97.悪魔はすぐ傍に ***
会議を終えたその日。フェイバルは一人、深夜にギルド・ギノバスを訪れた。
「おい。おーい。受付の嬢ちゃんや!」
「は、はいっ!! 失礼しましたあ!!」
フェイバルはうたた寝する受付嬢の娘を起こす。夜勤に心のどこかで同情しつつ、そっと用件を述べた。
「新人は夜勤回されて大変だねぇ。まあ、そりゃいいや。七日後にダイトとヴァレンが王都に戻ってきてるかどうか、調てくれねーか?」
「ダイトさんとヴァレンさんですね。ええと……」
新人の受付嬢は椅子から立ち上がれば、その背後で壮観に並ぶ名簿へ一つずつ当たり始める。新人にしては手際よく二つの資料を持ち帰ると、フェイバルの前でそれをめくり出した。
「えーと、ダイトさんは現時点で最後の依頼が五日後なので、これ以上依頼を受諾されなければ大丈夫ですね。ヴァレンさんは……あれ? 最近は依頼一つも入ってないみたいです。珍しー」
「……そうか。なら二人には、これ以降の依頼受諾を一旦止めるように連絡してくれ。七日後また国選依頼に同行させる予定なんでな」
「わ、分かりました!」
「んじゃ、よろしく頼むわ」
そして男は、颯爽とギルド・ギノバスを後にする。扉を開けて外に出ると、生ぬるい風が優しく吹きつける。
「――ねえ、どう思う。あいつのこと」
そのとき突然として、フェイバルの側方からは冷ややかな声が差し込んだ。男が振り向いた先、そこに居たのは彼と同じ国選魔導師・ツィーニア=エクスグニル。ギルド近辺で出くわすのは久しかった。
フェイバルはその珍事に応答を忘れかけたが、どうにか言葉を返す。
「んだよいきなり。てか誰だよ、あいつって?」
「魔天楼のことよ。あなたのが知ってるでしょ」
「作戦のことか? 別にあいつは、作戦を放棄するような馬鹿ではないだろ」
「そうじゃない。問題なのは、あいつが抱える異常な魔法への愛。いや、執着。このまま国選依頼の内容が通達されれば、きっとあいつは洗脳魔法に異常な程の興味を示す。そしてきっとそこから、何かのヒントを得ようとするわ」
「ヒントだ?」
「あくまで想像の域を出ない話だから、会議中に異を唱えることは出来なかったけど、もしかしたらあいつは、洗脳魔法の習得を試みるかもしれない」
「おいおい待て。人間の行使出来る魔法は生まれつきの属性に留まるんだ。いくら何でも、後天的に魔法を得ることなんて……」
「それじゃあ革命の塔は、たまたま洗脳魔法を備えた子供をどこかから掻き集めてきた、とでも言いたいの?」
フェイバルは口籠もる。それでもツィーニアは容赦なく続けた。
「一番の問題は、洗脳魔法という危険な魔法が確認されたことじゃない。生来の魔法属性を無視して魔法を付与できる、未知の技術が存在しうるということよ」
ツィーニアは預けた背中を起こすと、大剣を抱えて歩き始める。そして吐き捨てるように言い放った。
「もし魔天楼が更なる力を手にして暴走すれば、あっと言う間に大陸の平穏は失われる。そして魔天楼討伐のため召集された私たちも、返り討ちにあって死んでゆくの」
「そりゃあ随分と出来たシナリオだな。あいつはそんな野心家じゃない。劇作家でも目指してんのか? 悲観が過ぎるぜ」
「あんたが楽観的過ぎるだけよ。会議に紋章を忘れず持って来れるくらいには成長したつもりなんだろうけど、その適当な性根は直りっこないのね」
「お前こそ余計なことばっか考えてると、いつか大事なもん見落とすぞ」
同刻。エンジ村にて。神父と慕われる男は、カルノを連れて裏庭へと至った。
カルノは指輪型通信魔法具を起動する。しかし彼女は自らでそこへ応答することなく、その指を男の元へと差し出した。
男は通信の向こう側に居る者へ声を掛ける。
「やあティカ。王都の様子はどうだい?」
女性の声が返答に応じた。
「作戦の決行は随分と速まりそうよ。諜報魔法で会議を盗聴したけど、決行日は七日後。支部を同時に叩くつもりらしいから、遅くとも前日にはそれぞれの街に戦力が集結するはず」
「……そうか。それは困ったな」
「ねえ、私もそろそろ支部へ戻るべきだと思うのだけど。ギノバスからホルトは、まあまあ距離あるし」
「そうだね。第二天導師の君が居なくては心もとない」
