其丗伍
「おお、あの鼠! 本当に虎に噛み付きおったぞ」
シリガイが子供のように浮かれている。
やはり対外戦争でその勇名を轟かせただけの事はあって、見応えのある闘いには血が湧くのかもしれない。
だが、ミクズは、
(あの鼠は……何なの?)
虎蠱が鼠蠱にやられて流血するなど前代未聞。
いや、そもそもそんな組み合わせの明闘など行われた事すらないはずだ。
(それにあれは……操気術)
威力の弱い物ではあったが、鼠蠱が放ったのは間違いなく"気弾"。
ミクズにはそれが、はっきりと見えていた。
「あ、あんた達は、いったい何者なのだ?」
助けられた身ではあるがセタは問いたださずにはいられなかった。
向こうでは男たちが手際よく、襲撃者の遺体を処理している。
如何に都の飯店ではあっても、働く者がこれだけの手練揃いであるなど、いくらなんでも不自然過ぎる。
「お客さん、もうお客さんと呼ぶのも変ですかね? ともかく貴方は運がいい。都から逃げないのなら、私に見せたあの産着について詳しく聞かせてほしいのですよ。付いてきてください」
青年が一方的に話をすすめるので、セタが、
「お、おい、私の質問に……」
応えろ、というのを遮って、
「大丈夫ですよ。付いてくれば全てが分かります。安全は保証しますから」
給仕の男は微笑んだ。
今さっきあんな乱闘をしてまで助けたのだから自分を害するつもりはないのだろうが、信用するには怪しすぎる。
だがセタは、初めに信じた自分の人物鑑定眼をもう一度信じ、
「分かった。案内してくれ」
男たちに付いてゆく事にした。
ガルルルルッ
虎蠱は仕方なしに命じられた通り、鼠蠱を始末する事にした。
何故自分がこんなちっぽけな小動物にいいようにされているのか全く理解出来ないが、奴が原因で主の不興を買っているのだ。
困惑より怒りが上回る。
その所為で冷静に周りを見られなくなっていた。
鼠蠱が退いてゆく。
さっきまで果敢に挑んできた鼠蠱が引き下がるはずはない、などという考えには至らず、虎蠱はただ一直線に追いかけた。
見逃すまいと充血した目を見開いてチョロチョロと逃げる鼠を追う。
その虎蠱の目に、
バフッ
上から降ってきた何かが直撃した。
ガアアッ!?
虎が転がり悶える。
「チトサさん、上手いわ!」
それはチトサの蝙蝠蠱による空襲だった。
袋に入っていたのは何かの粉末。
虎蠱の様子からするとかなり強い刺激物が入れられていたようだった。
蝙蝠蠱には攻撃力はなく、重い物も運べない。
だが、超音波による空間把握の力が蠱術によって増幅された蝙蝠蠱にとって、虎蠱の目を的にして小さな毒袋を落とすくらいは造作もなかった。
あんな効果的な使い方があるのか、なるほど自分の蜈蚣蠱にあれは出来ないな、確かに蠱は使い方次第だ、とフカオは自分の間違いを今、本当に認めた。
「何、そんなもん喰らってんだよ! 間抜けがっ!」
目の激痛を訴えに主の元へ戻る虎に、治療ではなく罵声を浴びせる蠱術師。
それでもその目をなんとかしてやらないと闘えない事くらいは分かる。
見てやろうと近づいた所を、
ドッガッ!
ちゅうが蠱術師の背中に体当たりを噛ますと、
「オワッ!」
蠱術師はつんのめって虎蠱に覆いかぶさるように倒れた。
驚いたのは虎蠱だ。
見えていないのだから何がおきたのか分かりようもない。
これほど酷い目にあっているのにそれを治すでなく折檻か! と堪忍袋の緒が切れて、
ガゥアゥアッ
主に噛み付いた。
「あっ、テメッ!」
反射的に男が虎蠱を殴ると、悪い事にその拳が、ちゅうの傷つけた眉間に入ってしまう。
痛さで虎は余計に荒びて、もうどうやっても術師の抑えは利かなくなってしまい、終に主に飛びかかり押し倒し喉笛を噛み千切って、殺した。
一瞬の事で、誰も何も出来ない。
虎蠱は噛み千切った主の喉を数回の咀嚼の後に飲み込み、次いで腸を引きずり出し、肝を啜り始めた。
時が止まったようになった広場では、虎蠱の立てるピチャピチャという音だけが響いている。
先程まで命じられて他の術師にやっていた事を、今度は誰に命じられてもいないのに元主にした。
術師が死ねば普通なら蠱としての力も失うものだが、虎は虎であるだけで強い。
それに今、虎蠱は元主を喰ったのだ。
術師の力が未熟だったため蠱として付与された力は大したものではなかったが、ともかくこれで何の力も失う事なく虎蠱は野道(主のない蠱)へと落ちた。
無能な主から解放され、使い熟せるようになった力で目の痛みを和らげる虎。
もう自分を操ろうと喚く煩い人族はいない。
それは喜ばしい事だが、獣王である自分をこのような目に合わせたあの小動物を許すわけにはいかない。
どうしてくれようか、と開けた左目に、
ブジュッ!
ちゅうの放った気弾が命中した。