108.回想録・刃天のルーツ① ***
時は一〇数年前へと遡る。都外を走り抜けるその車両は、王都を目指す帰路を急いでいた。
「――いやぁ、良い天気だねぇ。仕事帰りには最高だ!」
沈黙の続く車両でふと声を張り上げた男の名は、トファイル=プラズマン。まだ髪色も落ちず、眼鏡を掛けることもなかった彼は、当時の国選魔導師の一角を担っていた。引退後はギルド・ギノバスのマスターを務めることになるのだが、それを彼はまだ知る由も無い。
車両でくつろぐ面々は、魔導師パーティ・神鳴る碧。煌めきの理想郷の名が轟くよりも遙か前世代、最強を謳われていた魔導師パーティである。
しかし最強を謳われたその時代というのは、仕事帰りの憩いを嗜むこの時代よりも、また更に過去のこと。この時代の彼らは、依然として魔導師パーティの体裁をとりながらも、残った構成員は僅か二名。時の流れと共に、己へ限界を感じた魔導師が続々とここを去っていった。
トファイルに同行する唯一の魔導師は、淡泊な態度で言葉を返す。
「……この大陸は晴れの気候が多いので、そこまで珍しくもないことです。むしろここら周辺に点在する村は、雨を望んでいると思いますよ」
トファイルは機嫌を損ねることもなく、その男を弄ぶように挑発した。
「全く……君は相変わらずつまらない男だねぇ。感情の起伏とか無いのかい? 情緒とかある? 喜怒哀楽って、知ってるかい? ああ、もし知らなくても恥じることはないぞ。私が一から教えてあげても――」
「あーもう。うるさいですね。あなたこそ四〇代半ばにもなって、疲労という言葉をご存じないのですか?」
「……どうやら怒はあるらしい。安心した!」
ついに根負けして溜め息をついた男の名は、セントニア=ラウマン。丸眼鏡と金髪が目立つその男は、ギノバス審判院の裁判長という肩書きを持ちながらも、一ギルド魔導師としてトファイルと行動を共にしていたのだった。
雑談も束の間、セントニアは深刻そうに呟く。
「……そろそろ、引き際ではないでしょうか」
「おやおや、どうした急に?」
「昨晩の戦闘のことですよ」
セントニアは補足するように言葉を付け足す。
「足、悪くしてますよね。そのせいで、機動的な戦闘を随分と避けるようになっている。老いには抗えないのですから」
「……そうだな。この年にもなれば、それはそれは体力も落ちる。最近は治癒魔法も効きが悪い」
「うちのパーティも、もう二人です。皆老いを感じて去って行った。二〇年も魔導師パーティが続いたのなら、大往生ですよ」
男は続ける。淡泊な口調であっても、深い敬意を払いながら。
「ギルド魔導師としての仕事はまだしも、国選魔導師としての仕事はなおさらです。国選依頼の現場は激しい戦闘ばかりだというのに、こんな状態ではいつか命を落とします。雷神という偉大な名を冠するあなたの死に様など、誰も見たくはない」
トファイルは現実から目を背けるように、放心して窓の外に視線を移した。仮に仲間からの進言が無かろうとも、彼の心には長らく迷いが生じていたのだから。
その日の晴れは、確かに幸運だった。トファイルは、遙か先に小さな影を目にする。それは影といえど、明らかに魔獣のそれではない。彼は咄嗟のことながら運転手へ声を駆けた。
「停めてくれ! 人が倒れている!!」
急ブレーキで車両は停止する。トファイルはそれが完全に静止するのを待たず、直ぐに車両から駆け出した。セントニアはゆっくり立ち上がると、それを追うべく渋々と歩みだす。
「……まったく、落ち着きのない人ですね」
トファイルは確かに捉えた人影の元へ至った。そこで目にしたものは、力なく倒れ込んだ少女の姿。美しい碧眼は重い瞼に閉ざされ、金髪は血に染まっていた。
「こりゃいかん……!」
トファイルは膝を突いて少女を仰向けに直すと、傷の処置を試みる。しかしそのとき彼は異変を察知した。背後に立ち尽くすセントニアもまた、想像と異なる現実を目にして言葉を失う。
トファイルは確信を持ってそれを声にする。
「……違う。これはこの子の血じゃない。魔獣の血だ」
