其拾壹
ナアハは顔を真っ青にしている。
もちろんバアバの子でないことは端から承知していたし、孫だとか親戚の子だとかというわけでもない事も薄々感づいていた。
が、その答えを心の準備もなしに突き付けられればそうなるのも仕方あるまい。
「ナアハや、そういうわけでの、お前は捨てられたのではないのじゃよ。ましてや跡継ぎにしようと儂がお前を拐かしたんでもねえぞ」
勿論ナアハは、そんな事をバアバがした等と考えた事はない。
最後の言葉はそうした噂をしている口さがない里術師たちに向けたバアバの当てこすりだ。
バアバは、居心地悪そうに首を竦める者らをギロッと一瞥してから、ナアハに、
「背中をざくりと切られたお前の母親はの、虫の息でお前をこの儂に託したのじゃ。本来なら死んでいてもおかしくない傷と出血であったがの、お前を思う気持ちだけで生きていたんじゃろうな」
ここまで聞いたナアハの目からは涙が溢れ出た。
自分は親にいらぬとされた捨て子なのではないかという恐怖から、今まで親の事は考えないようにしていた。
だが、そうではなかったのだ。
母が命懸けで自分を守ってくれたという事実と、自分を守るために母は死ぬ事になってしまったのではないのかという罪悪感。
それらがいっぺんに襲ってきて心の制御が出来ない。
バアバは、そしてナアハの秘密を知っていた里の者達は、ただ黙ってナアハを見守った。
ナアハの鼠蠱が彼女の肩まで登って短い前足で懸命にナアハの涙を拭っているのには驚いたが、同時にせめてもの救いのようにも感じられた。
「ナアハや、ついでじゃから全て言ってしまうがな、儂は、ずっとお前に謝らにゃならんと思っておったんじゃ」
というのはこういう事だった。
あれだけ探してもナアハの母の身元につながる物はなかったのだが、ナアハのお包みだけは例外で、そこには刺繍が施されていた。
ナアハの名と生月、そして何かの模様。
「その模様はの、おそらくは家印であると思うのじゃ。本来なら直ぐに都へと上がり、それを手がかりにお前の親族を探すべきだったのじゃろうが……」
母がこのような殺され方をしているのだから身内を探しに行くのは危険だ、というシマトの言葉を言い訳に、自分で育てることにしてしまった。
「本当はな、ナアハや、儂は、お前を引き取る事によって、儂の淋しさを紛らわそうとしていたのじゃよ。恨んでくれ。直ぐに探していれば、あるいは父親なりが見つかってお前は今頃、幸せにしていたかもしれんのじゃが……」
「そ、そんな事!」
ナアハはバアバの言葉を遮って声を張り上げた。
「私、今、幸せよ。バアバに育ててもらえて幸せ!」
そう言ってナアハは顔を覆って更に泣いた。
その頭の上では鼠蠱が、最早自分にはどうにもできぬ、と打ちひしがれた様にしている。
ふぅーっと長い溜め息の後、
「……そうか……」
小さく呟いたバアバは、憑き物が落ちたような心持ちでそっと己の涙を拭った。
ナアハのすすりなきだけが響く部屋の静寂を、一人の男が破る。
「……シマトどん、貴族女が殺されたなんちゅう、そげな大事をだな、何故、今の今まで隠しとった? 十年も前の話だろうがな、お前さんら一部の者だけで始末したっちゅう事だろ? 事と次第によっちゃあ俺らが危険な目に遭ってたんでねえか?」
「何が言いたい?」
「本来なら邑の皆に諮って決めるべき事でねえか? 御婆様を庇って邑全体が大変な目にあったらどうする? そもそもなんで御婆様がそこまで特別扱いを受けとるんだ?」
「おめえは、今の話の直ぐ後に、よくそんな事を言えるな……」
呆れるシマトだが、男は悪びれもせずに、
「それとこれとは話が別だ。確かにナアハは気の毒だども、それで儂らがとばっちり喰っていい、って話にはならんべ」
「おめえなあ……」
シマトは深くため息を吐き、
「御婆様、全部言っちまうからな。止めてくれるな。慎みも時と場合による」
眉根を寄せるバアバだが、何も返事がないのを消極的承諾と解したシマトは話を始めた。
「御婆様はな、我等よりもずっと前からこの地に住み着いておる古い血筋なのだ。我等がこの地の主のような顔をして暮らしておるが、そうではないのだぞ。我等は許してもろうてここに邑を構えているのだ」
その事は邑の主だった者しか知らされていない。
それが条件だからだ。
条件とは何の事かと言うと、バアバの先祖とこの邑を作った者との約束事だった。
それは、
自分たちを大げさに扱わずに不必要に干渉せぬ事。
これにより邑の殆どの者はバアバが何者だかを知らず、敵対してはならぬと強く言われているだけだった。
その他の約束はただ二つ。
自分たちの国への租税は村で肩代わりする事
薬草の森を荒らさぬ事
それだけの事でこの地に移り住めるのなら、と移住者達は喜んでその条件を呑んだ。
そんな約束事を交わさずとも力ずくで土地を奪ってしまえばよいではないか、という考えは微塵もない。
それはバアバの血族が代々強力な蠱術師だったからだ。
事を構えれば全滅させられるのは自分らだと分かっていた。
それだけ実力に差があり、それは今でも同じである事は先ほどの明闘で思い知らされた。
「それにな、税の肩代わりというが、今となっちゃ税を払ってもらっているのは我らの方なのだぞ」
先程の話に出たナアハの母親から渡された革袋も一財産だったが、その前にも一つ、話があった。
「長い話になるがな、できるだけかいつまんで話そう」
シマトも物の序でだ、全て話してしまおう、という気になったらしい。
ナアハが気になっていたバアバが邑の恩人であるというその理由が、シマトの口から語られた。