其伍拾
ナアハはまだ目を覚まさない。
だが、顔色はよい。
オオクニヌシと名告った異国の神が手当てをし、もう大丈夫、と言ったからには大丈夫なのだろう。
ネズミちゃんの方は、よくない。
チトサにもイサにも、ネズミちゃんの死相が見えていた。
ナアハが目覚めたらなんと説明すればよいのかを二人ともそれぞれに相談したかったが口に出せずにいた。
よくないこと、特に死に関わる事を口にする事自体が咒になってしまうと二人は知っていたからだ。
それらから目をそむけるため、というわけではないがウタン達が向かったほうを見ると、様子がおかしい。
チトサは蝙蝠蠱を飛ばす。
「あれ……蛭蠱だわ」
兵が蛭蠱に体を乗っ取られているようだった。
「ああ、なんて事なの。兵隊さんだけじゃなくって、残っていた蠱術師も蛭蠱の餌食になっている」
それを聞き、
「松明」
イサが袋から材料を取り出し、器用に手早く松明を作り着火すると、
「フカオに持ってく」
行ってしまった。
ナアハが目覚めた時に立ち会いたくないのかもしれない。
ずるいじゃない、とチトサは思ったがイサが戻ってきてもまだ、ナアハは意識を取り戻していなかった。
フカオが絶叫の聞こえてきた方を見ると、
「な、何だありゃ?」
庭園の中央で大男が哮っていた。
「ありゃあ……蝦蟇蠱使いか?」
ネネオも蛭蠱に体を奪われたようだが、
「おかしいじゃねえか、他のやつは死んだみてえに声も出さねえのに……」
ネネオは野獣のように吠え狂い、辺りの者を敵味方関係なく手あたり次第、殴り飛ばしていた。
「暴走しているのか?」
横に出てきた並んだセタが、フカオに尋ねる。
「分からねえよ、アイツも蠱術師だったんだが……、そういやあアイツの蠱は?」
蝦蟇蠱がいない。
「なあ、お前さん、あれは蝦蟇蠱使いだってさっき言ったよな」
セタはさっきのフカオの呟きを聞いていた。
「ああ。それと俺はフカオだ。よろしくな」
お前さん、と言われてフカオが名告った。
「ああ、セタだ」
セタも名告り返す。
倒れたナアハとちゅうを見て動転していたのか、既に名告ったのを忘れているようだ。
「ああ、さっき聞いたよ。で、セタさん、アイツが蝦蟇蠱使いだってのがどうしたんだい?」
のんびり紹介しあっているわけにもゆかないので本題に戻る。
そうだった、とセタはネネオを指差し、
「あの男の皮膚……蝦蟇のイボのように見えないか?」
言われてよく見ると、
「……まさか、何てこった! ウタン様ぁ!」
フカオがウタンに、
「アイツ、蠱術師なんですが、どういう仕組みか分からねえけど、自分の蝦蟇蠱とくっつきやがった、ありゃ危ねえ、みんなを下がらせてください!」
そう進言するそばから、
「うわああっ!」
ネネオの口から蝦蟇の様にびゅっと舌が伸びて兵を捕らえた。
舌の先が兵の鼻と口に密着し、ビッタリと塞いでいる。
藻掻いていた兵は直ぐにぐったりとするが、窒息にしては早すぎる。
伸びた舌を両断しようと斬りかかる者がいたが、舌はかなりの強度と弾力があるようで剣がビヨヨンと弾かれるだけだった。
その切りかかった者も舌に捕まる。
先に捕まった方は立ち上がり、両手を上げてうろつき始めた。
「何てこった、あの舌で蛭蠱を仕込めるのか?!」
狼狽えるフカオの様子に状況の悪化を覚ったウタンは、
「離れろ! 離れるのだ! 遠くから飛び道具で攻撃しろ、近寄るな!」
大声で指示を出すが、山蛭蠱に乗っ取られた兵の数が増え、逃げるにしても場所がない。
ウタンの軍は総崩れとなった。
「フカオ」
後ろから声をかける者がいた。
イサだ。
手には松明を持っている。
これで闘えという事らしい。
あんなの相手にどうやってだよ、と言う顔のフカオの横から手が出た。
「私が行こう」
セタだ。
「ん。口に突っ込め」
そう言ってイサが松明と一緒に小袋を渡した。
「毒だ。蝦蟇に利く」
蜂蠱の天敵は蝦蟇だ。
その対策に持ち歩いていた物らしい。
「大丈夫かよ?」
フカオに問われ、
「ああ、多少の心得がある」
と応じるセタ。
そういう事なら、
「よし、援護しよう」
フカオは大将を呼び戻して、セタと一緒に蝦蟇男となったネネオに向かっていった。