其陸
明闘。
蠱術師同士の目に見える闘い。
ナアハはその滅多に行われない闘いをしなくてはいけなくなり、近づきたくない里術師の集落を訪れていた。
造り上げた鼠蠱も連れてきている。
ナアハもバアバも詳しいことは聞かされていない。
数日前、
『中央からの命令で里の蠱術師皆で明闘し、勝ち残った者を送らねばならなくなった』
という里術師本家から使いが来たのでここにいるというわけだった。
「御婆様、わざわざ来てもろうて済まなんだな」
宗主のシマトが出てきてバアバを労う。
「フン、中央の命とあっちゃぁ仕方なかろ。で、どうなっとるんじゃ?」
バアバは、詳しい事を聞かせろと要求するが、里術師達も詳細を把握しているわけではなかった。
シマトから渡された中央からの通達書にバアバが軽く目を通すが、確かに使いの口上より詳しい事は書かれていない。
「なんじゃろな?」
どうせ碌な事じゃあるまいて、と結論づけてバアバは通達書を返し、
「何にせよ、儂らは不戦敗で構わなかったのじゃが……」
シマトもおそらくバアバはそう言うだろうと思っており、その旨の返事だけがあるのかと思っていた。
なのに実際に二人が足を運んで来たのは予想外で、続いたバアバの言葉には更に驚かされた。
「ナアハが造蠱をしてな、面白いもんが出来たで、少し試させようかと思うての」
明闘の経験を積む機会もそうないのでちょうどよい、参加させてくれ、という事だった。
「そ、それは構わんが……。 で、御婆様は?」
「儂が加わるはずもなかろう。下らぬ事を訊くな」
バアバにジロリと睨まれ首をすくめるシマト。
いつものどっしりと構えた宗主とは違う様子に若い者たちは不思議な物を見るような顔をし、そして急遽明闘の参加者が増えた事に興奮して、ナアハを品定めするように睨め回した。
(こういう視線が嫌だから、来たくなかったのに……)
ナアハは敢えて誰とも目を合わせないように、バアバの後ろで俯いていた。
その様子に、与し易し、と判断したのか若い里術師達はナアハを鼻で笑う様にしている。
いい獲物を見つけた、と笑い合う者もいた。見ぬようにしてはいるがその気配は感じるナアハ。
不快感をぐっと押し殺しているとそれを察したのか、
《どうした、我が主よ。殺してやろうか?》
懐に入れている鼠蠱から物騒な念話が飛んできた。
《だめよ、ちゅう。こんな事くらいで一々殺してどうするの!》
そう念話を送り返して襟の合わせを押さえたナアハ。
彼女は完成した鼠蠱にちゅうという真名を与えていた。
決めた真名を鼠蠱に告げた時、
《……鳴き声の儘ではないか……》
と、不平とも呆れとも付かぬ念話が返ってきた事に驚いたのは、つい数日前の話だ。
まさか人語での返事があるとは思っていなかったナアハは、驚きはしたが、これは蠱なのだからそうした事もあるだろう、と納得し、ただの報告のつもりでこの事をバアバに話すと、
「……ナアハや…… 真か? まっこと頭の中で声が響いたのか?」
バアバが顔面蒼白にして何度も確認してくる。
「是非を示すだとかでなく……不平をじゃと?」
ナアハには何故か、自分の初めて造ったこの鼠蠱が人語を操る事に何の違和感もなかったので、バアバの驚き様に逆に驚いてしまった。
「ナアハや、よっく聞けよ。蠱が人語を話すのはな、確かにあると言えば、ある。じゃがな、それはかなりの上位の術者が造る大きな蠱、それこそ狐だの狼だので造った強力な蠱に限った話じゃ。猫ですら話せる蠱になる事は滅多にないのじゃぞ……。それも、自我の感ぜられる受け応えを、鼠がするなど……」
少なくともバアバは聞いた事がない、ということだった。
そんなものかしら? とナアハは掌の上で自分を見上げている鼠蠱を見て小首をかしげる。
ナアハを見上げる鼠蠱も首をクイッと同じ方向に真似する様に傾けているのを見てバアバは、ふう〜っ、と息を吐いた。
「お前に術師としての才能があるとは思っておったが……儂の思うている以上だったようじゃのぉ……。丁度よい」
という事で腕試しとしてここに連れてこられたのだった。
「明闘だなんて……。ナアハ、闘い方も分からないし、この子を闘わせるのも嫌よ」
里術師の居住区へ出向いて明闘に参加しろと言われ、不承知を示すナアハに、
「心配するでない、ナアハや。お前が戦い方を心得とる必要はないのじゃよ。ただ、殺さずに戦え、と命じればよいだけじゃ。後は蠱どうしが勝手にやって、どっちが上かを決める。明闘とはそうしたもんじゃ」
腕試しだからお前の鼠蠱が殺される事も相手を殺す事もない、安心せい、というバアバの言葉にナアハは参加を承諾したのだった。
バアバのまさかの養子を参加させるという宣言に、シマトが、
「で、ナアハの蠱は何だ? 見たところ連れてはいないようだが。呼び出すのか?」
と尋ねるので、ナアハは懐からちゅうを出して掌にのせる。
バアバが腕試しさせろ、という蠱なのだから一体どんな凄い物が出てくるのかと身構えていた一同は拍子抜けした。
「御婆様……、鼠ではないか。本当にこれで明闘を?」
笑いを噛み殺して確認する者もいるが、
「闘ってみりゃあ分かるじゃろ。早うやるぞ」
バアバが取り合わないので、では、と広場へと移動した。