其拾柒
目指す都は邑から北東に位置する。
山を下ってしまえばその後は街道だ。
整備された平坦な道が続く。
左右には都の食糧庫を支える畑が広がり、歩くには気持ちがよい。
道中、見る物、食べる物、みな珍しいナアハにとって楽しいのは当たり前だがセタも、なるほど、こんな事に驚くのかと見慣れたはずの物をナアハの目を通して新鮮な気持ちで見直せて楽しかった。
ちゅうともすっかり仲良くなり、ちゅうはセタに強請れば美味しい物がもらえる事を覚えてしまった。
そんなこんなで、ナアハの足に合わせたのもあり七日という長い旅ではあったがあっという間に時は過ぎ、セタの先導のおかげで何事もなく都へとたどり着けた。
「うわあ、おっきいわね」
ナアハが声を上げて驚くのは都を囲む壁。
その大門で手続きを終え中に入ると、生まれて初めて見る都の規模に圧倒されるナアハ。
「今日はお祭り?」
あまりの人の多さにそう尋ねるナアハに、セタはクスリと笑い、
「そうかぁ、初めてだとそう見えるかもしれないな。ナアハ、お祭りではないのだよ。これが都では普通の光景なんだ」
と教える。
へえ〜、人族ってこの世にこんなにいたのね〜、とナアハは変なところに感心していつまでもキョロキョロと辺りを見回していた。
同道した里術師達とはそれぞれの用事のため別々になる。
だがセタはバアバとの約束通り、ナアハの人探しの手伝いをしてくれた。
「先ずは組合に行ってみよう」
セタが所属する行商人組合では取引先の印を記録してある。
かなりの量になるが特徴ごとに分類されているのでそれほど時間もかからずに見つけられるだろうと踏んでいたセタだったが、それは甘かった。
先ずは管理者に尋ねる。
見た事のない印だと言いう事で、一緒に探してくれたが、
「見つからないな」
おそらくここで保管されている竹簡の記録の中にはない、という結論に達した。
しかし、
「う〜ん、もしかすると、略印かもしれないぞ」
ナアハのお包みにされた刺繍をしげしげと眺める管理者が、そんな可能性を示した。
セタも、
「略印か……有り得るな」
と同意する。
正式な商取引で用いられる事はなく、所持品だとかに識別のために用いる印だ。
お包みの刺繍なのだから略印であってもおかしくはない。
ただそうなると、
「ここで探すのは無理だな。正式なものではないから略印の記録はあまり揃っていない」
確かにここは商組合なので、商売にあまり関係のない略印を記録しておく意味はない。
「偶然知っている者を見つけるでもしない限り難しいかもしれんな。その子のお包みなんだろ? って事は……」
「十年ほど前の物だ」
「なら尚更だな。今でも使われてりゃあいいが、そんな一昔前の物ならもう使われていないかもしれないし、探すのは一苦労だろうよ」
という事だった。
それともう一つの可能性。
「尚書台にならあるいは手がかりがあるかもしれんが……」
管理者はそう言うが、
「我々はあそこには……」
「ああ、入れないだろうな」
政府機関の一つに尚書台という貴族に関する情報を管理する部署がある。
だが、当然ながらそこの資料は一般人が閲覧できるような物ではなく、出来ぬ事を当てにしても仕方ない。
「役に立てずに済まなかったな」
申し訳なさそうにする管理者に、
「いや、無理を言った。他を当たってみるよ。ありがとう」
「ありがとうございました」
セタとナアハは、ともかく礼を言って組合会館を出る。
既に日が暮れかかっていた。
セタは他を当ると言ったが、この都には他に当てもないので、
「今日はもう遅い。宿をとって夕食にしよう」
セタには都での定宿があった。
利用者のほとんどが行商人の、一人部屋がいくつもある格安の宿だった。
安くとも商人相手の宿なので格別安全なのだとセタは言う。
そこで二部屋用意してもらい部屋の確認を済ませると荷物を置いてすぐに食堂に下りる。
宿屋に付いている食堂、正確には食堂に宿屋が付いているのだが、ともかくそこで遅い夕食をとりながら話そうという事になった。
