10.魔導師たる決意
メディナル神殿遺構への緊急召集から一日が経った。時刻は正午。長い遠征に体が疲れてしまったのだろう、玲奈はいまだベッドの中に居た。幸いにも、本日はフェイバルへ付き添う予定も無い。彼女は自身の睡眠欲のままに、惰眠を貪ることにした。
そうなる、はずだった。
「――フ……フェイバルさん、どうして私たちは今こんなところに居るのでしょうか……?」
フェイバルは顎に手を当て、その返答を少し考え込む。暫し経つと、なぜか妙に面持ちでその問いに答えた。
「……言ってなかったっけ。今日は飽き性の俺がずっと継続してる仕事の日だ。いや、仕事ってか慈善活動か」
玲奈がフェイバルに連れてこられた場所、そこは王都の隅にある小さな魔法学校だった。しかし魔法学校とはいいながらも、それは広大な敷地と綺麗な校舎が備わった立派なものでは決してない。そこにあるのは、年季の入った木造の平屋と、雑草の茂る窮屈な土地。玲奈の知る言葉では、寺子屋に近い雰囲気だろうか。中世風の大都市に立つ建物にしては、どうも貧相すぎる。
「今日の仕事は、ここに居るチビ共に簡単な魔法で遊んでやる。ただそれだけだ」
男はあたかも軽い仕事であるかのように言うが、玲奈は一応真実を述べておいた。きっと彼が失念しているだろうと思ったから。
「あのー、フェイバルさん。私魔法なんて一つも使えませんけど……?」
フェイバルは特に焦りもせず返答する。
「あれ、そうだっけ?」
そして彼はまた少し考え込むような動作をすると、暫し後に再び口を開いた。
「……まあ、あれだ。結局は子供の相手するだけだ」
高かったハードルは、随分と強引に下げられた。もはや玲奈には、フェイバル特有の適当発言に思われる。それでも彼女にはそれが都合良いので、彼女は真実を疑わずに了承した。
「わ、分かりました……」
了承しはしてしまったが、ふと玲奈はどことない不安に襲われる。またその一方で、彼女はフェイバルにこれほど義理深い習慣があることを意外に感じていた。何せぶっきら棒で愛想の無いこの男が、依頼でもないのに子供を相手するというのだから。
フェイバルはずけずけと敷地内を闊歩するので、彼女は恐る恐るそこへと続いた。そして二人は、あっと言う間にして平屋のすぐ前へと至る。そのときフェイバルは、特に躊躇無く古びた木製の引き戸に手を掛けた。
戸を開けば、男はまたもそこに足を踏み入れる。不法侵入を疑いたくなるが、玲奈はフェイバルを信じて仕方なくそこを進んだ。
戸を開けると、そこはすぐ廊下に繋がる。突き当たりまではちょっとばかりの距離があるが、通過する際にすれ違う部屋は、まさに静寂そのもの。どうやら殆どの部屋が使われていないらしい。
突き当たりまで到達すると、ようやく中から声のする一室へと辿り着いた。微かに聞こえる声は、年老いた女性のもの。玲奈はそれが、この学校の先生であろうと想像した。
明らかに座学が行われているので、玲奈は授業が終わるまで待ちぼうけることになるだろうと悟る。しかしフェイバルの手は、既に引き戸へと伸びていた。
「……え、入っていいの?」
男はそれに玲奈の声に応える間もなく、まるで自宅であるかの如くそこへと押し入る。奇想天外の行動に彼女は戸惑ったが、すぐ我に返って教室を覗き込んだ。
視界に映ったのは、六人の子供たち。そして教壇には、やはり先生らしき老婆の姿があった。
フェイバルは、妙に気さくな様子でその老婆へと語り掛ける。
「よおモナ婆。遊びにきたぜー」
老婆の声は歓迎するものではなかった。
「ちょっとフェイ!! まだ座学の途中なのよ! しばらく外で待ってなさい! ほんと昔からフェイはアホでデリカシーが無くて――」
そして大の大人が怒られる姿は、部屋の子供らにとって滑稽に映る。
「フェイ兄怒られてらー! だっせ-!」
「フェイ兄ちゃん、また後で遊んであげるから!」
子供にまで笑われるその悲惨な男を目に、玲奈は思わず声を零した。
「フェイバルさん。あのね、戻ろっか」
フェイバルと玲奈は教室を後にした。戸の傍で廊下に座り込むと、ひびの入った窓の外の空をぼんやりと眺め、ただ時が過ぎていくのを待つ。
暫しの無言の時間が流れる中、フェイバルは突拍子も無く玲奈へと尋ねた。
「……レーナ、お前の両親はどこに居るんだ?」
異世界から来ました、などと語るのは何かのタブーに触れる気がした。だから玲奈は、適当に誤魔化しておくことにする。
