・ラブリンには、相当の人数の魔導師が所属していたはずよ」
「……ならば、まだ別動隊が他の場所へ布陣されているのかもしれません。敵は入念な迎撃態勢を敷いていたわけですね。まるで自分たちが今日、ラブリンへ訪れることを知っていたかのように」
三人は沈黙のまま、ただ扉の奥の暗闇を目に焼き付ける。そのとき決断を下したのは、先頭に立つダイトであった。
「……まだ中で無事なギルド魔導師が居るかもしれません。行きましょう」
玲奈とヴァレンはすぐに頷く。ダイトを前衛に、若き魔導師たちは歩み始める。
屋内へ踏み込むにあたり、ヴァレンはすかさず強化魔法・暗視を付与した。三人は昼間でも薄暗いギルドの中で、確かな視力を手にする。そして重厚な扉は、ダイトの豪腕によって開かれた。
先頭のダイトは慎重に一歩を進める。後衛役のヴァレンと玲奈もそれに続いた。既に引き金へ手を掛けたヴァレンの臨戦態勢を見習い、玲奈もそれを倣う。
広間の右側には、年季の入ったギルド酒場。そして左側には、巨大な依頼掲示板。まだテーブルに残されたままのジョッキと、つい最近貼り付けられたばかりの、傷みの少ない依頼書の数々。残された形跡は、まだそう遠くないうちに人間が活動していた痕跡を物語る。
ダイトは扉を通った正面に位置する、受付の直ぐ前まで辿り着いた。彼がそこで振り返るのに合わせて、二人もまた扉の方向へと向き直り、同時に前衛のダイトへ背中を預ける。ここで前衛と後衛が逆転した。
玲奈は二人も同じことに気付いているだろう思いながらも、自らの推察を語ってみせる。
「……ついほんの最近まで、人が居たみたいですよね」
「ええ。間違いないわ」
「食べ残された料理からまだ異臭がしていないあたり、早ければ昨日、遅くてもつい数時間前、というところでしょうか」
ふと玲奈はダイトの方へ振り返る。そのまま彼女は、受付の奥に続く通路へと視線を移した。そこは仮に構造がギルド・ギノバスと同じであれば、受付嬢たちの事務室。彼女自身がそこへ入ったことはないものの、受付嬢が往来しているのを前に見た気がした。
奥に誰かが身を潜め、そこで救いを待ってはいるかもしれない。そんな何気ない妄想をした一幕。息を潜めていた敵の奇襲は、突然にして行われる。
離れた天井に組まれた梁から降り注ぐようにして玲奈を襲ったのは、槍を構えた人影。注意を逸らしてしまった彼女が風を切る音を聞いたとき、その人影はもう目前にまで迫っていた。
身体能力は凡人にも及ばない玲奈だったが、彼女はもはや本能的に回避を試みる。しかしそれは厳密に言うなら本能ではなく、ただ必然的な行動だった。なぜなら彼女は、この光景を既に夢で目撃したのだから。
(……そうだった。そうだった! あの夢は、ここだった!!)
夢を思い出して体が動いたのか、動き出してから思い出したのか。その時系列も分からぬほどに、一瞬の判断が命を繋ぐ。玲奈は側方へ倒れ込むように回避した結果、負傷は肩への浅い斬撃に留まった。
それでも血が流れ出るほどに傷は大きい。無論玲奈にとっては、初の体験だった。肩から感じる灼熱感に耐えかね、彼女は敵から目を逸らしてうずくまる。
男は不気味な笑みを貼り付けたまま、魔法槍を玲奈へ向けた。続けざまの攻撃が行われるその寸前、ダイトは男へと襲い掛かる。
行使したのは、鉄魔法・装甲。その鋼鉄を頼りに、彼は男へと突進を仕掛けた。男はそれを目で追うものの、ダイトの力強い突撃は有効打を与える。男は激しく吹き飛ばされ、依頼掲示板へと激突した。
ヴァレンは直ぐに玲奈の元へ駆け寄り、治癒魔法を行使する。玲奈に後方から腕を回すと、包み込むように密着して治癒を開始した。咄嗟ながらも、二人の弟子の行動は至極冷静。取り乱すこともなく、最善の対応をしてみせた。
「レーナさん、大丈夫だから。少し我慢しててね」
ヴァレンは玲奈を安堵させると、前方のダイトと視線を共有する。ダイトはその意図を読み取ると、簡潔な言葉で返答した。
「ヴァレンさんはそのまま、治癒をお願いします」
嘲るような笑い声と共に、奇襲を仕掛けた男は体勢を正し始めた。その下劣な笑い方はどこか小物感を漂わせるが、ダイトには分かる。その男は紛れない、強敵であるということを。
