其廿
(この建物の奥に……これだけの空間があったのか)
外観からは想像のつかなかった構造に驚くセタが通されたのは裏口だった。
そこでは店主だという男が待っていた。
丁度、他の通路からやって来た者がその店主に短く、
「横も固められて駄目です」
と告げる。
「裏は?」
「今の所大丈夫ですが急がないと……」
「分かった」
店主と男の話がセタを抜きに進むが、言う事を言い終えた男はセタに黙礼をするとまたどこかへと消えてしまった。
理解が追いつかぬセタの腕をとった店主は、
「ここから出た道と表通りとは大回りする事なしに行き来出来ないようになっています」
そう教えながら小さく扉を開け、外を確認する。
「どういう事だ?」
まだ話が見えず困惑するセタに、
「あなたは尾行られていた。その刺繍の印の事をどこで話しましたか? いや、詳細を伺っている暇はない。その印の事を今は知らない方がいい。もし捕まったら調べるように金で頼まれただけで詳しくは知らぬ、と切り抜けなさい」
そう言いながら店主は、扉を大きく開け、
「あなたがまだ食事をしていると思って表で張っている者達は、まだしばらくはあなたが店から出て来ない事に疑問を持たないでしょう。一刻も早く都から出るのです。出てしまいさえすれば今のところ安全なはず。さあ」
そう一気にまくし立てた。
「わ、分かった……いやよく分からんが、ともかく礼を言う」
店主の表情からただならぬ事態である事を理解したセタは、ナアハのお包みを袋にしまい、しっかり体に括りつけると建物を出た。
裏通りなので人はいない。
セタは歩きながら考えを整理する。
(尾行られていただって?)
全く気づかなかった。
腕が立つといってもセタは密偵だとか剣客だとかではない。
警戒していなくては尾行に気づく事など出来なかったのは当然で、それは仕方ない。
問題は何故尾行られたか、だ。
店主の話からするとナアハのお包みの略印が原因らしいが、
(だとしたら、誰に?)
見せたのは長年付き合いのある取引相手ばかりだ。
もちろんその下で働く者を疑う事もできるが、皆、抜け目のない商人。
態々身元の怪しい者を雇って身の安全を脅かすような真似はしないはずだ。
身元を偽って潜入しているとも考えられなくはないが、そんな手間をかけて潜り込む意味があるだろうか?
絶対にないとは言い切れないが、その可能性は低い様に思える。
(となると……)
セタはそこに考えが及んでゾッとした。
(商組合か?)
あの管理者は産着の略印を、見たことがない、と言って一緒に探してくれた。
しかし、もしあの男が何らかの密命を帯び商組合に潜入している者で、印を一緒になって探してくれている振りをして、その実、セタたちの目に付かぬよう手がかりを隠していたのだとすると?
だとするとこの印は、そんな潜入者とかかわりがあるような、曰く付きの物だという事になる。
そうなるとナアハの親は、一体?
分からぬ事が多すぎる。
が、外部からそのような胡散臭い者が入り込んで運営に関わっているというだけで商組合の信用にも大きく傷がつく。
信用第一の商人にとっては看過できぬ事態だ。
……確かめねばなるまい。
すぐにでも都を出ろ、との店主の忠告だったが、セタは組合へ戻る事にした。
閉められた門の前の広場で騒然となる蠱術師達。
戈を突き付ける兵に急き立てられ、仕方なく進む。
まっすぐな道の両脇は銘木の林が広がっている。
確かに、兵の数は術師の倍ほどいるがこちらには蠱術があるのだ。
皆が協力すれば兵を退けて逃げ出せるだろう。
誰かが行動を起こせば皆それに続くはずと考え、懐に手を入れた術師がいたが、すぐ横の者が袖を掴んでやめさせた。
何故止める、と腕を払おうとすると、顎をしゃくって後方の何かを見るように促される。
示されたほうを見ると、閉じられた門と壁の上にずらりと弓兵が並んでいた。
これでは如何に蠱術があっても、あの門を開けられるとは思えない。
やはりおかしい。
この扱いはまるで敗戦国の捕虜のようではないか。
そんな不安とともに連れてこられたのは大きな庭だった。
誰かが、ここは噂の離宮では、と推測したのは正解だったようだ。
庭と言うには広すぎるこの空間には、噂のように酒で満たされてこそいなかったが、いくつかの池があった。
その中の一つは舟遊びができる程大きい。
それらはそれぞれが小川で結ばれていて、その小川には雅な反橋が何本か架けられていた。
大きな飾り岩や丘もあり、向こうには滝まで見える。
この庭は、そんなふうに小川や岩等で大きく三つくらいの区域に分けられているようだった。
周りを囲む林はその奥も見えず、どこまで広がっているのか想像もつかない。
これが人工物で、皇帝とその寵妃の為だけの施設だとは信じられぬ、とざわつく術師達を高楼から見下ろす二人の男女がいた。




