其拾陸
数日後、ナアハが都へと発つ日が来た。
無論、ナアハがいくら蠱術を使えるといってもまだ十だ。
都までたった一人で行けるわけはない。
バアバの造る薬を定期的に買い取りに来る行商人のセタを待ち、都に用事のある邑の者も加えて数人での旅となる。
街道も何かと物騒なので、よほど腕に自身があり旅慣れた者でないと一人での移動などしない。
だがセタが付き添ってくれるのならば安心だ。
彼はナアハがここに引き取られる前からバアバとの取引があり、ずっと一人での行商をしていて今日まで無事に過ごしている。
街道の安全に関する知識だけでなく、武術の腕も確からしい。
その証左であるかのように、腰にはいつも使い込まれてはいるがよく手入れされた業物を佩いていた。
だがセタがそんな人物であるとは、そのおっとりとした外見から想像し難い。
赤子の頃から人見知りがちなナアハもセタには直ぐに懐いたほどで、行商人らしからぬ気品のような何かがあった。
初対面で彼に不快感を抱く者はまずいないだろう。
そのセタにナアハの都行きについて頼む際、こんな会話になった。
「お前さんが薬を取りに来る頃合いで丁度よかったわえ」
「へえぇ、そうですかぁ、ナアハが都へねぇ。大きくなったものです」
セタはナアハの都行きの理由を聞くと同行を快く承諾し、更には向こうに着いてからの人探しも手伝うと約束してくれた。
それはもちろん彼の人の良さと、ナアハを小さな頃から知っているから、というだけでない。
バアバの作る薬は質が良いとの評判で、仕入れ値にかなり上乗せした売値を付けてもあっという間に売り切れるのだ。
バアバも造れる薬の量がそれほど多くはないという事もあってセタにしか卸していないし、セタも仕入先を秘密にしている。
セタからすると自分の儲けを減らすような馬鹿な真似をしたくないのもあるが、仕入先を洩らさぬのはバアバの静かな暮らしを守るために必要であるとも心得ている。
実際、大金と引き換えに情報を求めてくる者もいたが、薬の質の良さに目を付けたそいつらが、バアバを監禁し脅してでも薬を造らせて儲けようという腹積もりであると見抜いたセタはその申し入れをきっぱりと突っぱねている。
そのせいで命を狙われた事もあった。
だが、セタはそのような目にあったと態々バアバに報告したりしない。
そういった心がけを感じ取れるからバアバは彼を気に入っているのだろう。
ともかく、そんな理由もあってセタはバアバとの信頼関係を更に太いものにできる機会があるのなら決して逃したくはないのだ。
バアバもそこは心得ていて、こういうときのために彼を儲けさせてやっている。
持ちつ持たれつという訳だった。
行商人はその生業の性質上、情報通であり、その情報も商品であるのだが、儲けさせてもらっているお返しとしてセタは、尋ねれば金をとらずに色々と教えてくれる。
彼が言うには、今回の蠱術師招集令は大々的にお触れが出されており、その目的は蠱術に関する新しい機関の立ち上げだという事だった。
「新しい機関? なんじゃそれは?」
「詳しい事は手前にも分かりませんがね、噂では蠱術の戦利用を研究する為のものだとか」
確かに戦争を始める予兆があると里術師達も話していた。
「そんな事に蠱術を使おうっちゅう腹積もりかえ……。蠱術はそうしたものではないに、嘆かわしい事じゃ」
どうせ戦なんぞに役には立たんぞ、と吐き捨てるように言うバアバ。
「何故ですか? 強い蠱を沢山作れれば兵器になったり、毒だって恐ろしい武器になったりするではありませんか?」
セタの質問に、
「訓練された兵を相手にできるほどの強力な蠱を造れる術者なんぞ、数えるほどしかおらんしな、そういった術者を集めて造蠱させたとしても軍隊を相手にできる程の数なんぞ、到底揃えられんじゃろが」
