109.回想録・刃天のルーツ② ***
夜が明けて間も無い頃。トファイル=プラズマンは、再びツィーニアの病室を訪れた。平静を取り戻した彼女からその全てを聞いたうえで、彼は改めて問う。
「――それで君はその大剣を手に、王都マフィアを討つと?」
「……そのために私は故郷を捨てた。退路は無い」
「そのためなら、人を殺すことを厭わないと?」
「勿論。死ぬべき人間を殺すことに罪は無い」
トファイルはそこで、あえて一呼吸置く。ツィーニアの視線は、自然と黙り込んだ男の方へ吸い込まれた。
そしてトファイルは確信をもって言い放つ。
「……いいや違うな。人を殺めることは、悪だ。例え殺す対象の悪人であろうと、その悪人もまた、誰かを愛し愛されている」
「……なら、その罪を背負って殺す。あなたが許してくれないのなら、先にあなたを殺してみせる」
少女の視線は、少女らしからぬ濁った眼光へと染まる。それで男が動じるわけもなく、彼はただ静謐に本題を投げ掛けた。
「罪を背負うために、魔道を往く覚悟はあるか?」
思わぬ返答にツィーニアの視線は和らぐ。
「魔道ってのは、魔導師のこと?」
「そうだね。私は君に、魔導師になる覚悟を尋ねているところだ」
「……必要性を感じない。魔法よりも、培った剣技を磨くほうが道は近い」
「無駄だよ。村娘の君が知らなくても無理ないが、剣一本で太刀打ち出来る時代なんてのは、もうとうの昔に終わっている」
そこでツィーニアの反論は止まる。トファイルは彼女がようやく聞く耳を持ったようなので、そこで話を本題へ戻した。
「私は国選魔導師・雷神。これでも国を背負って戦う魔導師だ。もし君が魔導師を志すというのなら、その手助けが出来る」
「……」
少女は揺らいでいた。村娘の彼女とて、国選魔導師・雷神の名くらい知っている。そしてなにより男の眼は、微塵の嘘も孕んでいないことを顕示していた。彼は今確かに、ただ拾われただけの自分へ手を差し伸べている。
返答を求め、トファイルは続けた。
「もう一度問おう。君に魔道を往く覚悟はあるか?」
「……魔導師になれば、私は今より強くなれる?」
「勿論だ」
「魔導師になれば私は、私は……」
「君には仲間ができる。同じギルド魔導師である家族ができる。愛するものもできるだろう。そして愛は、人を強くする」
少女は、大きな決意を下した。ここに魔導師・ツィーニアが誕生する。
「……私は。私は、魔導師になる。そこで大きな力を手にする」
憎悪は、強さの渇望へ。待ち望んだ返答に、トファイルは笑顔で頷いた。
「ツィーニア=エクスグニル。君を弟子として歓迎するよ」
翌日。男は、往年の魔導師パーティ・神鳴る碧を解散した。
――そして年月は流れる。ツィーニアは二五歳を迎えた。この年が、彼女の転機となる。きっかけは、師匠の一言から。
その日の夜、ギルドのカウンター席でトファイルは呟いた。
「いやぁ、とうとう秘技魔法を使えるまでになったかい。感心感心」
「……まだまだです。もっと発動を持続させなければ、長期戦に対応出来ません」
「また謙遜して。秘技魔法の使い手なんてほんの一握りなんだし、少しくらい誇ったっていいじゃないか。にしてもいやぁ、私には分かっていたよ。魔獣だらけの都外で、返り血を塗りたくって歩く少女を見た日からね」
「……あのときの私は、もういません。私は流派を捨てたのですから」
ツィーニアはカウンターに立て掛けた、背の違う二本の剣へ目を向ける。彼女は長い鍛錬の日々で一刀流に限界を感じ、大剣と剣の二刀流を選んだのだ。
「その選択は間違ってないと思うよ。強化魔法の重さに手数が加われば、近接戦を更に補強できる」
「それでもやはり、安定感には劣ります。特に大剣を一本の手で扱うことについては、まだまだ繊細さが足りません。それに――」
