其廿陸
外した柄袋を懐へねじ込むとセタは抜刀しながら、
ガインッ、
斜め前から飛んで来た矢を弾いた。
(ムッ、前にも……。いつの間に?)
囲まれている。
どうやら人気のないところに出るまで泳がされていたようだった。
だがここで足を止めては本当に囲まれてしまう。
先程ちらりと後ろを見たとき追手は二人だった。
一方行く手には……。
ガサリッ、
道の畔から数人が上がってくるのが見える。
(囲まれているのではない。待ち伏せされていたのか?!)
そうだ。
商館から出た後、ナアハの行き先を調べるのに手間取ってしまった。
その間に手配されてしまったのだろう。
だが何故、この道を通ることがバレた?
もしやナアハの身元もバレたのかと肝を冷やしたセタだったが、
(ナアハが蠱術師の招集に応じて都に上ったと話していないのだからそれは、ない。 ……そうか!)
役所前のあの門番ならセタが何を尋ねたのか簡単にしゃべるだろう。
それでセタが集められた蠱術師の行き先を調べた事が知られた。
それならセタがここを通る事を予測するのは容易だ。
となると相手は、蠱術師達が離宮に連れて行かれた事を知っている者たち、という事になる。
それが誰かと言うと……中央政府組織だ。
これはマズい。
思ったより相手が大きい。
だが今はそんな事よりこの場をどう切り抜けるか、だ。
離宮に向かうと知ったうえでの待ち伏せなら行く先に、より多く配置されている可能性が高い。
だとすると、後ろの方が突破は容易だろう。
そう一瞬で判断したセタ。
クルリッと反転して元来た道を疾走する。
まさか追跡対象が戻ってくるとは思っていなかった追手の二人はぎょっとなり立ち止まってしまった。
そして慌てて自分等も剣を抜く。
抜身を手に待ち構える二人へと、セタは勢いを殺さずに正面から突っ込んだ。
立ち止まった事でベタ足になってしまった追手は、それでもセタに切りかかろうと剣を振りかぶる。
が、躊躇のなかっただけセタに分があった。
一人の剣を振り下ろす一瞬前のその腕の下を、セタが横払いに切り裂く。
二の腕の裏側が切れると派手に血が噴き出し、振り下ろすための筋繊維も切れてそれだけで戦闘継続不能になった。
もう一人が袈裟斬りに切りかかってきたのをセタは右手を引き、左手首をくるりと返して斜めに構えた剣の腹でいなしつつ、柄頭で相手の顔面を強打した。
前歯が折れて仰け反る男を体当りするように自分の進路から押し遣ると、セタは振り向きもせずに全力で走り抜けた。
一人旅、しかも懐には貴重な翡翠や、それを売った大金を入れての旅をするセタだ。
好んで使いはしないがこのくらいの武術の心得はあった。
そして腕に覚えがあるからこそ、多勢相手の無謀な戦い等、しない。
今は逃げの一手だが、都に戻るのが果たして正解なのかは分からない。
ともかく都の人混みに紛れ、追跡の目を晦まさねば安全に逃げ延びる事も出来ないだろう。
そう考え走るセタだが、
(駄目、か……?!)
行く手から武器を手にした一団が迫るのが見えた。
フカオの提案は難しくも複雑でもなかった。
それぞれ庇い合いながら、蠱術師の動きを封じて矢の届かないところへ移す、というだけだった。
「まあ、そのときに蠱を倒すことになっても、こりゃあ仕方ねえ。放っておいて俺たちが敵わねえほどの強い蠱になられちまったら、それはそれで困るからな」
気が進まないがナアハにもそれは理解できる。
分からないのは、
「蠱術師の動きを止めるって、どうやって?」
尤もな問だ。
言うのは簡単だが、どうやるのか分からなければやりようがない。
「口で言って聞いてくれりゃあ一番だが……、駄目なときゃあ、俺の大将で麻痺させてもいい」
フカオは自分の蜈蚣蠱を指して大将と呼んだ。
それがフカオの蠱の渾名らしい。
(何よ、自分の蠱の渾名だって大したものじゃないじゃない……)
と思わないでもないナアハだったが、それを口に出さずに胸の中にしまっておけるくらいには大人だった。
その蜈蚣蠱で麻痺させるという事は、バアバの蚤蠱の様になにか工夫がしてあるのかもしれない。
そんな事をナアハとちゅうが考えていると、
「ネズミちゃんにも何かできるかい?」
と訊かれる。
《人族を気絶させるなど容易い。当身一発で十分だ》
とちゅうが言うので、それを伝えると、
「へえ、本当かい? 頼もしいな」
フカオの目つきからすると、あまり信じてはいないようだ。
「本当よ。ネズミちゃんができるって言ったら、出来るんだから」
ナアハは頬を膨らます。
「ハハハ、まあ、やってみよう、って、これはナアハちゃんが手伝ってくれる気があるんならって話だけどな」
あれ?
当然やる前提で話していると思っていたのにどういう事だろう、となったナアハが、
「もしやらなかったら?」
一応、尋ねてみると、
「もちろんこれが造蠱なら、闘いが進むに連れどんどん強くなる蠱が出てくるだろ? そのうち俺たちが太刀打ちできなくなるくらい強いのが出来上がって、俺らの蠱も、そして俺らも殺されて終わりだな」
両手を上に向けて広げてみせるフカオ。
「そんなのヤッ」
ちゅうが殺されるのも自分が死ぬのも嫌だと口を尖らせたナアハに、
「俺だって嫌だよ」
フカオは口角を片方だけ上げた。
しかし、殺されるのは嫌だが、だからといって自分たちが勝てる保証もない。
「造蠱が完成したらどうなるのかしら?」
ナアハの疑問に、
「あの皇后の事だ、陸な事にはならねえだろうな」
フカオは皇后ミクズについて、何か知っているような口ぶりだ。
「これから戦になるって噂は聞いてるかい?」
「ええ、少しだけ」
「それに使うんだろな」
ナアハはバアバとセタの会話を思い出して、
「でも蠱じゃあ兵隊さんには勝てないってバアバが……」
「バアバ?」
「私の養い親で、蠱術の師匠よ」
「へぇー……ナアハちゃん、苦労したんだな」
そうフカオに言われ何の事か分からずキョトンとするナアハ。
《我が主よ、きっとこの男は我が主が攫われてきたと思っておるぞ》
ちゅうに言われてやっと気付いたナアハ。
「フカオさん! 違うわよ。私、攫われっ子じゃないからね!」
ナアハの険相に、おおっ? となり、自分の勘違いに気付いたフカオは慌てて、
「あ、悪い悪い、この通りだ、謝る」
と拝むように頭を下げて見せた。
ナアハはその大げさな仕草に失笑し、フカオはいやあ、失敗失敗、と頭を掻いて終わりになった。
そんな二人を、何をしておるのやら、と見上げるちゅうだった。