其丗壹
(あ……、私、死んだのかしら?)
真っ暗な、どこまでも暗く光なき世界。体の感覚は、ない。
これが死なのだとしたら運命から逃げる先としては寂しすぎる。
だが、ミクズは自分が死んだ、というのは違うような気がしていた。
その時、
《……ズ… ……ミク…》
遠くでうっすらと声がする。
《……ミクズ…》
呼ばれている。
《……ミクズ》
だんだんとその声は明瞭になってきた。
体を動かせる感じはしないが、自分の心、意識は消えていない。
なぜなら声を聞いていると認識している自分がいるのだから。
そう気付いて、ミクズは、
(誰? 私を呼ぶのは?)
呼びかけに応えてみた。
《ミクズ……私は、今あなたが飲んだ、卵よ》
(卵? あれは毒ではなくて、卵だったの?)
《毒、と言えなくもないわね。私は蠱なの》
(蠱?)
《そうよ。飲んだ者の体を乗っ取るように造られた蠱》
(……体を……乗っ取る?)
ミクズは全てに得心がいった。
父の目的は皇帝暗殺などではなかった。
"一族の命運"と言っていたのはこういう事だったのか……。
蠱の卵によって皇帝を意のままに操るつもりでいたのだろう。
それを自分が飲んでしまった。
(どうしましょう?)
今更どうにもならないが、
《あなたが飲んでくれて、私も助かったのよ》
皇帝の体を乗っ取るために造られた自分は強力な蠱ではあるが、孵った後は蠱術師に操られるだけの存在になってしまう。
それは嫌だ、と蠱が言う。
(あなたも誰かに操られる運命なのね……)
ミクズは蠱が何であるのかを知らなかったが、その境遇を疎む気持ちには共感出来た。
それは蠱の方でも同じで、
《私達は似た者同士、運命だというのなら、あなたが私を飲んだ事こそが運命なのよ》
これは奇跡だ。
私たちが手に入れたこの新しい運命を活かしましょう、と言っている。
《でも、一つ困ったことがあるの》
それは蠱が皇帝用に造られた物なので、幼く小さなミクズの体には強すぎる、という事だった。
《同化が進むと、あなたは私の力に耐えられなくなって死んでしまうわ。あなたが死ねば私も死ぬの》
それだけではない。
これ以上、活発化してミクズの体内で孵ったと知られれば、失敗がばれて自分を造った蠱術師に解蠱されてしまう恐れもある。
なのでそうならないよう、今はミクズも蠱である自分も仮死状態に見えるようにしてあり、
《何かいい方法を見つけるまでこの状態が続くわ》
申し訳なさそうに蠱がそう言うが、
(よかった。私、死んだわけじゃなかったのね)
ミクズは自分の置かれた状況を理解できた事に安堵し、
(じゃあ、いい方法って言うのが見つかるまで、こうして色々お話できるのね)
ミクズの年相応の無邪気さに、蠱は一瞬呆気にとられ、
《フフフ、神様って、もしかしたらいるのかしら? あなたに私を飲ませるなんて、粋ね》
こうして蠱とミクズは闇の中で色々な事を語らい、絆を深め、そしてあの日が来た。
《ミクズ。千載一遇の好機よ》
強い蠱を使う術師が解蠱を仕掛けてきた。
その蠱を取り込めば自分を造った術師の支配が及ばぬ程の力を得られる。
その後は、その術師を殺してミクズを新たな主とする事が出来るだろう、と蠱が狂喜している。
(そう、じゃあ、いよいよね)
やっと目覚められる事に、そしてこんな運命を押し付けた者たちへの復讐が出来る事にミクズも喜んだ。
蠱が狐蠱を取り込む。
予想通り、いや予想以上に狐蠱の力は強く簡単には取り込めなかったが、主を殺さぬ事と引き換えにおとなしくさせるのに成功した。
その狐蠱と術者は、蠱と蠱術師というより親子の情愛のようなもので結ばれていた。
それを引き離さねばならぬ事に初めは心が痛んだミクズだったが、親に売られた身からすればその絆は妬ましく厭わしい物でしかなかった。
結局、嫉妬心に後押しされ残酷な快感の中でそれを断ち切ったミクズは、実行した直後、激しい虚しさに襲われた。
だがミクズは敢えてその気持ちに蓋をして二度と顧みなかった。
そうして今がある。
ミクズを差し出した父はシリガイの力を使って早々に殺した。
蠱を造った蠱術師も、だ。
狐蠱の主は山奥の草鬼婆。
少し経った後、調べさせたが、拾ってきた子を育てるのに専念してもう狐蠱のような大きいものは造っていないという事だった。
よい術師であったが再び大きな造蠱をしないのは、狐蠱を失ったのが相当堪えた為であろう。
それに対して何かを思うような心はもうミクズには残っていない。
下手な事をしてせっかく取り込んだ狐蠱を目覚めさせたくもないので、あの老婆は取り敢えず放っておく事にする。
ともかくあれ以来、世間を避けるように暮らしているらしい草鬼婆は、あの時の少女が皇后に収まっているなどと思ってもいないはずだ。
だからもうこれで、ミクズの体の中に蠱がいると知る者はいない。
卵の蠱を造った術師を殺したその時から、体内の蠱はミクズを主とし、ミクズ自体が蠱であり蠱の主であるという、おそらくこの世で初めての存在になった。
だからその声には呪術師や巫覡などとは比べ物にならぬ強い咒がある。
それを使えばシリガイや重臣どもを操る事など造作もなく、前の正室を殺させて易々と皇后の座に収まった。
ちゅうもミクズの中の蠱の臭いを嗅ぎつけて、あれは人族なのか? と問うたのだろう。
「まあ、陛下、ご覧くださいな、虎ですわよ」
下を見ると虎蠱がいる。
獰猛な虎を蠱にするのは難しく、虎蠱はかなり珍しい。
だが上手く造蠱できればこれ以上ないほど強い蠱が出来るのも確かだ。
「おお、本当だ。虎だ。勇ましいものだの」
シリガイは阿呆の様に喜んでいる。
「勝ち残るのは、あの虎蠱で決まりかしら?」
当たり前すぎて、あまり面白くはないわね、と、笑うミクズだった。