「まあまあ、それは少しずつ身に付けていけばいいのさ。いやーいいね。若い! 未来があるって、ほんと素晴らしいことだよ」
そして男は、いつの間にか注文を済ませた酒を口に含む。その木樽ジョッキが口から離れたとき、彼は別人のように穏やかな声色で囁いた。
「……潮時かな」
「何が、です?」
「何がって、国選魔導師だよ」
「……」
「喜びなよ。君の目指してきた席が空いたんだ」
「私はそんなに、冷徹な人間ではないです」
「いいんだよ。君は強い。今の功績があれば、国選魔導師としても申し分ない」
「……」
「明日、本部へ正式に話をしに行く予定だ。そのとき、次期国選魔導師として君を紹介する。師団長がそれに賛同し推薦してくれたらなら、君は晴れて国選魔導師だ。異論ないね?」
男の声は少しだけ震えていた。既に魔導師パーティを解消した彼が国選魔道師をも辞任することは、魔導師・雷神の完全なる幕引きを意味するのだから。
ツィーニアはそれを理解したうえで応える。それが己を育てくれた男の望みであるなら、叶えてみせよう。
「……勿論です。国選魔道師として、雷神の弟子として、恥じぬ活躍をしてみせます」
「必ず叶えるんだ。君が愛した者の為にね」
ツィーニアの国選魔道師の任命式は、トファイルの解任式と共に、騎士団本部にて粛々と行われた。国から選ばれた至高の魔導師として授けられるブローチは、彼女の胸元で煌々と輝く。
「――ツィーニア=エクスグニル。貴殿を、第二師団直属国選魔導師へ任ずる」
式典が終われば、同じ紋章を首から下げたままのトファイルは、すぐに彼女のもとを訪れる。二人は騎士団本部に設けられた露台から、呆れるほど快晴の下で言葉を交わした。
「おめでとう、ツィーニア君。いやこれからは、国選魔道師・刃天と呼ばれるようになるのかな」
「ありがとうございます。それに、お疲れ様でした。国選魔道師・雷神殿」
「つい先程から、肩書きは元国選魔道師だ。任期中ずっと垂らしてきたブローチも、今日が終われば家宝として棚の奥に眠るのさ」
ツィーニアはうっすらと笑ってみせる。
「では改めて、お疲れ様でした。師匠」
「ああ、ありがとう。ほんと疲れたよ。まったく、何度死にかけたことか……」
男は暫し空を見上げてから、ゆっくりと呟いた。
「パーティも解散して、国選魔道師も引退して。なんか寂しいなーなんて思ってたけど、終わってみれば呆気なさだけが残ってるよ。いよいよ隠居、って感じだ」
「それでも師匠は、師匠です。私の師匠ですから」
「馬鹿言っちゃって。国選魔道師になれば、もう弟子を取る側の人間だ。君はもう、私なんかの弟子じゃないよ」
トファイルはツィーニアのほうへ視線を映す。彼女は少しだけ悲しそうな顔をしていたが、男はどこか明るい声色で続けた。
「師弟関係も、今ここまでだ。でもこれは終わりじゃなくて、始まり。一人の国選魔導師が旅立つ為の、必然的なこと」
男はツィーニアのほうへ体まで向き直ると、妙に改まって言葉を贈った。
「それでは、これからの益々の活躍を祈る。師匠ではなく、一人のしがない老いぼれ・トファイル=プラズマンより」
珍しくもツィーニアは笑った。そこには一瞬だけ、幼き日の彼女の健気な笑顔が垣間見える。
「大陸の平穏の為、己の叶えるべきものの為。魔道に生きる者として、誇り高く戦って参ります。弟子改め、国選魔道師・ツィーニア=エクスグニル」
No.109 神鳴る碧
国選魔導師・雷神の名を冠するトファイル=プラズマンを筆頭とする魔導師パーティ。参謀役のギルド魔導師・セントニア=ラウマンと、その他数名のギルド魔導師で構成されていた。トファイルが駆け出しの頃から活動を続け、一時は大陸最強の魔導師パーティと称された。