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蠱術師ナアハと鼠蠱の"ちゅう"  作者: 岩佐茂一郎
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其捌

命令のままにちゅう目掛けて跳び出す猫蠱(びょうこ)に、


「未熟者め」


小さく舌打ちしたバアバの頭からなにか小さな粒が跳ね出して、


「ああ!」


少年のみならずその場にいた全てが驚愕したのは、


ズザザザザァ――ッ


何故か空中で姿勢を崩した猫蠱が落下して、地面を滑ったからだった。


猫蠱は立ち上がろうとしているが、四肢にうまく力を入れられないらしい。


震える脚では体を持ち上げられず、終には倒れ込んだ。


まだ細かく痙攣している猫蠱からさっきの粒のような何かが跳び出して大きく跳ねながらバアバの頭へと戻っていく。


その粒状の何かとは、バアバの蠱、蚤蠱(そうこ)だった。


「……バアバ、何したの?」


ナアハに訊かれ、


「蚤に仕込んであった麻痺の蠱毒じゃよ」


事もな気にそう応えたバアバは、立ち尽くしている少年を、


「これ、小僧。その蠱を連れ帰ってちゃんと手当をしてやれ。蠱はな、使い捨てでも殺しの道具でもないぞ。そこを履き違えてはいかん」


淡々と諭した。


そんなバアバの横顔を見ていたナアハは以前彼女が言っていた、


「蠱は強ければよいのではなく、使い方だ」


という言葉の意味がちゃんと(・・・・)理解できた気がした。


「早くその猫蠱を下げぬか! ……御婆(おばば)様、ほんに申し訳ない」


少年の失態にシマトは青褪めてバアバに謝罪する。


何にそれほど(すく)み上がっているのかと言うと、殺せと言って蠱をけしかける明らかな敵対行為のみならず、少年がバアバを"草鬼婆"と呼んだ事にだった。


草鬼婆とは下層の蠱術師への蔑称である。


そう呼ばれれば、バアバが激怒しても仕方ない。


だが、バアバは、


「構わねえよ、草鬼婆にちげえねえからの」


シマトの恐れを見透かしたようにニタリと笑って不問に付した。


そのゾワリとしたバアバの笑いを見て、シマトはゴクリと唾を飲み込み、


「す、済まぬ……若い者たちには、詳しい話をしておらぬで……」


更にそう釈明すると、


「あまり広めぬ方がいいっちゅうおめえの気遣いだろ? わかっているさあね」


本当にこの話は終わりだ、とばかりに掌をひらつかせるバアバ。


詳しい話? 何の? と小首をかしげるナアハの腹を、


「気にするな」


バアバは軽く杖の先で小突いた。




こんな事になってしまった事だし、と今日のところは明闘を止めにする事になった。


宗主の家で食事が振る舞われる。


広間にはバアバとナアハを囲むように里術師達の主立った者が座っていた。


居心地が悪くはあったが、先程の明闘後、今までのような蔑みの視線がなくなっただけましではあるとナアハは良いように考える事とする。


誰と同席しようがバアバが泰然としているのはいつもの事だった。


そのバアバに里術師達は先程、猫蠱に何をしたのかの説明を求めたが、バアバはそれには応えず世間話をするかのように、


「ナアハや、お前の鼠はやはり例外じゃったな」


「例外? どうして?」


「鼠が猫を下したのじゃ。尋常な事ではないぞえ?」


だがナアハは笑って、


「何言ってるのよ。バアバの蠱なんて蚤なのに猫蠱を倒したじゃない。そっちの方がよっぽど例外よ」


「いいや、それは違うのじゃよ。ナアハや、よっく聞けよ。造蠱は自然界の縮図じゃと何度も教えたじゃろ? 出来上がった蠱もまた自然界の(ことわり)から外れる事はないものじゃ」


訊きたかった話が始まったようなので、里術師達も一緒になって耳を傾けた。


バアバが言うには"蚤"自体は確かに小さく弱い生き物かもしれないが、小さいがゆえに脅威でもある。


「猫が蚤を潰すことがあるか?」


「……ない、と思うわ」


「じゃろ? 猫に蚤は倒せんのじゃよ。そして例えばな、病気の(もと)を持った蚤が猫の血を吸えば、猫は病気になる」


その自然界での関係は、造蠱され"蠱"になった後にも大きく変わることは、ない。


バアバは自分の蚤蠱に色々な毒を扱えるような工夫をしていた。


その毒による蚤蠱の攻撃は、猫蠱には避けようがないのだ。


そう言う事だったのか、と聞いていた者たちはなんとなく理解した。


分かったと同時に、自分らがバアバの足元にも及ばない事を改めて思い知らされた里術師達。


「そう言うわけでの、蚤の蠱はうまく育てれば先程見たようにな、猫蠱の天敵になるわけじゃ。ならば蚤蠱が最強かというとそうはゆかん。猿蠱なら簡単に潰せるし、鶏蠱だの蝦蟇蠱だのには簡単に喰われてしまう」


なるほど、そんなものなのかと唸る一同にバアバは続ける。


「それにな、さっきの猫蠱はな、成長前で小さかったから何とかなったが、もっと大きな、狼だの虎だのの蠱なら毒の回りが遅いか効かぬかでどうにもならんのじゃよ」


人為的に造り出された超自然的な存在に見えて、やはり蠱もまた自然の理に縛られた存在であり、"全てに勝てる究極の蠱"のような上手い話はない、という事だった。


バアバの話に、尤もな事だ、と頷く里術師たちだが、


「じゃがの、お前の鼠蠱は……」


自然界で、蚤が猫を病気にすることはあっても、鼠が猫をやり込めるなどということはない。


その起こり得ないことをナアハの鼠蠱はしてのけた。


それもバアバの蚤のように工夫を施してあるわけでもない造られたばかりの蠱が、だ。


そんなふうに説明されるとナアハは、


「だから例外……」


何だか恐ろしくなってくるのだが、ここで懐から少し顔を出して見上げるちゅう(・・・)から念話が飛んできた。


《そのような大層な話ではない。あの猫蠱が弱かっただけだ。あやつの(かめ)の中には己より弱きものの他はいなかったのであろう》


そうだ、ちゅうは猫も蛇もいる造蠱甕の中で生き延びたのだった。


それ一度だけならはまぐれや幸運で片付けられるが、これで二度目。


まぐれも二度続けば実力か……奇跡だ。


ちゅうの意見に同意したナアハはそんなふうに自分の蠱が言っている、と伝えると、


「……ナアハや。お前の鼠は……」


バアバが絶句している。


「そんな複雑な話を念話で? ……そんな上位蠱に……鼠が?」


里術師達は更に混乱していた。


みんなどうしたの? という顔のナアハに、


「お前だけが分かっておらぬようだな」


バアバはどっと疲れたように、鼠のような小さな生き物が素になった蠱が、念話、それも知能程度が相当高くなくては出来ぬ内容の、を使うなどやはり例外、それもかなりの例外だ、とナアハに説いた。


ともかく、


「ナアハはな、儂以上の蠱術師になるぞえ」


ナアハの鼠蠱の出来に対する驚きよりも、育てた子が自分を超えそうだという喜びの方が勝ったバアバは自慢気に里術師達にそう断言するのだった。

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