「ええ。なんたって私のところには、刃天が来るらしいの。私が居なきゃ、みんな切り刻まれて肉塊になっちゃう」
ギルド・ギノバスから程近い家屋の屋根に腰を下ろすティカは、鋭い目つきで前方を見降ろした。そこを往くのは、まさに刃天・ツィーニアの後ろ姿。
「きっと殺してあげる。あの日あんたのこと、間近で勉強したんだからね」
ティカはウェーブした短い赤毛を夜風に揺らして立ち上がった。首から下げたギルド・ギノバスの紋章を躊躇いなく千切ると、それをその場へ乱雑に放り捨てる。
「――さ、その前にお掃除済ませないとね。快適な潜伏先だったけど、後々嗅ぎ回られるのは面倒なの」
舞台はギルドから幾分か外れた住宅地へと移る。小さなボロ小屋に寝泊まりするのは、まだ駆け出しの魔導師パーティに籍を置く面々。
「――あれ、ティタはどこ行った?」
パーティを率いるワイルは、一員であるティタが居ないことへ気が付いた。同じくパーティの一員である、髭を生やした大男がそれへ応じる。
「ティタがこの時間にどこか出歩いてるとなると、流石に心配だなぁ。彼女は治癒魔導師だから、いざというとき攻撃魔法は不慣れだ。もしトラブルがあれば……」
世話焼きな男の言葉に、居合わせる華奢な女性魔導師が無愛想に返す。
「どうせ男でしょ。あの子気弱だから、誘われて断れなかったのよきっと」
ワイルは頭を掻いた。
「まったく、明日は仕事だってのに。それに俺は、前の一件もあって心配でならん!」
「前って、あれ? あの……革命の塔事件……とかいうのに、ティタが巻き込まれたっていうやつ?」
「そうそう。治癒魔導師のあいつが一人で仕事に行こうとして、そこで死にかけたんだぜ? 放っておけるかっての!」
そうしてワイルは扉の前に立ち、外へ飛び出そうとノブを握る。勢いよく扉を開ければ、そこには見慣れた人影が一つ佇んだ。
「……あ、あれ? ティタぁ!! おい、こんな時間に一人で出歩く奴があるか!」
ティタはただ俯く。返事が無いことに違和感を抱いたワイルは、また声を掛けた。居間に残る二人は、ティタの妙な気配を感じて思わず腰を上げる。大男は本能からか、得物の魔法斧を握っていた。
「……諜報魔法・不可視」
二人の感じた悍ましい気配は、正解だった。束の間、ティタは三人の仲間の視界から消滅する。
「ティタが消えた!?」
動揺するワイルに、背後の女魔導師が声を荒げた。
「あいつの魔法だ! きっと殺る気だよ! もうあいつは仲間じゃない――!!」
しかしその女の声は、ワイルへ届かない。男の腹から止めどなく零れるのは、大量の血液。瞬く間に短剣で切り裂かれたワイルは、そのまま為す術なく玄関先で倒れ込んだ。残された男魔導師はすかさず魔法陣を展開する。
「強化魔法・聴力!」
視覚で捉えられぬなら、聴覚で。男の判断は賢明だったが、賢明だけで戦闘を潜り抜けることは出来ない。ティカは嘲るように呟いた。
「残念だけど、暗殺に音なんて起こり得ない。聴力を強化したって、何も聞こえやしないわよ?」
そしてティカの繰り出す不可視の一撃が、大男の首を抉る。その男は首を皮一枚で繋げたまま、呆気なく血を撒き散らして床へと伏した。
魔法をあえて解除したティカは、ゆっくりと残り一人の女魔導師へと歩み始める。仲間の死を前にした女魔導師は酷く動揺しており、あっと言う間にして部屋の隅まで追い詰められた。それでも容赦無く、ティカは血濡れた刃を女へ差し向ける。
「さ、後はあんただけ」
「……ティカ……あんた……何者なの……? それにあんたは治癒魔導師のはず……なんでこんなこと……!?」
「へへ、ごめんね。私はティカじゃないし、治癒魔導師でもない。本当の名前は――」
鋭く薙いだ短剣は、女魔導師の細い首を断つ。それに反応出来ない女魔導師は、忽ちにして切り離された頭を床へと落とした。
「――ティタ、って言うの」
No.97 魔導師パーティ
ギルドに届く依頼には、複数の人員を要するものがあるため、多くのギルド魔導師はパーティを結成する。厳格な決まりや登録制度は存在しない。一般的には三名から五名程度で構成されることが多く、治癒魔導師、前衛魔導師、後衛魔導師のパーツが編成の軸とされるが、そもそも戦闘の想定される依頼はさほど多くないため、ほとんどの魔導師パーティではこの役割が形骸化している。