95.束の間、恋は散る。 ***
「ぅあ! あの! 私はヴァレンと申します!! それで……えっと……その……」
ヴァレンは落ち着かない様子で名乗った。男は二人の名を聞いて軽く会釈すると、砕けた口調でを雑話を始める。
「いやあ、本当に申し訳ない! 副長という座に就いてからは、雑務に追われてこの執務室に籠もりきりでして。魔導師の方へ報酬一つ渡すのに、わざわざこんな所まで来て貰わなくちゃならんのですよ。まったく、私がこの屋敷から出られるのは、きっと火事か戦争のときですよ。ははは」
リオは愉快に語らいながらも座卓の辺りへ引き返し、そこで報酬の入った袋を拾い上げた。
「魔導師さんもお忙しいでしょうし、無駄話はここまでで。さ、こちらが報酬です。お納めくだされ」
玲奈はまたこちらへ戻って来るリオから、その袋を受け取った。
「あ、ありがとうございます」
そんなとき、ふと玲奈は扉の隙間から視線を感じる。束の間、差し込むのは若い男たちの訛った声。
「――うお、副長が部屋に美人連れ込んでやがる」
「――いいなあ、俺の許嫁になったりしねーかなぁ」
「――馬鹿言え。あれは絶対に副長の女だ。手ぇ出すなよ……!」
リオはその囁き声に勘付き、いち早くその襖の元へと駆け寄った。男は焦った様子で首から上だけを向こう側に出し、廊下に居るであろう若い男たちへ何やら話し始める。こちらには聞こえないように配慮しているつもりなのだろうが、悲しくも玲奈たちには丸聞こえだった。
「こら……彼女たちはな、仕事で来てるんだ。妙な誤解するんじゃないぞ。さっさと仕事に戻った戻った」
副長という座からの命令には逆らえず、若い男たちは渋るように呟き出す。
「……仕事戻るかぁ」
「良い女には唾付けときたかったんだが、副長に止められちまったらしゃーない」
そして彼らは、足早にリオの執務室前の通路を通過した。
見事な早口で若い男たちを追っ払うと、リオは襖を勢いよく閉ざす。そして何事も無かったかのように、作り笑顔で玲奈たちの元へと振り返った。
玲奈には、ある若い男の発した言葉が妙に気掛かりだった。丁度リオがこちらへ引き返してきたので、彼女はふとその言葉を口にしてみる。
「許嫁、ですか……」
「あらら、やっぱ聞こえちゃいました? いやぁウチの者が失礼しました。なにぶんミヤビの武士の多くは、許嫁と婚約するものでして。というのも、我々はギノバスとの友好関係を維持する目的で、ギノバスの女性と婚約することが多いんですよ。先程の若い彼らもまた、婚約者探しの真っ最中なのです。ご容赦くださいな」
早々と口走りながら、リオは忙しなく座卓のほうに戻る。玲奈はその慌ただしい様子を不思議に思っていると、じきにその目的が何となく分かった。男が書類の山から引っ張り出したのは、一枚の写真。
「かくいう私も、実はギノバスに許嫁がおりましてねぇ。ほらぁ、美しい人でしょ?」
幸せそうなリオは、写真を手に惚気だす。一寸も悪気や嫌味を感じないからこそ、玲奈にはダメージが大きかった。生涯にわたり男っ気の無かった彼女には、その他愛ない言葉があまりに重い一撃なのだ。
しかし玲奈は、自らが負の感情に流されている場合でないことを直ぐに思い出す。なぜなら彼女の横には、たった今この瞬間に失恋した友人が居るのだから。
「……き、綺麗な方ですねぇ! えっと、その髪色とか……!!」
咄嗟に放たれた玲奈の言葉に、リオは嬉しそうに食い付く。
「でしょでしょ! そうなんですよ! 彼女のこの美しい金色の髪! まるで絹のような――」
リオと話を終えてからは、あまりそこに長居することなく、足早に執務室を後にした気がする。城の敷地内を歩く二人は言葉を交わすことも出来ずに、静寂の中で城門を目指した。
玲奈はただ何よりも、一瞬で恋に落ち、そして一瞬にしてそれを失ったヴァレンの心が、もう気掛かりで仕方なかった。正直なところヴァレンの好みは理解できないが、もし今それを口にすれば、もう死んでも彼女へ償えないだろう。
玲奈が恐る恐るヴァレンの顔を窺ったとき、やはり彼女は落ち込みようは明らかだった。信じたかったが、露骨に元気が無い。玲奈の思い違いということは無さそうである。
そして沈黙に耐えかね、玲奈はついに俯いたままの彼女へ言葉を掛けた。
「あの……ヴァレンちゃん……?」
ヴァレンに応答は無い。玲奈は手探りで言葉を選ぶ。
「そのね……あのね……えっとね……きっとね……他にもね……」
色恋に疎い玲奈は、やはり言葉を詰まらせてしまった。ただそんな不器用な優しさが効いたのか、ヴァレンはついに反応を示す。それは頬をゆっくりと伝う一滴の涙などではなく、幼気のある涙声。ヴァレンはその妖艶な見た目に反し、まるで子供のように泣きじゃくって玲奈へ抱きついた。
