其拾捌
あくる日。
役所での複雑な手続きも全てセタがしてくれた。
地域の役場に届け出た蠱の登録情報が中央に上がってくるより先に、ナアハが都へと来てしまった。
なのでシマトが用意してくれた書簡だの何だのを持ってあちこちに行かなければならず、セタがいなければこの都でナアハは何も出来なかっただろう。
「ではナアハ、私はこれで行くが……」
セタは別れ際に、一片の木札を渡してくれた。
「なにか困った事があったら、商組合まで来てこの木札をみせるといい」
そうすれば誰かしらがセタを探して呼んでくれるという。
木札を見せるだけで会えるとは行商人組合がしっかりした組織なのか、セタがナアハの思うよりもずっと大人物なのか、それともその両方なのか。
ナアハには判断が付かなかったが、ともかくそうした木札を渡してもらえただけで心強い。
「それと、この産着だが……」
仕事の合間にも引き続きできるだけ調べてみるからセタが預かりたいという。
もちろん了承し、
「色々とありがとう、セタさん」
心からの礼を言うナアハに、
「うん、用事が済んだら迎えに来よう」
その時は、なんだかんだと理由を付けて抜け出し、西の街へ向かおう、という事にしてセタと別れた。
去っていくセタの後ろ姿を見るとやはり不安になるナアハを、役人が、
「こちらだ」
と案内するのでついてゆくと、その先は大きな宿屋だった。
昨日泊まった宿屋とは格が違うようで門構えからして驕奢である。
予定の人数が集まるまでここで待機していろ、との事だった。
「いつまで待てばいいの?」
ナアハがそう尋ねても、知らぬ、とそっけなく応えて役人は行ってしまった。
どうしたらいいのか分からず、ぼーっと立っているナアハに、
「あら、お嬢さん、招集に応じた蠱術師?」
声をかけてくる女がいる。
(あ、この人も……)
ナアハが直感的に感じた通り、
「私も蠱術師なのよ。キユって言うの。よろしくね」
「私、ナアハ。よろしくお願いします」
そこからはキユが宿屋の者に話を付けてくれて部屋も用意してもらえた。
集まった蠱術師は次の声がかかるまでここから出さえしなければ自由にしていてよく、宿にも食事にも費えはかからないという事だった。
こんな高級宿なのに、だ。
そんな高待遇に蠱術師達は気を良くしている。
このように遇されるということは新しい機関が立ち上がるという噂は本当で、それもかなり重要視されているのでは、と期待に胸を膨らますと同時にその中でなんとしても高い地位についてやる、とお互い牽制を始めているようだった。
あっちが食堂よ、甘いものでも食べない? 只なんだから、とキユに誘われ、空いている席を見つけ座ると、
「何だ、その小娘は?」
早速、探りを入れてくる者がいた。
向こうでは仲間らしき数人が、こちらをじっと窺っている。
昼から呑んでいるようだった。
よしなさい、とナアハをかばうキユを無視して男が、
「お前のようなチビが代表者として来たのか? どこの者だ?」
根掘り葉掘り訊いてくる。
チビと言われてムッとなるが、ここでナアハは、
「面倒にならんようにくれぐれも力は隠しておけ」
というバアバの忠告を思い出して、
「私もよく分からないのだけれど、誰も行きたがらないから身寄りのない私が選ばれたのよ」
と応えておく。
「はっ、正気か?! こんな機会をみすみす逃す奴らがいるとはな!」
聞いたか? と仲間のところへ戻っていった男へ、
「どうせ来たところで大した実力もなくって私達と張り合える自信もないのでしょうよ」
そんな里術師も結構いるのよね、そう聞こえよがしに笑ってみせる女。
それっきり彼らはナアハへの興味を失ったようで、酒と自分達の話に戻った。
「気にしなくていいわ、あんなのもいるのよ」
キユはナアハに肩を竦めてみせ、
「でも今の話は本当?」
と尋ねてくる。
「え?」
「あなた、今言ったでしょう? 誰も来たがらないって。あなたの所の人達はこの招集に応じたくないって言っていたの?」
「ああ。ええ、そうよ」
「でも蠱術の役所が新設されるって話で、そこで採用されれば上級役人になれるのよ?」