ギルド・ラブリンの外にて。突如として現れた雲は、徐々に黒ずんだ紫へその色彩を変えつつあった。そしてそんな最中、一人の男は街のシンボルたる時計塔へと至る。そこは中央の大要塞・ラブラにこそ届かぬものの、それに追随する高度を誇る建造物。ラブラへの到達を諦めたフェイバルは、その塔の屋根を決戦の地に選んだ。
「……ったく、あんなイカれた魔法の相殺なんて、分が悪いにも程があるってもんだぜ」
いつもは気の抜けている瞳だが、もはやそこには一片の曇りすら存在しない。彼の集中は、辺りに漂う空気中の魔力を震撼させた。
「――ねえ神父さま、どうしたの?」
エンジ村の孤児院は、平穏に一日を営む。とある少女は、庭から戻ってきた神父と慕われる男へ声を掛けた。ただその男は、随分と顔色が優れない。それでも目の前の少女を心配させまいと、男は取り繕って応じた。
「何でも無いさ。大丈夫だよ」
それでも事実、男の体は極限であった。言葉に反して、口からは血が溢れ出る。男はそれをすかさず手拭いだが、少女はそれを見て不安そうに尋ねた。
「……神父さま、死んじゃうの?」
右も左も分からぬ子供の端的な質問に、男は優しく応答する。
「死なないよ。私には、いや私たちにはまだ、やり残した使命があるからね」
「使命?」
「そう。この孤児院を出て行ったみんなは、私と同じ使命を掲げているんだよ」
そのとき少女は、震える声を発する。
「……なら、カシアお姉ちゃんは? お姉ちゃんは、どうなったの??」
カシア、それは第三天導師・ジェーマと行動を共にした、洗脳魔導師の名。そして先日の革命の塔事件にて命を落とした、悲運の少女の名。革命の塔に運命を狂わされた少女は、孤児院に妹を遺して世を去ったのだった。
男はそれを知りながらも、一片の動揺すら見せず、ただ微笑んで少女の頭を撫でる。真相を包み隠したまま、優しい声色で語り掛けた。
「カシアは、神様から選ばれた子なんだ。選ばれた者には、選ばれなかった者の為に成すべきことがある。それを成すために、あの子は戦っているんだ。それが、彼女の使命だから」
「……成すべき、こと?」
「この世界には、たくさんの不平等がある。食べ物が無い人。家の無い人。家族の居ない人。そして、魔法を使えない人。弱き彼らは、虐げられる運命にある。それを救済できるのが、神から選ばれた者なんだ」
少女は難しい言葉でも、なんとなくその意を理解する。自らの姉は、大きな事を成すために孤児院を後にした。ただしそれが、虚構であることには気付けない。
男は少女の頭から手を離すと、おもむろに立ち上がる。
「それじゃ、私は失礼するよ。みんなと仲良くね」
そして男は、背後で様子を窺っていたカルノの元へと足を運んだ。二人は向き合うと、肩を並べて孤児院を後にする。
少女はそんな二人の背を眺めるが、彼女が真実へ気付くあては無い。あの日カシアを殺める指示を下した者が、目の前の男であること。指示を実行すべく現地へ急行した者が、同じく孤児院を運営するカルノとホーブルであることも。
子どもたちの目が届かなくなったところで、カルノは男へ尋ねた。
「……塔主様、大丈夫なんですか?」
「何の話だい?」
「何って、それですよ」
彼女は血のついた手拭いを見つめる。塔主はどこか楽観的に返答した。
「前からずっとこうだ。今頃心配しなくてもいいんだよ」
「……明らかに血の量が増えてます。どう考えても、体調が悪化しているはずです」
「そうだね。今日は特に、空気中の魔力が高いみたいだ」
男はそう話すが、彼と長い時間を共にするカルノには分かっていた。男の体は日に跨ぐたびに弱っているということを。
その男は、魔法が使えない。あらゆる魔法属性に適性が無かった、というだけではない。男の体は、空気中の魔力を拒絶する。
魔力拒絶症。男は、救いを求める弱き者であった。
No.112 カルノ=メードル
孤児院の運営に携わる、修道女の装いをした女性。二四歳。塔主と慕われる男との付き合いは長い。天使・カシアを殺害するべく、ホーブルと共に現地へ赴いた。