111.愛の資格 ***
暗い一室に断末魔が響き渡った。四肢と首に拘束具の痕が染みついたその少女は、悲鳴と共にもがいた後に、とうとう床へ倒れ込む。掌で覆った顔からは、止めどなく血液が流れ続けた。
「……まぁ、そりゃそうかぁ」
オルパスは掌に何かを優しく握ったまま、飄々と呟く。
「切り離しちゃったら魔力の供給も無くなるし、洗脳魔法も発動しない。もし発動してたら私も危なかったんだろうけど、そこの賭けには勝ったらしい」
激痛に喘ぐ少女の悲鳴は続く。男はそれを気にも留めず、独り言を並べ続けた。
「こんなガキが魔導師の軍勢を操作出来るわけがない。ということは、指揮権みたいなものが譲渡出来るんだろうか?」
「任意の者への従属も指示できる。随分と出来すぎた魔法だね」
「目を介して人を操るってところは誘惑魔法と同じだけど、洗脳魔法はいろんな要素において圧倒的な上位互換。ガキがいっぱしのギルド魔導師を操作出来ている時点で、術者と被術者の魔力差についての制約も無いとみえる……ああーもう、うるっさいな」
オルパスは少女の鳴き声に耐えかね、それを思い切り蹴飛ばした。途端に一室は静まり返る。
「……ま、これを有効活用するのは無理そうだ。私に移植出来る可能性ってのも、一瞬考えたんだけどなー」
そして男は、まだ温かい二つの眼球を放り捨てた。
花の都・ホルトにて。精神超越の領域へ踏み入ったティタの攻勢は続く。女は更に諜報魔法・不可視を併用することで、ツィーニアの防御は一層にして崩れ始めた。
ティタの握った得物は、より根元に近いところまで血が滲む。止むことなく続けられる攻撃に、遂に国選魔道師・刃天は屋根の瓦へ片膝を突いた。
(今――!!)
ティタはその隙を捕捉する。大きく踏み込み、正面から刃天の心臓を目指した。
ツィーニアの大剣が動く素振りは無い。魔法を発動させる気配も無い。発現魔法を持たないツィーニアには、不意打ちとして有効な罠の類いの魔法も扱えない。それは紛れない、好機であった。
そしてティタの短剣は、ツィーニアの胸を真っ直ぐに貫く。雷魔法を纏った強烈な刺突は、確かな手応えを生んだ。
「国選魔道師も所詮はこの程度っ。くたばれ……!」
過剰な魔力放出による負荷がティタを襲う。口からは血が噴き出るが、女はそれを拭うこともせずにツィーニアを侮辱した。
「……おしまいよ、刃天。最強の魔剣士が短剣で殺られるなんて、随分と皮肉なものね……?」
ツィーニアからの応答は無い。ティタはそこで決着の確信を抱き、突き刺さった短剣を抜き取ろうとした。
「……は?」
そこでティタは異変へと気が付く。深々と突き刺さった刃を引こうとも、それはまるで微動だにしない。
「何よ……これ?」
ティタの確信は裏切られた。ツィーニアはゆっくりと口を開く。
「あんたの敗因は……慢心かしら」
そしてツィーニアは不敵に笑った。
持続的な治癒魔法が止血と傷を修復を続け、強化魔法秘技・超剛力を纏った胸筋は、刃が心臓に届く直前のところでそれを抑え込む。
「なんで……!? 雷魔法は!? 刃が届かなくても、電撃は届いたはず!!」
「言ったでしょ。私の師匠は、雷魔法の使い手だって」
強化魔法・耐電。それは雷魔法の持つ火力と目視困難な速度を理解する彼女だからこそ持ち合せた、いわば雷魔法への特攻魔法。人体に電気を断絶する効果を付与するその魔法は、ティタの纏う雷魔法を無力化した。
ティタは短剣を諦め、ツィーニアから距離を取る。肉を切らせて骨を断つどころではない、目の前の敵のあまりに狂気的な戦略。女は恐れおののき、気付けば精神超越が解除されていた。