「……えぇっと、遠いとこに居ますよ。あ、別に死んでるってことじゃ無くて、普通に遠い場所に住んでます。私は一八歳の頃に実家を出たんですが、それからは忙しくてあまり会えてませんね」
男は尋ねておきながら月並みな反応をする。
「へー」
玲奈はその質問の真意を探った。
「なんで急にそんなこと聞くんです?」
「……ここ、昔は孤児院だったんだ。そんでモナ婆は、俺の親みてーなもんだ」
「そ、そうだったんですか」
玲奈は反応に困りながらも、素直に思ったことを聞いてみる。
「今はもう、孤児院じゃないんですね」
「ああ。モナ婆も年だし、そこまで面倒見きれないんだと」
「そう……ですよね」
そこで話は潰えた。男が切り出した質問の意図は明かされない。
そして玲奈が眠気を催し始めた頃、ようやく引き扉は開かれた。子供たちは騒々しく部屋から飛び出すと、瞬く間にフェイバルへと群がる。
「フェイ兄! 魔法教えて! 前の続きだ!!」
「私も私も!!」
男はまんざらでも無い様子で、五人の子供たちに無抵抗で押し流され始めた。玲奈はその人気ぶりをただ呆然と見つめる。そしてそんなことをしているうち、彼女の元には杖を突く老婆が現れた。
老婆は穏やかに尋ねる。
「あなたは、フェイの新しい秘書さんかしら?」
「あぁ……えと、はい。レーナ=ヒミノと申します」
「私はモナミ。ここで先生をやっているの」
モナミの自己紹介も束の間、玲奈は彼女の言葉に返答する間もなく、その老婆の背中に隠れる小さな人影を視界に捉えた。見て見ぬ振りをするのも不自然なので、玲奈はその少女の正体をモナミへと尋ねる。
「……モナミさん、その子は?」
その少女はふと玲奈を見上げたものの、すぐにそこから目を逸らすと、また下を向く。モナミはそんな少女の頭に優しく手を据えたまま、その子の名を明かした。
「この子はニア。ちょっと気弱なのだけど、優しい子よ」
玲奈はニアをちらりと見つめる。それでもやはり目を合わしてはくれないので、彼女はしゃがみこんでニアとの対話を試みた。フェイバルの仕事に付いて来たのならば、ここで人見知りの少女を見放してはならないだろう。
玲奈は月並みな挨拶を柔らかな口調で囁いてみた。
「……ニアちゃん、こんにちは」
少女は意を決してそこへ応じる。
「こ、こんにちは……」
「みんなのとこに行かないの?」
「わ、わたし……その……まだ魔法とか全然出来なくて……だ、だから……」
「そ、そっか」
玲奈は思わず言葉を詰まらせた。そしてそれと同時に、ここが転機であることを悟る。自身もまた魔法を使うことの出来ない玲奈だが、妙にポジティブな彼女は、今こそがそれを手にする機会であると解釈した。
玲奈は意を決して提案する。もはや口走ってしまった、と言うべきだろう。
「ねえ、ニアちゃん! 私と一緒に習ってみない? 魔法を!」
その突然の提案に、案の定ニアは困惑した。それでも玲奈は折れない。彼女はもう一押しを仕掛ける。
「大丈夫! 私だってまだ魔法なんて一度も使ったことないし! 同レベルだよ、同レベル!」
自分で言っておいて何だが、このカミングアウトはむしろニアを不安にさせる気がした。ただ幸いなことに、モナミもまたここがニアにとって良い機会であると考え、その少女の小さな背中を押してやる。
「ニアちゃん、一緒にやってみたら?」
ニアは俯く。そして暫しが経ったとき、ニアの口からはついに玲奈の望んだ返答が零れた。
「せ、先生が言うなら……」
「……やった! 決まりね!」
玲奈は小さく拳を掲げる。しかしそのときモナミの口からは、忠言が告げられた。
「二人だけでやる練習は、魔法陣の展開までよ。それ以上を二人だけでやるのは危ないから」
ふと玲奈は、かつて心のどこかで抱いた葛藤を思い出す。それはすなわち、かねてより憧れ続けた創作の世界の魔法と、大陸戦争で黒き歴史を紡いだ悪しき魔法。憧れという軽薄な感情で人を殺める力を手にすることへの恐れ。
それでも口にしてしまったことは取り消せない。玲奈は己を騙しながら、少女の手を取った。
二人は建物の陰になる庭の隅っこへ場所を変える。玲奈は普段から持ち運んでいる入門の魔導書を抱えてニアへと尋ねた。
「……ニアちゃんはさ、属性診断ってやったことある?」
「はい。というか、王都生まれの子は、みんな受けることになってます」
「そ、そうなんだ。健康診断みたいなノリか。それで、適性は?」
