其廿貳
「キ、キユさん……」
ちゅうに阻止され、ナアハの首筋に爪を食い込ませられなかった鶏蠱はキユの前で羽を逆立てて怒っている。
知り合って日は浅いとはいえ食事もともにした仲なのに、何の躊躇いもなくナアハの命を狙ってきたキユ。
これが皇后ミクズの咒の力だというのだろうか?
たったあれだけの会話の中で、こんなにも大勢の蠱術師にこれほど強い影響を与えられるものだろうか?
次々と疑問が湧いてくるが今はそれらをじっくり考えているときではない。
「キユさん……」
「ね? やっぱり、いい話だったでしょ? しかも皇帝陛下と皇后様直々のお出ましなのよ。どんな栄耀栄華が待っているか想像も付かないわ」
キユの視線はナアハに向いてはいるが、そこには自分が手に入れるであろう薔薇色の未来だけが映っているようだ。
「キユさん……。殺し合いなんかおかしいわ。言いなりになっちゃ駄目よ!」
ナアハは説得を試みるが、
「どうして? 勝ち残れば出世できるって皇后様がお約束してくれたのよ。何もおかしくないわ。あなた、私の為に死んでよ」
話が噛み合っていない。
キユの目が座っている。
彼女も皇后の咒にとらわれている、いや、元々彼女は強い野心を持っていた。
その心と咒とが上手く絡んでしまったとナアハには感じられた。
他の蠱術師もそうであるのならばこの数の蠱術師が咒に囚われた事に合点がゆく。
ナアハの肩に戻ってきたちゅうも、
《我が主よ、話すだけ無駄だ。あの者は我欲の虜になっておる》
ナアハと同じ様に結論づけていた。
「逃げましょう」
と言うナアハに、
《逃してくれると思うか? 無理だ。倒すぞ》
ちゅうが言い終わる前に、
「そんなちっぽけな鼠じゃあ勝ち残るのは無理でしょ? あたしの為に死んでよ」
侮りの笑みを浮かべるキユが、
「殺すのよ!」
鶏蠱に命じると同時に、
コケエエェェッ!
狂ったような雄叫びを挙げながらバサッと羽を広げ鶏蠱が飛びかかってきた。
「迎え撃てる?」
《無論》
と、ナアハの肩から跳び出したちゅうの蹴り出しは、
「キャッ」
ナアハが痛みと驚きで声を立ててしまうほど強いものだった。
先程の体当たりは不意を突かれ喰らっただけで二度とは通じぬぞ、と鶏蠱が嘴をちゅうへと勢いよく突き出す。
鼠の眉間に己の嘴が突き刺さる事を確信した鶏蠱だが、
バリッ
おかしな音がしたかと思うと、
ドガッ
やはり鼠の体当たりが胸に入って揉み合うように落下した。
着地した鼠がババッっと素早く後ろに下がって間をとる。
鶏蠱は首を傾げた。
おかしい。
この嘴で眉間を突かれて動けるはずは……
?!
舌に触るものがない。
いつも舌を覆っているはずの、何より硬いはずの、自慢の嘴が……。
ペッ!
鼠蠱が何かを吐き出した。
それは砕けた嘴。
突き刺すためにぐっと閉じていた嘴を、鼠蠱がその上から噛み砕いていた。
嘴を失った衝撃に呆然とするキユと鶏蠱。
彼女らは最初の奇襲失敗の意味をよく考えるべきだったが、たかが鼠と侮りそうはしなかった。
それがこの結果につながったのだと未だに気付いていないのだろう。
《上手いわ! 今よ。逃げましょう》
ナアハはちゅうに今度こそ逃げるよう念話を送るが、
《我が主よ、無理だと言っておる》
ちゅうの言う通り自失状態から立ち直ったキユが鶏蠱に、
「ま、まだよ! 爪があるわ、あんなの握りつぶしてしまいなさい!」
と嗾ける。
《学ばぬ奴らだ》
呆れたように呟いたちゅうは、足の爪を開いて踊りかかって来る鶏蠱へ向け、
ペシッ、ペシッ、
面倒そうに前足でいくつもの小石を跳ね飛ばす。
狙いは鶏蠱の目。
飛ばした勢いと向かってきた勢いでぶつかったのだ。
避けられなかった鶏蠱の目は、潰れた。
クッカワァァッ
地面に落ちた鶏蠱は嘴を失っている所為か、おかしな呻きを上げて痛みに悶えている。
《我が主よ、止めを刺すぞ。こうなっては生かしておくほうが無慈悲だ》
ナアハの応えを待たずにちゅうは、 ガブリッ、 鶏蠱の喉を噛み切って、永遠に沈黙させた。
ドンッ!
ちゅうの中で何かが弾ける。
《これは? まさか……》
何かに気付いたようなちゅう。
同時にナアハも、
(? 何かしら?)
鳩尾の辺りがモワリとするのを感じた。
これは何だとナアハがちゅうに尋ねようとするも、そう出来なかったのは、
「ああああッ! いやあ! どうしてぇ?! どうして鼠なんかに負けるの? ありえない! ありえないわ!?」
狂ったように鶏蠱の死骸に駆け寄るキユ。
相棒を失い悲嘆してその遺骸に取り縋りでもするかと思いきや、
「何?! 何で?! 私の未来はどうなるのよ! この、バカドリィィッ!」
足蹴にし始めた。
「な……」
言葉を失うナアハ。
闘ってくれた蠱にどうしてそんな事ができるのか、とナアハが咎めようとしたその時、
ヒョウッ
どこからか飛んで来た矢が、
フツッ
キユの蟀谷を貫き、
ドサッ
声もなく倒れた。
即死であった。




