其廿肆
《我が主よ、何をしようというのだ?》
あまり主体的に動かないナアハが訳も言わずに走り出すなど珍しい。
何だか面白いことになってきたぞ、とちゅうはナアハの後を追った。
《ちゅう、この離宮の境界を探すの》
《境界?》
《そう、境界。外と内とを分けている何かがあるはずよ。そこを確認すれば分かるわ》
《何が?》
《鶏蠱を倒した後の感覚と甕の中で感じたのとが似てたんでしょ? その理由よ》
皇后の咒に縛られた者たちが開けた所で闘っている音はどんどん遠ざかっている。
彼らが林に逃げ込んだ者を追って来るとすれば、その決着が付いてからだろう。
だから、ここまでくればコソコソ隠れながら移動する必要はない。
そう考えたナアハはもう屈んだりぜず普通に走る。
程なくして壁に突き当たった。
ここに閉じ込められる前に外から見た、離宮をぐるりと囲うあの壁なのか、それともその内側に設けられた別の壁なのか、見ただけで判別はできない。
どちらにせよナアハやちゅうが乗り越えられないほどの高さがあった。
《壁だ。これは境界だな》
ナアハは境界を探せ、と言っていた。
これの壁はそれにあたるだろう。
見付けたぞ、これが何なのだ、と、ちゅうはナアハを見上げる。
何かを確かめるように壁を摩るナアハは、中の視線に、こう応えた。
《この壁、木製よね? 漆が塗ってある》
《そうだな》
《だったら、あなたの歯で簡単に削れるはずよね?》
当たり前だろう、何を言っている、とも思ったが主人が余りにも真顔なのでもう少し付き合う事にしたちゅうが、
《やってみるか?》
と訊くとナアハは、
《お願い》
壁を凝視したまま応えた。
鶏蠱の嘴でさえ噛み砕いた歯にとってこんな壁は何でもない、はずだった。
ガリッ
《む? ……何だ?》
かじりついたちゅうがばっと後ろに跳んだ。
《我が主よ、この壁は何かおかしいぞ》
まさに歯が立たなかった。
だが、ただ硬いから、というわけではない感覚。
《……これは? まさか!》
ちゅうは思い出した。
《そうよ、この空間全体が造蠱の甕なのよ》
確信が持てたナアハはちゅうに頷いて、
《だから皇后様は「逃げられたら困る」って言っていたんだわ》
強い蠱を造れる蠱術師を集めるのが目的なら、逃げだす者など放っておけば良い。
だが造蠱が目的なら話は別だ。
造蠱の甕は、殺された者の力が生き残った者に集まる仕組み。
弱者にも贄になるという大切な役割がある。
逃げられては困るのだ。
《我が主よ、そのような事、出来るのか? こんな広い空間を……》
造蠱の甕にしてしまうなど、規模がおかしい。
《私も信じられないけれど、そう考えれば辻褄が合うじゃない?》
《確かにそうだが……》
《それにね、これが造蠱だとしたら……とっても困った事になるわ》
《何だ?》
《ここからは出られないの。出るには、勝ち残るか、術者に咒式を解かせるか、後は外から誰かが出口を開けたり境界を壊したりするか……そのどれかよ》
造蠱の甕は物質的に硬いからではなく、中に閉じ込められた者に境界を一切破壊できなくなくする咒をかけるから壊せないのだ。
この方法が築城などに応用できれば文字通り不落の城ができるのであろうが、それは今のところ実現していない。
この咒式の対象が囲われた内側の限定された個体数と期間にしか効果がない為だ。
壁を見上げながらそんな話を念話でしていた所為で、
ガサリッ
何者かに接近を許してしまった。
《むっ、しまった! 我が主よ、我の後ろに下がるのだ!》
ちゅうがナアハを背に庇い音のした方へ身構えると、そこから現れたのは一人の男だった。