「そんな話だってみんな知らなかったから……。知っていたとしても邑から出たがらないだろうし」
それは嘘ではないのでそう応えておくナアハ。
それを聞いたキユは、あら、と言う顔になる。
「まあ、あなたのお里の方は無欲というか……、のんびりしてるのね」
私の所なんか、代表を選ぶのが大変だったんだから、と思い出して眉をひそめるキユ。
「そんなに大変だったの?」
「そうよ。半分殺し合い。でも私が勝ち残ったわ。絶対にこの都に住めるようになりたいの。あんな田舎に戻るのは嫌」
キユの力説に、そんなに都が、役人の身分がいいのかしら? とナアハは小首を傾げた。
その仕草に微笑むキユが、
「あなたの蠱は何?」
と尋ねる。
その目にほんの一瞬ではあるが暗い光が走るのを見たナアハだが、気づかぬふりをして、
「この子よ」
衿元からちゅうに少しだけ顔を出させる。
「……鼠? あなた、本当に押し付けられたのね」
ちゅうを見たキユは目を丸くしている。
ナアハの言う事に半信半疑だったようだが、その蠱が鼠なので信じる気になったようだ。
それほど鼠の蠱はありふれたもので、評価も低い。
「キユさんの蠱は?」
「え? ああ、部屋に置いてきているの。ちょっと騒がしいから」
「騒がしい?」
「ふふふ、雄鶏なのよ」
「へえぇ〜」
蠱は、同じ名で呼ばれていてもいくつかの違う物を指す場合がある。
例えば、"鶏蠱"。
鶏を蠱として育て上げるのもちろん鶏蠱だが、鶏の霊で造った毒を指しもする。
その毒は中ると鶏の悪霊に取り憑かれてしまう霊的な毒である。
なので薬師の調合する薬では治らない。
キユが騒がしいと言ったからには前者である筈だ。
そもそも後者の蠱は、造るのは勿論、所持するのも処罰の対象となる。
以前、宮中を舞台に起きた大掛かりな巫蠱事件でその類の蟲毒が使われた為だった。
その事件の直後は蠱術師であるだけで取り締まられたが、薬師・医師・祈祷師・産婆などの役割を担う蠱術師がいないと不便なので、今では呪いの為の蠱毒を使ったり売ったりしない限り特に咎められる事はなくなっている。
ただ、人の浅ましさと言おうか、禁じられていても呪詛がなくなりはせず、法の及ばぬ所で続けられていた。
蠱術師登録制度反対の声はそういった背景もあって無視されたのだった。
話を戻すと、鶏はその呪い用の蠱毒を造るのによく用いられたので敬遠されがちで今では珍しくなっている。
そうでなくとも扱いが難しい。
鶏蠱は気が荒い上に、言い方は悪いが馬鹿で命令をきかない事が多いためだ。
命令をきかないというより、理解できない、といったほうが正しいかもしれない。
だからキユも部屋に置いてきているのだろう。
部屋でならおとなしいのかというと、おとなしい。
袋をかぶせて暗闇にすると夜だと思って寝てしまうのだ。
そういった事をナアハはバアバから教わってはいたが、知らぬふりをする。
一見親切そうなキユだが、この人には手の内を明かさぬほうがよいとナアハの直感が告げていた。
その後も色々訊かれたが、ナアハは何も分からぬふりをしてやり過ごす。
キユはナアハを見た目通りの田舎の子で、本当に押し付けられただけのお上りさんである、と結論づけたようだった。
キユの警戒が解けたと感じたナアハが、今度は質問してみる。
「ねえ、キユさん、お国は蠱術師を集めてその後どうするつもりなのかしら?」
「分からないけれど、明闘をさせたり、解蠱の腕を競わせたりして優秀な蠱術師を見つけるんじゃない?」
「じゃあ、自信がなければ辞退して帰ってもお咎めはないかしら?」
「……どうかしら? 多分お咎めなんてないとは思うけれど……。ナアハちゃん、辞退するつもりなの?」
「ええ、お役所づとめがしたいわけじゃないから」
「まあ……」
ナアハの応えにやはり信じられないと言う顔をするが、同時に、この子は間違いなく見るべきところのない田舎術師の卵なのだと安心している。
競争相手は少ないに越した事はないのだ。
この宿屋での滞在は二日に及び、その間、蠱術師どうしの喧嘩が数件あった以外何事もなく過ぎた。
そしてその日が、来た。