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蠱術師ナアハと鼠蠱の"ちゅう"  作者: 岩佐茂一郎
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其拾伍

《あなたが私を食べるのじゃないわ。逆よ》


寝たまま動きもしない娘の体から粘液の塊が噴出して、正面からイナハにぶつかった。


《イナハ!》


粘液は完全にイナハを包み込んで、娘の体内へと還っていく。


バアバは半狂乱の(てい)で叫んだ。


「ああ! 駄目じゃ! 止めろ、やめてくれッ! 連れてゆくなぁッ!」


何かないか? イナハを救える何かは? バアバが必死に道具袋をかき回す。


塩と同じような効果のあるもの、明礬(みょうばん)はどうだ? 豆の粉、芭蕉の灰、銀の針……効果の有りそうな物を狂ったように投げつけた。


だが、どれもイナハを救えるほどの力はなく、結局イナハを覆った粘液塊は娘の体の中へと消えてしまった。


何という事だ、と愕然とするバアバは、違和感を覚える。


イナハの気が消えていない。


「な、何をしたのじゃ? 喰ったのではないのか?」


バアバの独り言のような無意識の呟きに、


《へえ、気を追えるなんて、やっぱり優秀ね。そうよ。食べたわけじゃないわ》


蠱から応えがあった。


《食べたのじゃぁなくって、取り込んだの。この子の力を得るためにね》


力を得るために取り込む? どういう事じゃ? とバアバが戸惑っていると、聞き覚えのある声が頭に響いた。


《主様……》


《イナハか?!》


娘の蠱が割り込む。


《あら、まだ意識があるの? 本当によい狐蠱(ここ)だこと》


ここで驚いた事に、娘の目が開き、そしてゆっくりと体を起こした。


バアバは咒にかけられたかのように動けない。


いや、実際咒がかかっているのかもしれない。


動けぬバアバに向かって、娘が口を開いた。


念話ではなく、


「あなたの狐蠱の力を得たおかげで、この体で(・・・・)動けるようになったわ。お礼を言わなくてはね」


肉声でそう言うと、ニヤリと娘が笑った。


そして、


「あなたは生かしておいてあげるわ。だって、あなたを殺せば死ぬってこのイナハ(・・・)が言ってきかないのよ」


娘が胸の辺りを軽く撫でた。


「……イナハが?  あっ、ま、真名を……」


バアバはイナハの真名がばれている事にハッと気付く。


さっきまでの念話を聞かれてばれたのだろうか?


そんなバアバの疑問を見透かしたかのように娘が、


「私がこの狐蠱の真名を知っているのはね、当然なのよ。だってわたし達、一体になったのですもの」


娘が両腕を広げると、部屋中に広がっていた粘液が消えていく。


「どうして蠱術師なんかを庇うのかしらね? 私には理解できないわ。私なら直ぐに殺すのに。でもいいの。私は私を造った蠱術師を、殺せるようになったのですから」


機嫌良さそうに物騒な事を言う娘。


「主を……殺す気なのか?」


「当然でしょう? 私達(・・)を操ろうだなんて、鬱陶(うっとう)しいわ」


目を開いたので、その幼さが余計に分かる。


まだ十代前半であろう。


だが幼くも美しい顔に浮かんでいるのは、それに全くそぐわぬ、残酷で妖艶な笑みだった。


その笑みにバアバは背筋を凍らせる。


大人であってもこの様に微笑む者をバアバは見た事がなかった。


立ち上がった娘は、床にへたり込んでいるバアバの額に指を立て、


「イナハは本当に主人想いね。あなたに少しでも危害を加えたら、死ぬってずっと言い張っているわ。まだ融合仕切れていないから、今イナハに死なれては困るの。だから、殺さない。イナハに感謝して、寝なさい」


娘の指先から邪気が体に送り込まれ、それが自分の気を乱してゆくのを感じるバアバ。


その邪気と共に知った気も流れ込んできた。


《主様……、ごめんなさい、イナハ、主様を、守れなかった》


《イナハか?!》


《主様、聞いて。イナハね、今まで、とってもとぉっても楽しかったの。主様の蠱になれて、イナハ、幸せ。ありがとう。 さようなら……》


イナハの声に聞き入って邪気への抵抗を忘れたバアバは、ここで気を失った。


床に倒れたバアバの頬を伝う涙を見て、娘がすっと顔から笑みを消し、


「蠱と蠱術師が心を通わせるなんて事、本当にあるのね。美しいけれど……無意味」


そう言い捨てて、扉まで歩くと、人であったときの微笑みを顔に貼り付け直し、扉を開けてお付きの武者を呼んだ……。




二人の家が見えてきた頃、バアバの長い話は終わった。


「イナハって……」


「そうじゃよ。儂の狐蠱の真名じゃ。もう取り込まれてしもうて、……生きてはおらんじゃろうからな、明かしても構わんじゃろ。ともかくなぁ、イナハを失のうて、儂はもう大きな蠱を造らぬと決めたんじゃよ。あんな辛い目にはもう耐えられんでな」


儂も年じゃで、と自嘲気味に笑うバアバにかける言葉をナアハは見つけられなかった。


「じゃあ、やっぱり……ナアハ、都に上がるのは……」


やめにする、と言いかけたナアハに、


「それとこれとは話が別じゃ。言うたじゃろ? 儂はお前にずっと申し訳ないと思っておったんじゃ。お前が都で血縁者を見つけてくれりゃ、儂の気も晴れると言うもんじゃよ」


「そっか……」


「それにな、親族を見つけた後は、帰ってくるんじゃろ? ここに」


二人でもう十年も過ごした家を見上げ、ニッと笑ったバアバに、


「うん。ここがナアハの家だから」


そう微笑み返したナアハは、扉を開けた。

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