107.コード・瘴気 ***
「――騎士とは騎士道を往く者。魔導師とは魔道を往く者。その矜持が、彼らを縛る」
要塞都市・ラブリンの中央部。そびえ立つ要塞の名はラブラ。屋根の上で一人空を見上げる男は、脳裏に焼き付いた声へ耳を傾けた。
「――彼らは道の為、弱きを守る。天を往く我ら天導師に、そのような慈悲は無い」
「――弱き者を狙え。さすればおのずと、彼らはそれを守る。彼らの奉仕が、彼らを弱くする」
第一天導師・クレント=ズニア。後ろで黒髪を結んだ大柄な男は、神父と慕われる男を崇拝していた。ゆえに彼は迷うことなく、その男の言葉に行動で応じる。
クレントは天空に掌を掲げた。魔力の流れは全身を巡り、それは次第にふつふつと煮え立つ。そしてふと呟いたのは、同じ戦場にに立った同志へ送る、鎮魂の言葉。いや、彼らはもはや同志という関係よりも、ずっと深い絆で結ばれていたのかもしれない。
「……神父様の予言通りであれば、フィノンはそろそろ旅立った頃だろうか」
「血の繋がりは無くとも、お前がそう認めてくれるのなら、私はお前の兄であり続けよう」
そして男は魔法陣を展開する。弔いの魔法陣は紫へ染まった。
「……毒魔法秘技・紫雲」
男は、騎士団が独自に指定する大陸有害魔導師便覧・ウィザディリアに名を刻まれた一人。数々の殺しを犯してもなお、名が明るみに出ないその男は、コード・瘴気と仮称された。
コード・瘴気の魔導は、突如としてラブリンの空を大きな雲で覆う。それは薄い紫の色彩を放ち、街を不穏に薄暗く染め上げた。
これが如何ほどに強大な魔法であるか、魔導師であれば誰でも分かる。いやそれはもっと直感的で、もはや本能が危険を訴えてくるといったところだろうか。
玲奈は足を進めながらも、そのあまりに異常な空について言及した。自然と声色に怯えが宿る。
「……ね、ねえ。これ魔法、なのよね……!?」
前方を走るダイトは、どうにか冷静を繕って応じる。しかし声色は誤魔化せず、僅かな震えを帯びていた。
「……ええ。この規模感、恐らく秘技魔法です」
「敵の魔法、ですよね。なら何とかしないと……」
「無駄よ」
ヴァレンは焦燥する玲奈を、あえて突き放すように否定した。彼女はそのまま至って冷静に返答する。
「あんな魔法、私たちにはどうしようもない。秘技魔法は、秘技魔法でしか太刀打ち出来ない」
「……そんな!」
玲奈が音を上げたのも束の間、彼女らの前方では激しい衝突音が鳴る。ここではもう、言葉を交わす余裕すらないらしい。
視線を前方に戻せば、玲奈は先頭のダイトが接敵したことを視認した。魔法剣を握った魔導師らしき男は、やはり虚ろな瞳を浮かべてダイトを襲う。
躊躇いなく振り下ろされる一刀は、ダイトを正面から捉えた。しかし彼は咄嗟に鉄魔法・装甲で鉄刀を創り出すと、それで敵に応じる。
突然の戦闘に、玲奈は一瞬ばかり戸惑った。しかし彼女とて、もう相当の場数を踏んだギルド魔導師。少しの迷いは生じたものの、直ぐに己がすべきことを理解した。
玲奈は足を止めると、心を落ち着かせて魔法の行使に備える。後衛魔導師の鉄則は、もう本で覚えたのだから。
「……視点を固定するな。前衛の味方を俯瞰して、その隙を埋める……!」
そして彼女の心の中のマニュアルは、功を奏した。ダイトの周囲から突然として襲い掛かるのは、三つの人影。彼らは建物の上から飛び降りると、魔法剣を振り上げてダイトへ奇襲を仕掛けた。
「っしゃああ!! やったりますよ――!!!」
玲奈は掌を標的に重ねると、そこに魔法陣を展開する。彼女の覚えたての氷魔法・弾丸は、見事に敵を撃ち抜いた。
致命傷でなくとも、氷の弾丸を受けた魔導師たちはそのまま地面へと墜落する。ダイトは玲奈の方を振り返ると、小さく親指を立てて笑った。
しかしながら、状況は依然として改善しない。気が付けば最後尾のヴァレンもまた、別の魔導師と対峙していた。彼女は大口径の魔法銃を抜くと、それを両手に構えて呟く。