そう聞くと確かに現実的ではない気がする。
「だいいち蠱がいくら強かろうと、術者を殺してしまえばその蠱も力を失うのじゃ。蠱が力を持ったまま主なしの蠱、所謂、野道になるんはな、蠱述師が自然に死んだときか……めったにはないが、蠱が主である術者を殺すかだけじゃ。だから戦に蠱が出てくりゃ、その術者を殺しちまえば、簡単に無力化できるぞい」
とのバアバの答えに、なるほど、いいことを聞いたという顔のセタ。
この話をどこかで金に換えるつもりのようだがナアハは、どんなふうにすればこの話がお金になるのかしら、と不思議そうにセタを見る。
「では、毒はどうですか? 蠱毒を作るのもお手の物でしょう?」
「毒なんぞ、どうやって戦に使う?」
「鏃に塗る、とか?」
「そんな事せんでも矢が中りゃあ怪我するか死ぬか、どっちにしろ戦を続けられなくなるじゃろ。中らにゃどうにもならんのは毒を塗った矢とて同じじゃ。ならば、一々毒を塗る暇があったらその分多く飛ばした方がええ。それにな、毒矢の扱いは難しいぞ。うっかり触れば自分が毒にやられるじゃろが」
「なるほど……。では飲水に混ぜるのは?」
「どうやって?」
「川の上流から流す……とか?」
「魚が死ぬで、直ぐにバレるぞ」
「井戸は?」
「敵の井戸に毒を入れられるほど近くまで忍び込める者がおるならな、そんな面倒をせんでも、敵の大将の寝首でも掻いたほうが早いじゃろが」
「確かに……。では、風上から撒くとか?」
「軍隊にか? どれだけの量の毒が必要だと思っとるんじゃ。風に散ってしまえば効果は薄まるんじゃぞ。そもそも大人数をどうにかできるほどの毒を撒いてみい。その土地は当分使い物にならん。そんな土地、戦までして奪ったところで何になる?」
「むぅぅ……。御婆様は、軍師になれますね」
「バカ言うな。こんな事、子供でも分かるわ」
くだらん、とバアバは決めつけた。
が、そんな事、子供には分からないわよ、と子供であるナアハは思った。
ともかく、蠱術を戦に利用したところで失敗するだけじゃろ、とバアバはもう興味を失ったのか、話をまとめようとするが、
「それでも結構な数の蠱術師が集まりつつあるようですよ」
セタは話を続けた。
「まあ、お触れじゃからな。そりゃ集まるじゃろ」
「いや、それだけではなくってですね……」
一旗揚げようと考えている蠱術師が割といるらしい。
「どういうことじゃ?」
「今までになかった新しい省なわけじゃないですか。そこでならば既得権益者がいないはずだから、高い地位に食い込みやすいってことですよ」
もう已に国の重要な役職は埋まっていて、なかなか空く事がない。
滅多に巡ってこない出世の、そして、特に社会的な地位の低い蠱術師にとってはもう二度とないであろう機会なのだという。
「……なんじゃ、それは? 蠱術師が政治権力を得てどうする? 下らぬ」
呆れるバアバだが、理解できないわけではないので、
「ナアハや、何か面倒なことに巻き込まれそうになったら、さっさと逃げるのじゃぞ。そもそも面倒事にあわんように、くれぐれも力は隠しておけ」
とナアハに忠告した。
「うん。そうする」
バアバはいざナアハの出立という段になって心配になってきたが、それを顔に出したりはしない。
セタが、都に到着してナアハの落ち着く先を見つけるまでちゃんと面倒をみると請け負ってくれたので、ともかくそれを信じ無理やり自分を安心させてナアハを送り出す事にした。
出立の朝、
「ではな」
「うん。家族が見つかってお母さんの事を伝えられたらすぐ帰ってくるわ」
「ああ。見つからんでも危なくなったら帰ってこい」
「うん」
こうしてナアハはちゅうを懐に都を目指した。