ついにヴァレンは涙声で赤裸々に感情を吐露する。
「私……私ね……今絶対に運命の人に会ったと思ったの!!! なのに……なのにぃ……!!」
あまりに取り乱している様子なので、ついには玲奈も平静を保ってはいられない。
「あ、あああのね! 大丈夫よ! 大丈夫だから! ちょっと泣きすぎだって――!!」
玲奈の声は、泣き喚くヴァレンに掻き消される。城の敷地内を往く和装の人々は、次第に二人へと注目し始めた。
玲奈はもはや自分が最も恥ずかしい立ち位置に居る気がした。泣き止んで貰うためには、手段を選んでいられない。とっておきの黒歴史を聞かせてやろう。
「だ、大丈夫……大丈夫だから。私なんてね、あんたより年上のくせして、いまだに彼氏とか作れたことないから……! しかも中学でね、ちょっとした崇高な趣味がバレちゃってね、陽キャから罰ゲーム告白なんて喰らってんだからね……! そんで私ったら、それちょっとマジにしちゃって……こんな惨めな女が横にいるから! ああもう思い出したくない! 死にたい!!! 私のが泣きたいわ!! 殺してくれ!!」
それでもヴァレンは、いまだ子供のように啜り無く。とにかく周りの視線が痛いので、玲奈は半ば無理矢理ヴァレンを引きずり、城の敷地を後にした。
そのとき、そんな魔導師の喧騒を物陰から窺う男が一人。古風に髷を結ったその男は、そこで足を止めたまま呟いた。
「……全くやかましい魔導師共どもだ。品の一つもありゃしねぇ」
そして二人は、ようやく城下町まで下った。玲奈はヴァレンを落ち着かせようと、茶屋で小休憩を取ることを勧める。城内よりも少しだけ落ち着いたヴァレンは、その提案を呑んでくれた。
茶と団子を間に挟み、二人は店の外の長椅子へと腰掛ける。とりあえず玲奈は、茶をヴァレンに差し出した。ヴァレンはそれを受け取って喉を潤すと、ようやく我に返る。
また少し時間が経ってようやく平時にまで落ち着くと、ヴァレンはさりげなく団子の串を手に取りながら、脈絡も無く話を始めた。
「……私さ、分かんないの。恋とか、愛とか、そーいうの」
「それは、まあ、そのぉ……私もです」
玲奈は正直に応じた。つまるところ、彼女にその答えを述べる術は無い。当然に沈黙が場を支配した。
そしてその沈黙を破るべく、ヴァレンは再び口を開く。
「……恥ずかしくて惨めだから、こんなこと誰にも言いたくないんだけどね、聞いてくれる? 私が魔導師になった理由」
「え、ええ」
「ダイちゃんに比べたらさ、もう信じられないくらい馬鹿だけどさ、私はその……こ、婚約者を探す為に魔導師になった。魔導師になって王都に来て、魔導師としてたくさんの人に出会う中で、運命の人をずっと探して来たの」
ヴァレンは続ける。
「フェイバルさんの弟子になるとき、魔導師になって何を成したいのか聞かれた。そのとき私は、『愛を知る為』なんて、綺麗に取り繕って話した。だけどほんとは、ただ運命の人を見つけたいだけ。ほんとにただ、それだけなの」
いつもは美しく映るヴァレンの横顔が、少し可愛く見えた。玲奈はそれに見とれて、また黙り込みそうになったが、どうにか気を確かに返答する。
「……いいんじゃないかな。だってそれをフェイバルさんが認めてくれたから、ヴァレンはフェイバルさんの弟子として、魔導師やってるんでしょ」
どうか彼女に前を向いて欲しい。だから玲奈は、少し格好付けた言葉で補足する。
「それにさ、まだヴァレンだって、魔導師人生始まったばかりでしょ? こんなことでくよくよしない! 身が持たないって。だからね、もう次に向き直ろうよ。恋愛ってそういうもん。多分。多分ね」
不器用で優しい言葉が、またヴァレンの涙腺に効いてしまう。彼女はまた涙声になって声を零した。
「レーナさん……」
「ああもう、泣かないの! ほらほら、お茶飲んで団子食べて! 元気出して王都に帰ろう! 帰るまでが、仕事でしょ!」
ヴァレンは零れる涙を拭うことなく、豪快に団子を頬張る。ぐちゃぐちゃの感情を隠すことなく曝け出すその姿は、年下のヴァレンがやっと年下らしく見えた瞬間だった。
No.95 自治区・ミヤビ
大陸がギノバスを中心として統一的に統治される中、唯一の自治区に指定された都市。ミヤビ独特の文化を保存する為、ギノバスの介入は最低限に留められており、故に独自の統治機構を持っている。またミヤビにはギノバスの警察組織である騎士は駐留せず、自治団が設置されている。統治機構間及び騎士団自治団間に実体的な主従関係は無いが、ギノバスが大陸で大きな影響力を持つ以上、ミヤビはギノバスに対して慎重な姿勢を迫られているのが実状である。