悪女だってやり直したい!
あんまりすぎる人生だ。ブレンダはそう思いながら毒杯を呷らされた。
ブレンダは幼い頃、気まぐれでボロボロだった女性に水をあげたことがある。なぜかは覚えていないが、そうしたほうがいいと思ったのだ。
女性に水を渡すと彼女は目を丸くして礼を言いつつ受け取った。そして一つ二つ会話をした。その内容はほとんど覚えていなかったが、一つだけ覚えている言葉がある。
「あなたが死ぬときに『幸せだった』と思える人生を約束するわ。」
そう言って彼女はブレンダの額に人差し指を付けると『おまじない』をしてくれたのだ。
それから月日が経ち、ブレンダが十の誕生日を迎えるころに侯爵家に引き取られた。母親が侯爵の愛人で正妻が亡くなったことをいいことに後妻として収まったのだ。
「今日からここがお前の家だよ、ブレンダ。」
この家の主らしき男――父親にそう言われた時に、ブレンダはこれが彼女の言っていたことかと胸を高鳴らせたものだ。
この国では貴族と平民の生活の違いははっきりしており、貴族は平民をごみのように扱っても許される、そんな国であった。だからこそブレンダは自分の幸運に感謝し、かつて『おまじない』をしてくれた女性にも感謝したのだ。
侯爵家には正妻――いや前妻との間に娘、ブレンダにとっては姉のアリシアがいた。しかし父はこの姉のことを毛嫌いしていたようだ。くすんだ藁のような髪、陰気臭さを感じる昏い青の瞳、無表情にこちらを見てくるその姿がブレンダも気に食わなかった。貴族の娘として今まで恵まれた生活をしていたのだろう姉のことが心の底から嫌いだった。姉の味方をする人間を父親に頼み追い出させ、彼女のものを奪い、贅沢な生活に浸った。綺麗な服に美味しい食事、美しいアクセサリー……望めば父はなんでも買い与えてくれた。
「ありがとう、お父様!」
笑顔で礼を言うと父は笑い、母も微笑む。
「まだいたのアンタ。その辛気臭い面を私の前で見せないで頂戴。」
目についた姉をいびり倒すことで気分もすっとした。そんなことをしていた為か、結果的に姉は心労から病死した。だがブレンダにとっては「だから?」と言った話だ。
死んだ姉の代わりに婚約者も与えられた。元々姉の婚約者だったらしい男は私の物となった。結婚相手にも困ることはなくなり、ラッキーと思っていたらある日、王命を携えて一人の男がやって来た。
その男は公爵家の人間であった。この時は分からなかったが、後にこの男はどうやら姉に惚れ込んでいたらしいということに気が付いた。そして私はこの男の手によって断罪されることとなる。
男は姉が病気になった際に父親が医者を手配しなかったことが問題だったと槍玉に挙げられたのだ。なぜあんな女を見殺しにした程度でそんなことを言われねばならないのか、侯爵である父親の方がよっぽどこの国に必要とされている人間だというのに。そう訊くと無駄に顔の整った美しい男はその表情をこれほどかというほどに歪めてこう言った。
「その男は侯爵なんかではない。」
なんということだ。父親は元々子爵の三男坊であり、前妻にうまく取り入り結婚に漕ぎ着けた男だった。あくまでも侯爵家に娘婿として入っただけで侯爵家の相続人ではないということを初めて知らされた。父親はあくまでも姉の父親であったからこそ侯爵のような振る舞いを許されていただけだったというのだ。
姉を見殺しにした。つまり侯爵家の爵位簒奪を狙ったと言われてしまったのだ。父はそんなつもりは無かったと言ったが、そんな弁明は許されることはなかった。
「今回の件は王族も重く見ている。歴史あるベストリア侯爵家の乗っ取りなどという愚かな行いを行ったお前たちを王家も……この私、ジルベール・ノーヴィスも決して許しはしない!」
「そ、そんな……!!」
父親はこれから自分に下される沙汰に絶望し、膝をついたままうなだれた。そして私も爵位簒奪に関わったとされ、死ぬことを命じられた。そして、母親は私という名の荷物を置いて、一人で金を持ち逃げした。すぐに捕まったそうだが、母親にとっては娘は貴族に取り入るための道具にすぎないのだと、その時に初めて気が付いた。
そうしてブレンダは、罰として自ら毒を仰ぎ死んだのだ。……己の迂闊さを呪いながら。
「今日からここがお前の家だよ、ブレンダ。」