「空の魔法を心配してる暇なんて無さそうね。私たちは、私たちに出来ることをやるわよ」
「……まずいな、ありゃ」
天を仰ぐフェイバルは、街に迫る危機を肌で感じ取っていた。気が付いたときには、止まった足がまた進み始める。彼はその足で、街の最も高い場所を目指した。
そして時を同じくして、男の通信魔法具が灯る。
「――こちら、通信本部」
声の主は、本部の指揮を執るマディ=マファドニアス。フェイバルは駆けながらそれへ応じる。
「……なんの用だ?」
「空の異変にはお気付きでしょう。あの魔法の特徴から、敵の正体が判明しました」
「そうか。先に聞くが、そいつは俺が相手しないといけねーくらい面倒な奴か?」
「……ええ。敵はコード・瘴気と呼ばれる、ウィザディリア指定魔導師の一人。その悍ましい魔法をもってして、これまで数々の凶悪犯罪を重ねています。行使する魔法は、毒魔法。致死毒です。肌に接触すれば、僅か数時間で死に至る代物だと想定されます」
フェイバルはまた空を見上げて返答する。
「なるほど分かった。ならそのコード・瘴気って奴は、街の人間を皆殺しにしようってわけだな」
「……恐らくは恒帝殿が戦場にいることを見越して、その魔力を消耗させることが狙いでしょう」
「なるほど。そりゃ賢い」
「あの魔法は、空から毒液を広範囲に拡散させる類いのものだと思われます。拡散して降り注ぐ毒液を全て防ぎ切る為の魔力は、奴が魔法の行使に要した魔力よりも膨大なものになるでしょう」
「同感だ。ありゃきっと秘技魔法だし、俺があれ以上の魔力を消費する秘技魔法で相殺するしかないっだろーな」
「……はい。秘技魔法を使える人間なら師団長がおりますが、彼女は魔力の過剰消費による負荷出血が見られていますし、私の魔法も……この手の魔法からの防御には不向きです」
「しゃーない、承った。ここはまんまと、敵の策に溺れるとしよう」
「……あなたしかいません。頼みます」
同刻、花の都・ホルトにて。とある屋根の上で、刃天・ツィーニアは思わぬ敵と対峙した。
「そう。あんたはあのときの……」
彼女の脳裏によぎるのは、革命の塔事件の日の一幕。都外の外れにある廃要塞へ乗り込んだとき、彼女は唯一の生存者を救出した。そして妙なのは、そのとき酷く怯えていたはずの女魔導師が、たった今目の前の人影とぴったり重なっているということだ。
「……なるほどね。妙に情報が筒抜けてる気がしてたけど、それはあんたが王都に潜伏し、情報を漏らしていたから」
「ご名答。まーあんたに救助されんのはわりかし咄嗟の判断だったし、騎士から聴取受けたりで大変だったんだけど、我ながら上手く軌道修正したと思ってる。か弱く怯える魔導師ちゃんの演技、どうだった?? 可愛かった??」
「無駄口を叩くんじゃないの」
ツィーニアは大剣の包帯を解き始める。それは敵を冷静に推し量ったゆえの判断だったが、彼女はその秘めた警戒を表に出さず、決して弾んでいるとはいえない会話を引き延ばした。
「あんたを必死に探してたパーティの仲間が不憫ね。お仲間たち、あんたを心配して恒帝を頼ったそうじゃない」
女は指を左右に小さく振って否定する。
「あぁ、違い違う。あいつらはティカの仲間なの。私の名前はティタ。薄汚いギルド魔導師なんかじゃなくて、第二天導師のティタよ」
ツィーニアは自然と眉間に皺を寄せた。
「……なら、ティカの仲間はどうなったの?」
「それはもちろん、始末したわね。ティカの冒険は終わったの。だから彼らも、一緒にそこでおしまい。ティタを詮索されても困るしね」
大剣の刀身が露わになったとき、ツィーニアはそれをティタへ差し向ける。
「……そう。ならあなたも逝きなさい。そこでティカのお仲間に、無い顔を合わせてくることね」
No.107 大陸有害魔導師便覧・ウィザディリア
ギノバス政府によって監修される、大陸の治安を著しく乱す魔導師をリストアップした書籍の名。つい先日には、王都マフィア幹部らの名前が削除された。