105.百獣女帝 ***
「――もしもーし。聞こえてるかなぁ?」
「――こちら作戦本部。要件は?」
オルパスの通信に応答した騎士は、その用件を伺った。対して通信魔法具の向こう側にいるオルパスは、やけに飄々とした口調で尋ねる。
「ライズくんに言われたから、報告しにきたんだ。制圧完了だよ」
「え? もう作戦が終了したと??」
「だからそう言ってるでしょ。んじゃ、切らせてもらうよ。私はこれからやりたいことあるんでね」
「お、お待ちを! そこには洗脳魔法の使い手が居るはずです。決して目を見ることなく、捕縛して――」
事情を理解した騎士は警告したが、それは少し機嫌を悪くした男の声によって遮られた。
「……分かんないかなぁ。だからそれが、私のやりたいことだよ。この大陸に魔法が生まれて数一〇〇年。久しく見ぬ、未知の魔法だ。いろいろ遊んでみようと思ってね」
騎士は意を決して言葉にする。
「な、なりません! いくら魔天楼様といえど、危険です!!」
しかしながらそれは、全くの逆効果だった。オルパスの口調は豹変する。
「知らねーよ」
「……はい?」
「こっからは私の好きにやらせてもらう。騎士風情が口出しするな」
あまりにも身勝手なオルパスに、騎士の男はもはや困惑した。すかさずフルワはその騎士から通信魔法具を奪い、大声で要件を告げる。
「ならせめて、情報を!! 洗脳魔導師の年齢や性別、拘束の有無を教えてください!!」
オルパスは少し考え込む。暫しの沈黙を経たとき、男は少し面倒臭そうに目前の情報を語り始めた。
「勿論、拘束はされてるよ。体は床に固定された椅子と縛り付けられてるね。人間とは思えない扱いだ。あーそうそう、目隠しもされてるよ」
「魔導師の年齢等、出来る限りの情報を!!」
「あーもう、デカい声だすなよ、うるっさいな。魔導師は女のガキだ。事前情報と同じだよ」
「生きているの……ですよね?」
「ああ、生きてる。だいぶ怯えてるみたいけど、これはたぶん私のせいだね」
そしてオルパスは、拘束された少女の元へと歩み出す。フルワの耳には、硬い床を叩く足音が差し込んだ。
足音が止まったとき、オルパスが口を開く。
「それじゃ、通信切るよ」
「お待ちくださ――」
通信を切断したオルパスは、その置物のような少女をただ呆然と見下ろした。引き締まった口元は、次第に吊り上がる。男の内なる、狂気を孕んだ好奇心が溢れ出した。
要塞都市・ラブリンに集った騎士魔導師たちは、思わぬ奇襲により作戦能力を喪失した。
第三部隊は多数の犠牲者を出し、半壊状態へと陥る。第一・二部隊はその処理に追われることとなった。ただそれでも、彼らは目的を達成すべく動き出す。国選魔導師・フェイバルは革命の塔支部拠点を、玲奈ら三人の魔導師は陥落した可能性の疑われるギルド・ラブリンを目指した。
混乱の最中、第三師団長・ロベリアの執念は燃え尽きない。彼女は第三部隊を半壊に追い込んだ張本人・フィノン=ズニアを追跡した。
強化魔法を纏ったフィノンは軽快に屋根を飛び回る。鳥獣型の魔獣に跨がったロベリアは、魔法銃を頼りに攻勢へ出た。
フィノンは背後から降り注ぐ弾丸を華麗に回避してみせる。とはいえ戦況はフィノンにとって芳しくない。空中からの一方的な攻撃を打破すべく、彼女は屋根から細い路地へと飛び降りた。
しかし集団戦術こそ、ロベリアの持つ召喚魔法の強み。地上は既に、彼女の手中。
屋根から降り立ったフィノンを囲むのは獅子の魔獣たち。戦況を先読みしたロベリアは、事前に地上へ魔獣を召喚していた。
「レオちゃん、よろしく」
ロベリアの合図を皮切りに、獅子の魔獣たちは一斉にフィノンへと飛び掛かる。フィノンは怯むことなく魔法陣を展開した。
「金魔法・弾丸――!!」
四方を包囲されようとも、フィノンはそれをもろともせず反撃する。秘めた魔力を原動力として戦うだけの魔獣たちにそれを防ぐ術は無いものの、それらはたかが数発の被弾で地に伏すほど貧弱ではなかった。攻撃の末に、半数以上の魔獣がフィノンの魔法を耐えきる。
そのときロベリアを乗せた鳥獣型の魔獣は、フィノンの魔法が止まった隙を見計らって急降下した。目指す先は女の頭上。魔獣の鋭い嘴は、女の艶めいた黒い髪へ照準を合わせた。
そして地上の魔獣は、また進撃を試みる。それらを相手取るフィノンに、新たに魔法陣を展開する時間は残されていなかった。
「……騎士ごときが、私を甘く見るなよ」
それでもフィノンは、鋭い眼差しをロベリアへと突き刺す。束の間、フィノンの指に挟み込まれた数枚のコインがきらきらと輝いた。微かな煌めきを目にしたロベリアは、敵を見誤ったことに気が付く。
フィノンは凄まじい雄叫びと共に、その腕を振りかざした。彼女が金魔法のほかに持つもう一つの魔法は、強化魔法。強化魔法・剛力によって投擲されたコインは、金魔法・弾丸よって放たれるそれより大きな加速を得て、真っ直ぐにロベリアへ直進した。
顔をしかめながらも、ロベリアは必死の防御魔法陣で対抗する。騎乗した魔獣も同時に守るべく、必然的に魔法陣は大きく展開される。しましながら大きな魔法陣であるほど、強度の維持もまた困難。故にその魔法陣は、直ぐに悲鳴を上げた。そして次の瞬間、魔法陣はあっと言う間に砕け散り、慈悲無く鳥獣を貫き始める。
フィノンの掌からコインは消えたとき、その鳥獣は撃ち落とされ、地上へと墜落し始めた。背後のロベリアもまた、左肩と右大腿に傷を負う。
「……愚かだな。その獣を乗り捨て、己だけ回避すれば良かったものを」
フィノンは墜落した鳥獣の裏から姿を現すロベリアへと語る。その鳥獣は致命傷を負ったために自然消滅を始めた。
ロベリアはその消えゆく仲間に手を添えながらも、女へ返答する。
「獣なんて失礼ね。この子は私の仲間。そう簡単に見捨てられないの」
微かな怒りを露わに、ロベリアはフィノンへ冷ややかな視線をぶつける。生き残りの獅子たちもまた、ロベリアの背後に立って女に視線を合わせた。女はそれに臆せず口を開く。
「第三師団長・ロベリア=モンドハンガン。ギルド魔導師時代の通り名は、百獣女帝」
「……懐かしいわね、よくご存じで」
ロベリアは治癒魔法で自らの傷を癒やしながら呟く。彼女は続けた。
「百獣女帝だなんて物騒な呼ばれ方したものだけど、召喚魔法ってのはね、もっと柔軟で自由な魔法なの」
ロベリアが指を鳴らせば、それを合図に獅子の魔獣たちが消えてゆく。彼女は自ら、数的有利を放棄した。
フィノンは冷静に問い掛ける。
「なんのつもりだ?」
その想像通りの問いかけに、ロベリアは少し低い声で返した。
「時間が無いから直ぐに終わらせるってだけよ、クソ女」
No.105 召喚魔獣
召喚魔獣は通常の魔獣と体の同じくしながらも、召喚者に服従する理性を知能を有する。また召喚魔獣が体内に秘めた魔力量は術者の魔法に依存する。