その言葉にブレンダはハッとして辺りをきょろきょろと見回した。
「どうしたんだい、ブレンダ?」
「ふふっ。ブレンダはこんな大きなお屋敷初めてだものね。びっくりしちゃったのかしら?」
目の前にいたのは一足先に処刑された父親と母親。あまりのことに言葉を失っていると、それを緊張と疲れから来るものだと考えた両親は、ブレンダに早く休むようにと言って使用人に部屋に案内させた。ブレンダを部屋に案内した老いた侍従はブレンダに対する蔑みの視線を隠すことはなかった。彼は『前』からこのような目でブレンダと両親を見ていたということを思い出した。だから『前』のブレンダはこの男をすぐに首にさせたのだ。
そしてブレンダは自分の姿を部屋で確認し、忌まわしい侍従に今日の日付を尋ねて――鼻で笑われながらではあったが答えてもらう。……返答を聞いた時にはっきりと理解した。
――そう、ブレンダは侯爵家に引き取られた日に戻っていたのだ。
逆行したということに気が付いたブレンダは今度は失敗しないと決めた。前は姉を見殺しにしたのがダメだったのだろう。今度はそんなことはしない。姉に常に監視をつけて体調の変化や交友関係などがすぐにわかるように様子を見張らせた。姉の味方になりそうな人間には姉の悪い評判を吹き込み距離を置くように誘導し、下手に知恵をつけられると面倒だったので姉の勉強の機会を奪った。姉を死なせないようにーー飼い殺しにして自由を奪ったが、死ぬよりはマシだろうと思う。
さて、姉の婚約者についてだが、顔だけはいい男であった。だが領地経営に興味を持たず、騎士になるべく努力するわけでもない。好きなことは賭博や花町で遊ぶことで正直、顔以外に取り柄はない。ベストリア侯爵家の先々代の当主の弟の血筋にあたるその男は分家筋の伯爵家の次男だ。
そして大事なことであるが、この男にはベストリア侯爵家の相続権がある。この男と姉の婚約理由は、侯爵令嬢である姉が他の家に嫁ぐことにより他家に侯爵家に口出しされるような事態を防ぐ為。つまり完全な政略結婚だ。伯爵家にとっても役立たずの次男を追い出せる上に、うまくいけば侯爵家になんらかの繋がりを得ることができるーー否、侯爵夫婦を傀儡にすることで実権を握ることも考えているのかもしれない。
だか、ブレンダにとって大切なことはそこではない。ベストリア侯爵家の血を一滴も引いていないブレンダが唯一、この侯爵家の人間であり続ける手段は男と婚姻することで侯爵夫人に収まることだけだ。顔と血筋以外に取り柄のない男であったとしても、ブレンダにとってはこの男が命綱であった。
ブレンダは男を籠絡することにした。奥ゆかしいと言えば聞こえはいいが婚約者に対して何もしない姉と違い、ブレンダは男に媚を売り、くだらない話でも相手を持ち上げ、ありとあらゆる手段を使い男を口説き落とした。こうしてブレンダは姉から婚約者を奪い取ることに成功したのだ。
「悪いがアリシア、お前との婚約は破棄させてもらう。俺はブレンダと婚約することにしたからな。」
「ロメオ、どうして……。」
姉は傷ついた顔をしていた。婚約者、いや元婚約者のいいところしか知らない姉の目には、こんな男でも誠実な人間に見えていたのだろう。哀れなことだとブレンダは思った。
婚約破棄された女に真っ当な婚姻の話はない。なんせ婚約を破棄されるような女が悪いというのがこの国の風潮だからだ。この国はとことんまで立場の弱いものを踏みつけないと成り立たないようだ。
そして父親は真っ当な話の無くなった姉を大金と引き換えにとある金持ちのジジイの後添えに据えることに成功した。相手は還暦を越しているらしいが、どうでもいい。
後は姉に適当な婚礼衣装を着せてジジイの元へ嫁がせるだけ、その後にブレンダが婚約者と結婚をする。やっとここまできたのだ。
後は貴族の妻として適当にやる事をやっていれば幸せな人生が約束されるーーはずだった。
「お前たち一家の行ったことは許されることではない。……正統なるベストリア侯爵家の後継者たるアリシアに行った非道も、だ。」
しかしまたもやジルベール・ノーヴィスに邪魔をされ、断罪された。あの男と姉を近づけないように交友関係も見張っていたのに、何故奴はよりにもよって姉が嫁ぐ日に侯爵家にいる?