「私がいつもこの宿に泊まるのはね、安全だという他に、食事が美味いからないんだよ」
セタはナアハに聞かせる体で店の者にそんな愛想を言い、
「胡辣湯は夜でも頼めるんだろ?」
「ああ、もちろんだとも」
「そりゃよかった、じゃあもらおう。それと……」
ナアハは品書きを見てもさっぱりだったので全てセタに任せると、彼は次々と注文し、最後に自分用に酒も頼んだ。
料理はすぐに運ばれてきて、
「冷めないうちに食べよう。話は腹がくちくなってからだ」
セタが早速、小碗に取り分けた汁物をナアハに渡し自分の分もよそう。
ナアハは、言われた通り食事を楽しむ事にした。
「美味しい!」
渡された汁物を啜ってその複雑な味に驚く。
生姜、胡椒、八角、茴香……いくつ香辛料が入っているのか分からない。
それらがお互いを高めあい豊かに調和している。
その香りが具の牛のくず肉を包み込んで、高級料理にも負けぬ味わいを生み出していた。
疲れた体に染み渡る。
「美味いだろ? さあ、どんどん食べるんだ。ここのは何を食っても美味いけれど安いから遠慮はいらないよ」
さっきセタが店の者へ振りまいたのは愛想だけでなく本心でもあるとナアハは知った。
《我が主よ、我にも食させるのだ》
懐の中のちゅうが我慢できぬと情のたっぷりこもった念を飛ばしてくるが、まさか食堂で鼠を出すわけにもいかない。
《駄目よ。見つかったら箒で叩き潰されるわよ》
《そんな物を食らう我ではない。箒の一撃より美味いものを食わせろ》
《……なに上手いこと言ってるの。駄目よ。少しとっておいてあげるから今はこれで我慢なさい》
そう言ってナアハはちゅうが抱えられる大きさに千切った花巻によく煮込まれていて簡単にほぐれた肉の切れ端を挟み、周りで見ている者がいないのを確認してから懐のちゅうに渡す。
《むう……、きっとだぞ。全て食べてしまってはならぬからな。 ……これは……何だこれは? 美味いぞ!》
そんなやり取りもありつつ、腹も満ちて、ナアハは甘味、セタは酒に移り、やっとこれからの話となった。
「さっき調べた組合はね、この都でもまあまあ大きい方の組織なんだ」
酒を啜るセタは卓の一点を見つめている。
話しながら考えをまとめている様にナアハには見えた。
「あそこで見つからないとなると、他で見つかるとは思えない。後は尚書台の資料室なんだろうけれど残念ながら私にはそこに入れてもらえるような伝手はないし、まさか忍び込むわけにもいかないし……」
考え倦ねているセタに、けろっとした調子で、
「いいの。ありがとう。見つからなかったって事で納得するわ」
ナアハがそう言う。
「うん? それでいいのかい?」
「ええ。もう十年も経っていて一緒に住みたいとか思っている訳じゃないから。母親の事を報せたかっただけなの」
「そうか。 ……まあ、ナアハがそう言うのなら、私は構わないが……、だがもう一つ可能性があるんだよ?」
「え?」
「ここへ来た道とは逆の、西へずっと進むと……そうだな、ナアハの家からだと十日はかかって都よりも遠いのだけれどね、そちらにも大きな街があるんだ。そこはこの都よりも歴史の古い街でね、我々の組織も本拠地は向こうなんだよ。そこならもう少し資料も置いてあるし、印に詳しい人もいる」
「へえ〜、そうなんだ」
「私はこの都で仕事があってね、行くならそれが終わってからになるが、どうする?」
ここでの仕事は少なくとも三、四日かかるらしいが、その後ならその西の街へ連れて行ってくれるという。
「え? いいの?」
そんなに面倒はかけられない、と言うナアハに、
「次の商談がそちらの方面であるんでね、気にしなくていい。ナアハにその気があるのならついでに連れて行ってあげよう」
「ありがとう。でも……」
蠱術師の招集の件はどうなるのか?
「そうだった。邑を代表だからせめて顔だけでも出さねば招集を無視した事になるか……」
そうなると邑が処罰を受けてしまうかもしれない。
「それもよくないな。では明日、役所に行ってみよう」
という事になった。