「……水魔法に強化魔法。それと治癒魔法です」
玲奈は手元の魔導書をぱらぱらとめくり、ニアが適性を持つ魔法の子細を調べた。魔法属性の概要が見開きでまとめられた総覧のページに辿り着くと、刻まれた文章をそのまま声に出して読み上げてみる。
「……水属性は名前の通り、水を操る魔法。強化属性ってのは、自身や他人の身体能力を強化する魔法ね。それで治癒属性も名前のまんまで、傷や病を癒やす魔法……ふむふむ」
ここでニアは、ふと思い出したように付け足した。
「あ、あと氷魔法もです」
それを聞いた玲奈は、本を勢いよく閉じ顔を上げる。
「氷! 私と同じじゃん」
「そ、そうなんですか」
こうなれば話は早い。二人は当面の目標を氷魔法に定めた。
とはいえ魔法の基礎は魔法陣の展開なのだから、魔法属性はまだまだ先の話題だった。玲奈は総覧のページを遡り、魔法陣の展開を指南する内容へと目を向ける。指で文字を追いながら、またぶつぶつと文字を読み上げた。
「……魔法の行使における最も初期の手順は、魔法陣の展開である。魔法陣とは体内の魔力を放出することで発現する円形の紋様であり、術者の熟練度に応じてより硬質に顕現する。行使する魔法の規模に応じて、魔法陣の展開に要する魔力量も変動する。また実戦においては、敵からの攻撃に対する防御手段としても使用される」
そして彼女の音読は続く。
「魔法陣の展開において重要な点は、体内の魔力を任意の座標へ集約する感覚を体得することである」
玲奈の音読はそこで途絶えた。そのあまりに抽象的で非現実的な文章は、二人を怯ませる。
それでも黙り込んでいるわけにはいかないので、玲奈は無理矢理に言葉を紡いだ。
「……と、とにかく物は試しだと思うの」
ニアは咄嗟に応じる。
「……わ、私もそう思います」
新卒の頃を思い出す程に不可解なことばかりで困窮しているものの、玲奈は本を置いたまま立ち上がった。ニアも慌ててそれに続く。
完全なる手探りではあるが、とりあえず玲奈は目を閉じてみる。それは魔法という未知なる神秘から、なんとなく瞑想や精神統一を連想したからだろう。
玲奈が頼みの綱であるニアもまた、見よう見まねで目を瞑った。そして庭の隅は、風の音だけに支配される。
それでも無情なことに、玲奈の望んだご都合主義の展開は訪れない。有識者なくては、あまりに無謀な道だった。何の成果も表れぬまま、ついには日が沈みかける時間にまで至る。
玲奈が瞑想に耐えかねてふとニアの方へ目を向けたとき、もうその少女は俯いて泣き出しそうなほど弱っていた。
「や、やっぱり私には……」
「だ、大丈夫! 繰り返しやってみればきっとできるから!」
玲奈には考え無しに元気づけることしか出来なかった。そして自身も感じていた悔しさからか、彼女は勢いのままに決心を口走る。
「わ、私……魔法が使えるようになるまでここに通うから! だから、一緒に頑張ろ!! ね!!」
玲奈はニアへ手を伸ばした。一度は迷いながらも、少女はその手を握る。重なった手は、強く結ばれた。
我ながらクサいことをしてしまった。そんな微かな後悔をしながらも、玲奈の決意は揺るがない。
そんなときフェイバルとモナミは、まるで見計らったかのように校舎の影からそっと姿を現す。フェイバルは気だるげに頭を掻きながらも、ふと言葉を零した。
「……とりあえず、一段階は越えたのかねぇ?」
モナミはそれに応じる。
「ええ。魔法とは愛。魔法は涙を拭う。涙を流す程の悔しさや挫折こそ、魔道の始まりなのだから」
「一日無駄にして挫折しただけで、そう上手くいくもんか?」
「きっと上手くいくわよ。魔道の入り口は広い。天使様の計らいね」
「まー深く入り込んでみれば、相当に厳しい茨の道だがな」
小さな学校は下校時間を迎え、玲奈とフェイバルもその刻限に合わせて帰路へと就く。
行き詰まった様子の玲奈は、黙り込んだまま道を進んだ。そフェイバルは彼女を励ます、ことをするはずもなく、何故かこのタイミングで唐突なカミングアウトを決行する。
「……レーナ。そういえばお前さっき、魔法が使えるまで学校に通うだなんて言ってたけど、一週間後には任務だからな。ギルドの掲示板から、既に一つキープしてある」
玲奈が驚くことはなく、訪れた感情は呆れだった。こういった勝手な予定を入れられてしまえば、先日の日程調整が狂ってしまうことくらい子供でも分かる。常人ならばきっと怒鳴ったりなどするのだろうが、玲奈は感情が一周回って冷静に口を開いた。