ブレンダの疑問に答えるかのようにジジイが脱税的なことをしていた為に捕まったこと、姉はまだ婚姻届を出していないのでジジイとは無関係ということ、そしてブレンダたちを罪人として裁きにきたと言うことをジルベールは説明した。
「私達が何をしたというの?」
「個人的にはアリシアから自由を奪い、金で彼女を犯罪者に売ろうとした時点で許し難いが、お前たちが裁かれるのはーー横領罪だ。」
ブレンダは死なない為にありとあらゆる物をお金で手に入れてきた。母親はドレスや宝石を買い漁り享楽に耽った。つまり私達浪費家の母子のせいで家計は火の車、その費用の捻出の為に父親が領民の税金を横領していたことが発覚したのだ。ブレンダは内心舌打ちをした。まさか金に糸目をつけずに色々したことが裏目に出たとは。もっと金銭感覚をしっかり持った上で立ち回るべきであった。
そして再び母親は持てる金だけ持って逃げて、ブレンダは取り残された。どうせ捕まるから無駄だろうに、ブレンダはそんなことを考えた。
「アリシアにしたことの報いを受けよ。ーーすぐにお前の母親も同じところへ送ってやる。」
そんな有り難くない言葉を贈られながらブレンダは再び殺された。
「今日からここがお前の家だよ、ブレンダ。」
そして三度目の逆行が起こる。
しかしブレンダはもう疲れていた。頑張っても頑張っても公爵家の男がやって来る。奴はアリシアの為に邪魔な侯爵家を始末したくてしょうがないのだろう。流石に二回も人生をやり直していたらわかってくる。
それもそうだろう。父親は愛人とその娘に入れ上げ、正妻の娘を蔑ろにする。そのことに苦言を呈した使用人も処分する。そして愛人とその娘はいくら後妻と養子に迎えたとはいえ所詮は平民。しかもブレンダは血の滲むような努力しても人並みにしかなれない。それに比べてアリシアは生粋の令嬢として過ごしてきた為に気品があり、心優しい上に一を聞いて十を学ぼうとする才女だ。こんな汚物と愛しい女性が同じ家で過ごしていることがジルベールには赦せないのだろう。どうやら幼い頃からずっとジルベールはアリシアを想い続けていたそうだ。死ぬ前にあの男が自分でそう言っていたのだから間違いない。素晴らしい美談だ。最初から勝ち目なんてなかったのだ。
結局この人生では無茶なことはしなかった。生き延びることだけを考え、父親や母親にバレない様にアリシアにひっそりと媚を売る。困っている様ならできる範囲で姉を助け、婚約者を奪うことなく過ごした。お金も浪費するのではなく、必要なことのためにほどほどに使う。
こうしてブレンダなんとか生き延びた。
しかし姉の婚約者は浮気や借金で自滅。彼の父親からも見捨てられて、今は借金を返すために重労働をしているとのことだ。父親も横領自体はブレンダ達親子が来る前ーーつまり昔からやっていたので捕まり、母親は三度目も金と共に消えた。そしてすぐに捕まり処分された。何度も見捨てられた母親を助ける気にはならなかった。
ブレンダはアリシアに媚びを売った結果、なんとか温情が与えられた。横領の証拠探しを手伝ったのも大きいだろう。結局、僅かな金だけ持たされて侯爵家から追い出された。最後にアリシアが優しい姉らしく自分の元に侍女として来ないかと提案したが、どうせ理由をつけて公爵家の人間にいびられて惨めな思いをするとわかっていたのでそれを蹴り出ていった。ジルベールはアリシアの好意を無にしたことに怒りを抱いていた様だが、そのうちこの男なら理由をつけてブレンダを始末する気がした。侯爵家のことはアイツらが何とかするだろう。
結局ブレンダは昔いた貧民街に逆戻りをした。下手に貴族の目の届くところにいると、ジルベールが念のために羽虫を潰す感覚でブレンダを潰しにくるだろう。それはごめんだった。アイツはアリシアのことは溺愛しているが、それ以外の人間のことは道端の石ころくらいにしか思っていないのだから。
だからブレンダはここでひっそりと生きていくと決めたのだ。
「久しぶりね!」
そう言ってかつて水をあげた女性が現れるまでは。
「貴女、いつぞやの!!」
「初めて貴女を見た時にはびっくりしたわぁ。すっごく死相が出ていたのよね。だから貴女に死に戻りの能力を与えたのだけど、思った以上に魔力との親和性が高いのね。」
「えっ?」
「まあ片鱗はあったけど。追手に追われて逃げるために隠蔽魔法を使っていたのに、貴女私のことを認識出来ていたものね。」
「どういうこと?」
突然の展開にブレンダが目を白黒させているとあの当時のボロボロの姿からは想像できないほどの妖艶な容姿の女性は、ニンマリと笑ったのだ。
「私は魔女よ。……魔女はかつて迫害を受けた為に人数は減ったけれど、私みたいな者もまだ生き残っているの。」
こうして魔女の才能があったことが判明したブレンダは、魔女として新たな人生を歩むことになったのである。