「バ、バケモノよ。あんた……」
ティタの零した言葉を耳にしつつ、ツィーニアは胸に突き刺さった刃物を強引に抜き取る。深い傷口は強化された筋力によって瞬く間に塞がれ、いまだ継続される治癒魔法が傷を集中的に癒やし続けた。
ツィーニアはそんな荒療治を行いながら、うろたえ続けるティタへようやく言葉を返す。
「分かんないかしら。バケモノだから、国選魔道師やってんのよ」
そして彼女は、腰に差した魔法剣を抜いた。そのまま追い詰めるように、彼女はティタへと歩み寄る。万策尽きた女は、本能的にゆっくりと後ずさりを始めた。
瞬く間にして、ティタは屋根の末端へと追いやられる。暫しの沈黙が流れた後に、ツィーニアは戯れ事を終わらすべくして剣を振り上げた。
逃れられぬ死を悟ったティタは、思わず口を開く。それは醜い命乞いなどではなく、突然にして落ち着き払った女の、純然たる質問だった。
「……ねえ」
「……なにかしら」
「あんたさ……好きな人とか、いる?」
ツィーニアはその突拍子もないティタの発言に押し黙る。ティタは臆せずもう一度尋ねた。
「……ねえ、どうなの?」
「殺戮者の私に、人を愛する資格は無い」
ツィーニアが本心を述べれば、今度はティタが黙り込んだ。その反応から何となく女の質問の意図を察したツィーニアは、それとなく聞き返してみる。
「今からあんたの言うことが遺言なのなら、聞くだけ聞いであげる。でもあんたは私と同じ。人殺しどころか仲間殺しのあんたに、人を愛する資格なんて無い。だから聞くだけ。私が粋な計らいをすることは無い」
「本人に伝えるなんて、こっちから願い下げよ!」
「あら、遺言じゃなかったの。なら、泣き落としかしら?」
「違うわよ……死ぬのは、もう、いい。あんたなんかに殺されるのは癪だけど……」
そしてティタは、小さな声で零した。
「私ね、名前を知りたい人がいるの」
「そんなことを私に告げて死んでゆくの?」
「その人は優しくて。どんな戦況でもひっくり返す、軍師の才がある。だけど、魔法は何一つとして使えない。でも――」
「手短に、お願い出来るかしら?」
ティタは構わず続けた。
「その人は、私たちの指導者。私たち天導師を従える、塔主と呼ばれる存在。だけど、その名でしか呼ばれない。彼は仲間の誰にも名を明かさないの」
「私はいつからかそれを知るために、彼へ尽くしてきた。でも、あんたのせいでここまで。知らずじまいよ、まったく」
ツィーニアはただそれを黙ったまま聞き続ける。ティタは一息つくと、ツィーニアへと尋ねた。
「ねぇ、頸を斬られるのって、痛いの?」
「馬鹿なのかしら。私だって斬られたことないんだから、分かるわけないでしょ」
ティタは考え込むように黙り込む。彼女の脳裏には、仲間の頸を落とした日の記憶が蘇った。
そしてティタは、少しの動揺も見せず頸を前へ突き出す。
「ん。ほら、早く殺しなよ」
「頸がいいの? もう少し綺麗な死に方もあると思うけど」
ティタは何も語らず、ただツィーニアと目を合わせ続ける。彼女はそれを肯定と解釈すれば、最期に告げた。
「じきにその塔主ってのも地獄に送る。そのときは、そっちで名前でも何でも聞き出しなさい」
ティタは無理して嘲るような表情を繕い、振えた声を絞り出す。
「あんたが地獄に来たら、次は真っ先に殺すから」
「あっそ」
No.111 ティタ=ミトゥリス
ウェーブした短い赤毛が特徴的な革命の塔・第二天導師。二五歳。諜報、雷、治癒という三種の優秀な魔法属性に恵まれ、ギルド・ギノバスでの諜報活動も務めた。