其柒
里術師。
この一族の規模は大きく、何世帯もが集まったここには一つの邑が形成されていた。
集落はぐるりと土塁で囲まれ、その中心にはちょっとした広場がある。
そこでは昨日からすでに明闘が行われ、ある程度まで勝ち残りが絞り込まれていた。
「いきなり勝ち上がってきた者と戦うのもなんだな……」
シマトは気を使ったつもりだったが、
「構わねえよ。負ければそれまでじゃ。手間を増やすだけじゃから、勝ち残ったやつとやらせろ」
バアバが無表情にそう言うので、勝ち残りの中の一番の年若である少年がナアハの相手をする事になった。
ナアハと同じ位の年頃だろう。
分家の少年ではあるが同世代の中では頭一つ抜きん出ているという。
彼の蠱は猫だった。
「……本当にやんのかよ?」
猫蠱が鼠蠱を相手にするなど、屈辱だ。
それに、途中参加のくせに勝ち残った自分と対戦だなど、いくら特別扱いされている御婆様の養い子だからといって厚遇が過ぎるだろう、とナアハを睨みつける少年。
(そんな目で睨むなんて、ナアハが狡してるみたいじゃない)
ナアハの心の中の憤慨を察してか、掌の上のちゅうがナアハを見上げ、
《我が主よ、今度こそ……》
《殺さないわよ。誰も殺しちゃだめ! 今から相手の蠱と闘うみたいだけど、それも殺しちゃ駄目だからね!》
《……分かった》
ちゅうの明らかに不満げな様子に、
(うふふ。相手は猫蠱よ? 殺していいかより殺されないかの心配をするべきじゃない?)
と笑ってしまうナアハ。
その笑いを、少年は余裕の笑みと勘違いしたのか、
「おい! 何、ニヤついてやがんだよ!」
更に苛立ちを募らせて突っかかってきた。
「ニ、ニヤついてなんか……いないわよ」
言い返そうとしたが、衆人の目に気付き最後は小声になってしまうナアハを、全く、何をしておるんじゃか、と呆れ気味にバアバが、
「さっさと始めろ」
後ろから中央へと押し遣った。
不意に背を押されたので少しよろけたナアハは、もうっ、と振り返ってバアバに頬を膨らませてみせる。
「両者よいな?」
シマトの確認に少年はナアハを睨んだまま無言で頷き、その足元の猫蠱も身を縮めた。
ナアハもちゅうを掌にのせたまま少年に向き直って小さく頷く。
「よし、では……始めいっ!」
合図とともに少年の、
「いけ!」
という命令とともに猫蠱は縮めていた筋肉を解き放つ。
ナアハも、
《ちゅう、殺さずに勝って》
そう念話を送る。
《承知》
短く応えて掌から跳び出したちゅうが、何故だか笑っていたようにナアハには感じられた。
誰もが勝負は一瞬でつくと思った。
猫と鼠なのだ。
例えば蠱ではない普通の猫と鼠蠱となら、鼠が勝つこともあろう。
だがこれはどちらも蠱。
鼠に勝ち目などない。
窮鼠齧狸、などと言うが、それはものの例えであって実際噛んだところで到底鼠が猫の甚振りから逃れられるものではない。
そして、決着は予想通り一瞬でついた。
が、その結末は予想通りではなかった。
躍り出た両者が空中で交差する寸前、猫蠱はちゅうに右前足の鋭い払い落としを繰り出すが、ちゅうは身を捻ってそれをすれすれで躱すと同時に、猫蠱の右前足をぶら下がる様に抱え込んで尻を大きく振り自分と猫蠱の前に進む力を回転運動へと換える。
その動きはまるで人族の体術で言う背負投のような形になった。
一撃で仕留めるつもりでいた猫蠱の目の前に地面が迫る。
なんとか掴まれていた前足から鼠蠱を振り払うのが間に合い、地面へ顔面をぶつける無様をさらさずに済んだかと思ったが、
!!
次の動きへの準備をしつつ、鼠の様子を探った猫蠱は動けなくなった。
首筋に何かを感じる。
それはいつの間にか自分の背の上に乗りそこから首を伸ばして動脈の真上に鋭い門歯を突き立てている鼠蠱だった。
「ば、馬鹿な!」
主である少年が負けを認めたのと同義の叫びを発したところで、
「そこまで!」
シマトの止めのかけ声が響き、
「戻っておいで」
呼ばれたちゅうは猫蠱の背からぴょんと飛び降りて差し出されたナアハの掌に納まった。
静寂が低いざわめきに変わる。
ナアハを見る里の者の目には最早、侮蔑の色は含まれていなかった。
あなた、強いのね、と鼠蠱の喉元を指で撫でるナアハに、
「ナアハや……」
じっと鼠蠱を見ながらバアバが声をかける。
「お前は何もしておらぬよな?」
「? 何も、って?」
「特に何かを命じたり……いや、よいのじゃ。お前にそうした知恵があろうとは思えん。お前の鼠は、大した鼠じゃ」
寄ってきたシマトも、
「確かに大した鼠だ。鼠蠱が猫蠱を負かすなど想像も付かなんだ」
と話に加わる。
面白くないのは負かされた少年だ。
「い、今のは何かの間違いだ! もう一度闘え!」
明闘の無効を訴えるが、
「見苦しい真似は止めい」
シマトに窘められる。
だが少年としても、はい、そうですか、と素直に引き下がれるわけはない。
先程までは勝ち残って皆に褒めそやされていたのに鼠に負ける等、自尊心が許さなかった。
「草鬼婆の養い子が! どんなインチキを教わった!」
そう逆上して、
「殺せ!」
少年は、猫蠱を嗾けた。