「……なんでそれを今言うんです? スケジュール組んだときに教えといてくれないと、スケジュールの意味無くなるでしょ」
「なんとだな、忘れていた」
フェイバルは悪びれもせず即答した。怒る元気もツッコむ余裕も無い。
一つ溜め息を吐くと、玲奈はふと顔を上げた。向こうが唐突なことを口にしたのだから、仕返ししても罰は当たらないだろう。なにより彼女は、魔導師たる彼から聞きたかったのだ。ここで聞かねば、もう二度と納得出来ないきがした。
「……フェイバルさんにとって、魔法ってなんです?」
「……なんだ急に?」
案の定フェイバルは言葉を詰まらせるが、玲奈はあえて急かした。
「答え! 早く!」
「……資産」
あまりに呆気ない答え。玲奈は心とどこかで、もう少し腑に落ちる回答を望んでいた。
玲奈はもはや何も聞かなかったように振る舞い、ただ歩を進める。すると彼は、そこで補足するように言葉を続け始めた。
「そのものに価値があって、でもそれを伸ばす才能の無い奴とある奴がいる。不平等さ、理不尽さが、資産みてーだ」
玲奈は理解しかねた。
「へ?」
「それで俺は、才能がある方の人間。実際魔法で稼いでるわけだし、恵まれてる」
玲奈は黙り込んだ。対してフェイバルは、珍しくも多くを語り始める。
「持ちし者は、持たざる者に分配する。それが資産だ」
そこで玲奈は、何となく男の言いたいことを理解した。期待通りの答えが表れる予感がしたので、彼女はついフェイバルの横顔を一瞥する。そのとき彼が見せた至って真面目な顔は、初めて目にする代物だった。
「貴族が孤児院に寄付するのと同じことだ。魔法は俺が俺より弱い人間を救う為の、俺なりの手段だな」
そこで玲奈は、思わず胸の内の葛藤を露わにする。
「……でも、魔法は人を殺します。資産は人を殺しません」
「資産でも人は殺せるぞ。王都にだって殺し屋がごまんといるし……いやその殺し屋は大抵が魔導師崩れだから……この話は止めだ」
フェイバルは決まりが悪そうに一息つき、また口を開く。
「まー要するに、俺は周りの人間殺られない為に魔導師やってんだ。国選魔道師になった今は、その守るべき範疇が随分と広がったがな」
そのときフェイバル唐突に立ち止まった。玲奈はそれに釣られ、共に足を止める。
フェイバルの視線は、珍しくも真っ直ぐに玲奈を捉えていた。そのとき彼女が見たのは、男のどこか真剣な眼差し。
「……魔法は人間を殺せる。間違ってない。だが、殺す人間を決めるのは人間だ。道を踏み外した人間は、その選択を誤る。それを止めることができるのは、そいつを上回る魔導師だけだ」
そしてフェイバルは玲奈に問うた。まるで彼女の葛藤を全て読み切っているかのように、容赦なく追い詰める。
「ギルド魔導師になるということは、人を殺す術を覚えることじゃない。殺す人間を選択する運命を迫られるということだ。ちな次の任務は魔法戦闘。まさにその選択の連続。もしお前に迷いがあるのなら、今ここでその首から下げた紋章を外せ」
男のあまりに真っ直ぐな瞳は、玲奈を意外にも直ぐに決断させる。彼女は、男の見せた魔導師としての矜持に心酔してしまった。自信も根拠も無いが、それを情熱だけが上回る。
「……やります。やってやりますよ。もう二度と、無難な生き方しないって決めたんです――!」
玲奈は彼の言葉に押され、熱く宣言した。それはもう無謀で軽率な決断ではない、彼の描いた魔導師像への決意表明。
フェイバルは少しの笑みを浮かべた。再び歩き始めながら、いつもの無気力な声で呟く。
「……魔法陣も出せない奴がよく言うぜ。これから頑張りましょうね、一般人さん」
唐突に煽られた玲奈は反撃を試みた。そこそこ性根の歪んだ彼女は、もはや関係ないところで煽りだす。脳裏によぎるのは、
「スケジュール管理も出来ない人がよくそんなこと言えますね。一般人? ブーメラン乙です。なんならフェイバルさんは、一般人以下です。無教養ブーメラン!」
フェイバルはその奇天烈な言葉を理解出来ず首を傾げる。玲奈はその微妙な空気に耐えかね、また歩みを早めた。
No.10 魔法陣
魔法を発現する際に生じる、紋様を浮かべた円状の魔力結晶体。術者の行使する魔法属性によって異なる発色を見せ、また術者の魔力に応じてその硬度が変化する。魔法戦闘では防御手段として頻繁に用いられる。