其廿玖
ここからはイサの出番となる。
蠱術師を無力化するのに彼女の蜂蠱は最適だった。
フカオと彼の蜈蚣蠱、それとちゅうが補助する事になっている。
「フカオさん大丈夫?」
ナアハに心配されたフカオは、
「ああ、大将もいるしな。ネズミちゃんもよろしくな」
そう応えて大蜈蚣と共に蜂蠱の後を追って茂みから出ていった。
ちゅうもそれに続く。
フカオの目にまず入ったのは、屈んで橋の欄干に隠れるようにしている女だった。
自分の蠱の闘いに気をとられてフカオに気付いていない。
彼女の視線の先、橋の向こうの開けたところではナアハの頭程もある大蜘蛛と、白鼬、そして青い顔をした小型の手長猿が睨み合っていた。
まさに三竦みだ。
「あッ!」
唐突に声をあげ首元を押さえた女が振り向き、フカオと目が合うと、
ドサッ
蜂蠱の毒が回ったのだろう、地面に倒れた。
幸い高楼からは遠く死角になっているので矢は飛んでこない。
フカオは女を抱えあげ、急いでナアハ達の待つ藪の方へと走った。
鼬が後ろ足で立ち、キョロキョロと不安気にしている。
この術師の蠱なのだろう。
そこを隙あり、と猿蠱が石を握って殴りかかった、が、
ドガッ
腰を抜かしたようになって猿蠱が転がる。
ちゅうが猿蠱の顎に体当たりを喰らわせたのだった。
空中でクルリと体を翻したちゅうは、鼬蠱に向かって糸を飛ばしている蜘蛛蠱へと突進していく。
「あ、バカ!」
フカオが叫ぶ。
鼬蠱に尻を向けている蜘蛛蠱は、ちゅうに気付いていない。
ちゅうとしてはただ鼬蠱への攻撃をやめさせるために体当たりをしたつもりだったが、
バムッ
蜘蛛蠱は潰れて死んでしまった。
ちゅうが思っていたよりも蜘蛛蠱の腹は柔らかかったのだ。
その事を虫に詳しいフカオは知っていたが、距離があったのに加えてちゅうの素早い動きに止める間もなかった。
「ちッ、言わんこっちゃねえ」
フカオは慌てて、肩に担いでいる女を高楼から見えない岩陰に寝かせると広場へ戻る。
蜘蛛蠱が死んだという事は、その主は……、
ヒョウッ
案の定、高楼から矢が放たれた。
開けた場所だ。
蜘蛛蠱が潰れたのは高楼の弓兵にしっかり見られていた。
自分の蠱がやられた事で潜んできた植え込みから出てきてしまった蠱術師に矢は一直線に向かってゆくが、
ビュンッ、 ドゴッ!
跳び出したちゅうがその術師の腹に体当たりすると、
「ぐふっ!」
術師は胃液を吐きながら前屈みに倒れる。
その頭があった所を矢が通り過ぎていった。
「おいおい、マジかよ」
一瞬唖然としたフカオだったが、すぐに踵を返すと女へと戻り、また抱えあげて走る。
高楼の弓兵からは、術師が蠱に攻撃され倒されたように見えただろう。
だからもうあの術師は安全だというフカオの判断だった。
それは正しかったようで二射目は飛んでこない。
術師が完全に失神しているのを確認したちゅうは、体当たりで転がしておいた猿蠱へと向き直った。
猿蠱は起き上がっていて、ちゅうを睨みつけている。
ギャアァァッ!!
威嚇する口には鋭く長い牙が覗いた。
猿蠱は持っていた石を、
ブンッ、
ちゅうに投げつけると去っていった。
退却が見せかけでないとは言い切れないので、ちゅうは猿蠱の後ろ姿から視線を切らさずにゆっくりと後退る。
戻ってきたフカオは開口一番、
「なんだありゃ?! ネズミちゃん、むちゃくちゃ強えじゃねえか!」
もちろん非難しているわけではない。
彼なりの賛辞である事はその表情から分かる。
「そう言ったじゃない」
信じてなかったでしょ、とナアハ。
その視線にごまかすようにフカオは戯けて、
「ハハハ、おかげで大将は出番がなかったな」
足元の自分の大蜈蚣にそう話しかける。
ぞわぞわ這っている大蜈蚣蠱に表情などないが、なんとなく不満そうにしている様にナアハには見えた。
「いやあ、でも焦ったぜ」
ちゅうが大蜘蛛蠱を殺してしまったとき、フカオはその主が射殺されるのではと思い慌てて跳び出したが、ちゅうが全て片付けてしまった。
蠱術師を殺さぬように立ち回っている事がバレればフカオ達が狙われるのだろうが、ちゅうのおかげでそうはならなかったのだから結果的に最善だったわけだ。
フカオが運んできた術師はまだ意識がない。
「死んでねえ……よな?」
フカオも蠱術師だ。
息遣いから死ぬ危険はないと判断できたが、一応確認する。
「死ぬ毒じゃない。一刻もしたら目覚める」
無表情にイサが応えた。
「そっか、解毒して騒がれても面倒だ。ここに置いていくか」
主を心配する白鼬蠱が茂みの外から此方を窺っている。
その横を、テッテッテッテッとちゅうが戻ってきた。
すれ違いざまに鼬蠱と目があう。
戸惑いがちの鼬蠱に対して、何だコラッ、という感じで見返すちゅう。
「体の大きさと態度が逆だな」
とフカオ達は笑った。
帰ってきてナアハの肩に納まったちゅうは、ナアハだけではなくチトサやイサにも顎の下をクリクリされたりして労われた。
《やめよ》
と抗議するのと裏腹に気持ち良さそうにしているちゅうにナアハは笑う。
「さあ、次、行くか」
フカオがチトサに何が見えてるか? と尋ねると、
「近くにいるわよ」
既に蝙蝠からの情報があったようだ。
「お前のご主人はもうすぐ目を覚ますから、それまで守っているのよ」
ナアハは白鼬蠱にそう言い残し、四人は茂みを伝って次の場所へ移動を始めた。
「そろそろいい頃合いだと思いますわよ。箭楼へ移りませんこと?」
ミクズに誘われるが、良い心持ちになっているシリガイは、
「そうであるか? 向こうでも酒を呑みながら観ようではないか」
酒席を離れたくなかったのでそんなふうに応えると、
「ええ、その様に準備させてありますのよ。さあ」
ミクズはすでに手回ししてある。
「そうか、そうか。后殿に任せておけば万事遺漏なしであるな」
シリガイはその足元をふらつかせなら、ご機嫌で立ち上がるのだった。