其丗貳
「ガハハッ! どうしたッ! もう誰もいねえのかぁ?」
こう喚き散らしているのは、虎蠱の主だ。
この区域にいた蠱も術師も、逃げられなかった全てが虎蠱の餌食になっていた。
餌食。
まさにその言葉の通り、この男は蠱術師を虎蠱に喰わせた。
今も虎蠱は生きたままの術師に齧り付いて腸を引きずり出し、新鮮な肝臓を美味そうに啜っている。
「マジかよ、アイツ……頭、おかしいぞ」
藪から覗いたフカオは唖然とする。
チトサたちもその残酷さに絶句した。
暗闘で蠱が人を襲う事はあっても、喰ったりはしないし、させない。
蠱に人の血を与えるのは基本、造蠱の時だけだ。
バアバは蠱に血を吸わせていたが、バアバの蠱は素が蚤で血を吸うのが自然である。
そういった生き物に血をやっても比較的暴走し難いし、バアバのような実力者が行うのならその加減も誤りはしない。
が、そうでない術師がそうでない蠱に血を与えると味を占めて何をするようになるのか分かったものではない。
ましてや自分の血を与えるのではなく他者を喰わせるなど以ての外なのだ。
「あいつ、有名な虎蠱使いの一族」
イサの地域では名の通った里術師一族で、虎を蠱にする術を確立し代々継承しているのだという。
「先祖が築き上げてきた技を、自分の力と勘違いして思い上がっているのね」
イサの話にチトサが呆れ、
「本当、蠱に人を食べさせるなんて……許せないわ」
ナアハは静かに憤慨した。
だが、そのナアハの横で、ちゅうは、ナアハの事を喰ってみたい、造蠱甕の中で味わったナアハの血を思い出しそんな事を思ってしまう。
しかしナアハを喰ってしまったら彼女の呪術で造られたこの力は失われてしまう。
そうなると、弱い鼠に戻ってビクビクしながら生きねばならない。
が、それでも構わない、死ぬ前に喰ってみたい。
せめてあの血をもう一度舐めてみたい……
人を喰う虎蠱を見て湧いてくるそんな衝動。
それを必死におさえている事を誰にも悟られたくないちゅうは、ゆっくりと前に出た。
そのちゅうに、
「おい、ネズミちゃん! 駄目だ、戻ってこい」
フカオが声を抑えて叫ぶが、遅かった。
グルルル……
虎蠱がちゅうに気付いてしまう。
だが、前に出たのはちゅうだけではなかった。
「ナアハちゃん!」
チトサが呼び止めるのも聞かず、ナアハまでが茂みから出ていく。
三人が思っているよりナアハの憤りは強いものだったらしく、振り返りもせずに、
「あの人、許せない。大丈夫よ。もう私もネズミちゃんも十分、強くなったから」
そう言い残して広場の真ん中へ歩み出るナアハだった。
「む? 何故、娘が一人で虎に向かってゆくのだ?」
シリガイにはナアハが一人で虎蠱の前に出たように見えたが、
「まあ……信じられないわ」
ミクズはナアハの前を歩くちゅうに気付いて、
「陛下、よくご覧になって。あの少女の前。小さな点が見えませんこと? あれ、鼠ですわよ」
「ね、鼠だと?」
身を乗り出して目を凝らすと、確かに点がチョロチョロと動いているのが見える。
「鼠が虎に……向かってゆくというのか?」
恐怖で気が狂ったのか? と唖然としているシリガイの顔をみて、不意にミクズが大笑いした。
自分の咒によって腑抜けになり、食欲や性欲以外なくしたと思っていたシリガイのこうした表情を久しぶりに見て、自分でも何故だか分からないが可笑しくなってしまったのだ。
「お、おお、ミクズよ、その様に笑うのは久しぶりだの」
シリガイも一緒になって笑っている。
ミクズは、
(この人は、悪い人ではないのよね。皇帝である事がこの人の罪)
そんなふうに思うのだった。
咒によって縛っているからではあるが、それを差し引いてもこの皇帝は自分を愛し大切にしてくれている。
もちろん、その愛の対象は自分の容姿であり、肉欲故である事は重々承知している。
が、もうだいぶ前からミクズはそれでも構わないのではないか、と思っていた。
(見た目すら愛されない人もいるのだから)
それよりはマシじゃない? と。
運命の人に自分の全てを愛して貰えればそれが一番であろうが、そんな物は所謂夢見る乙女の戯言だ。
現実にそんな事はありはしない。
(ちゃんと中身を愛する男っているのかしら? 男なんてみんな、見た目に鼻の下を伸ばすだけじゃない)
だから男には自分の咒が面白いようにかかる。
いや、男だけではない。
同性であっても身分の低い女官たちは勝手にこの外見を神聖視して簡単に咒を受け入れる。
だからほとんどが女性である後宮でも今の地位を易々と手に入れられたのだ。
小さい頃はこの容姿を妬まれ、随分と虐められたものだ。
だが、妬む程の事じゃないじゃない、とミクズは思う。
結局は美しさ故に皇帝に差し出されてしまったのだから。
しかし、その美貌が今は武器になっているのだから、全く何が幸いになり何が災いになるのか分からない。
己が佳容に翻弄されたミクズは達観したのか、今となっては外見だけを愛でられたとしても不満はなくなっていたし、当然の事と受け入れられるようにもなっていた。
どのみち自分もこの皇帝を愛する気はないのだから、彼に内面まで本気で愛されたいなどとは露ほども思っていないのだ。
そんなミクズの内心など知りもしないシリガイは、ミクズが笑うのを心底嬉しそうにしている。
あの時もそうだった。
この帝シリガイは異民の少女の気を引こうと色々な事をした。
その一つが、炮烙だった。