「……まさか。魔獣の蔓延る都外で生きながらえているとは」
「外傷はどこにも見当たらない。そのまさか、だよ」
「失血ではなく、栄養失調ですかね。ギノバスはもう近い。まだ間に合いますよ」
「……連れて帰る。彼女を救うぞ」
トファイルは少女は抱えると、急いで車両へと引き返してゆく。セントニアはそれに続くべく駆け出そうとしたが、そのとき彼は更に別の何かを発見した。
少し離れたところできらきらと輝くそれは、彼女の愛剣である魔法大剣・ヘルボルグ。セントニアはそれが彼女のものであるということを理解すると、咄嗟に回収へ赴いた。
――その日の夜、幸いにも少女は目を覚ました。
小さな村で育ったその少女に、病院という慣れない環境は穏やかでない。しかしそれでも彼女は取り乱すことなく、むしろそのような弱い感情それ自体が麻痺しているように落ち着いていた。
病室に残り目覚めを待っていたトファイルは、安寧から微笑みを浮かべる。
「……目覚めたかい。直ぐに治癒魔導師を呼んでくる――」
「……要らない」
その少女は反射的に呟いた。トファイルは彼女の事情を知らずとも、何か重たい事情を抱えていると察し、ふと足を止める。何をすべきか確かではなかったが、とりあえずは名を尋ねることにした。
「……君の名前は?」
「……答える義理は無い」
「私は都外で倒れた君を救助した者だ。名くらい聞かせてもらおう」
「……ツィーニア」
「ツィーニア、か。私はトファイル=プラズマン。しがない老いぼれの、ギルド魔導師だ」
「魔導師……」
トファイルは少女の事情を探るべく、さらなる会話を進めた。
「君は一体、どうして都外を一人彷徨っていたんだ?」
「……ブロニアを、弟を助けるため」
「……話が読めないが、君には弟がいたのだな。それで?」
「弟は今、王都に居る。私は王都へ行かなきゃならない……」
「全く、無茶だな。そもそも都外は一人で出ちゃならんし、万が一検問に辿り着けても、そこで騎士に捕まるだけだというのに」
「……王都には、どうやったら行けるの?」
「どうやって行けるか? 幸か不幸か、まさしく今君の居るここが王都だよ」
その言葉を聞いた直後、ツィーニアは咄嗟にベッドから飛び出した。裸足のまま立ち上がると、彼女はそのまま病室の外へ駆け出そうとする。トファイルは少女の細い腕を掴み、それを制止した。
「おいおい、一体急にどうしたんだね」
「私は、私は王都マフィア共を皆殺しにする!! 賽の目に斬り刻んで、魔獣に喰わせてやる――!!!」
以前までの物静かな様子は、もはや一瞬にして消え去った。彼女を染め上げたのは、純然たる憎悪。涙を流して声を荒げるその姿は、国選魔導師ですらも一種の畏れを覚えさせる。それはきっと、幼い子供が発してよいものではなかった。
「待て待て。落ち着くんだ。君一人じゃどうにもならん……!」
「黙れ! 黙れ!!」
少女は激しく取り乱す。彼女がどれほどのものを抱えているのか、トファイルにはなんとなく想像がついた。
彼は知っている。憎悪とは、愛するものの為にあるのだと。そして愛とは、どんな魔法よりも強くあるのだと。だから彼は、ここで密かにある決断をした。
少女の声が聞こえたのか、ある看護師が忙しなく部屋を訪れる。トファイルは掴んだ少女の肩を看護師へと預けた。そこからは何も語らず、彼は看護師と入れ替わるようにして病室を後にする。
病室を出た先の廊下では、壁にもたれたセントニアがトファイルを待ち構えていた。彼はどこか吹っ切れた顔をしたトファイルを見ると、少し口角をあげて呟く。
「その顔は、そういうことですよね」
「……ああ、私はな。後は、彼女次第だとも」
No.108 セントニア=ラウマン
濃い金髪と丸眼鏡が特徴の男。現在の年齢は五五歳。ギノバス審判院で裁判長を務めながらも、ギルド魔導師を生業としていた。裁判長は兼業を禁止されているため、作戦時にはしばしば仮面を着用し、その正体を隠している。かつて最強を謳われた魔導師パーティ・神鳴る碧の構成員。