第四話
母娘から離れ、俺は一人、廃ビルの屋上で眼下に広がる街並みを見下ろしていた。
無軌道に吹く風に煽られ顔にかかった長い髪を無造作にかき上げる。そして背中に流れる冷や汗を誤魔化すようにゴリゴリと頭を掻く。
「今この世界から途方も無いものが失われた気がするでござる」
『……貴女のその推測は概ね正しい』
呆れた調子の声が脳内で響く。
『ですがこの程度で済んで運が良かった。そう思って欲しいものですね』
先程の一人、という言葉には語弊があったかも知れない。
実は俺の頭の中には別人格を有する同居人が居るのだ。
「はいはい、ありがとうでござるよー」
君は技能担当で、こっちは馬力担当だろー? とは言わない。
俺は若干不貞腐れたようにその場に座り込み胡座をかく。
そして宙に出現させた赤い糸で輪っかを作り、その中を覗く。
すると愛しの妹に見守られながら楽しそうに遊ぶ天使な姪っ子の様子がバッチリ見えた。
「ふおおおおおおおおおおお!」
『……デバガメですか。気持ち悪いですね』
「ほっとけでござる」
人聞きの悪い。これは権能を利用した崇高なる事象の観測である。
美しい母娘愛! まさに神が与えたもう至高で奇跡で目から汗が止まらない!
この世界で生きていた時は、望遠鏡でも無ければ数キロ離れた場所を覗き見るなんて真似は出来ない普通の人間だった。
そう、俺は以前この世界で普通のサラリーマンとして生きていた享年28歳のナイスガイだ。
彼女? ふっ、仕事が恋人だったよ。
それがまぁ休日ブラブラしてたら包丁を持ったイカレ野郎に刺されて殺された。
そこで人生終わったと思いきや、記憶を保ったまま別の世界へと転生したのだ。
超絶美少女の姿で。いや、本当色々あったんだよ……
変な言い方だが俺はある意味真っ当に死んだ。
そしてその魂は輪廻の輪へと還る筈だった。
だがその途中、神を名乗る存在から「条件をのめば、もう一度家族に会える」という交渉を持ちかけられたのだ。
そしてその条件は『異世界で神の巫女として人々を助け導く』といったとても胡散臭くてフワッとした感じのものだった。
本当に胡散臭いとは思ったのだ。
だが突然過ぎる家族との別れのショックで正常に判断できなかったのもあり、よく話を聞かずに俺はその話に飛びついてしまった。
巫女と言えば女だよな。うん。
巫女の力を授かった俺は体が女に変化した。さよなら……愚息よ!!(血涙)
そして現世への帰還の鍵となる権能を授かった。
その授かった権能の名は、
『運命の赤い糸』
これは言葉から想像出来るようなロマンティクなものではなく神の、と言うより邪神の血管で出来た血肉の呪いそのもの。縁で繋がる人間に祝福を与える力だ。
ちなみに前世からの癖であるござる口調は能力を高める為の供物の一つなのだ。
我が神、全てを漆黒に彩るまさしく闇そのものが『美少女巫女ちゃんがござる口調とかまじウケるんですけどwww』といったニュアンスの思念を送ってくるのだ。
いや、飽くまでニュアンスであって実際そう言われた訳ではないが、ござる口調で喋っていると喜ぶ気配が伝わってくるし力も高まるのだ。
些か納得いかない部分ではあるが、そもそも口調を直す気がなかったので気にするだけ無駄である。
まぁ、そんなこんなで異世界での布教活動や救済活動しながらこの物騒な能力を強化しまくった。
そして満を辞して日本へと戻ってこれたのだ。
「それで同居人殿、代償の影響は大丈夫なんでござるか?」
愛しの妹と天使な姪っ子の御姿を心のファインダーへ焼き付ける作業の傍ら、頭の中の同居人に問いかける。
『無事、代償発動の軌道修正に成功しました。消滅寸前の中性子星を一つ飲み込む程度で済みましたよ』
ん?
「へー、ソレハヨカッタデゴザルネ?」
転生して異世界人となった俺がこの現代で行動を起こすと、何かしらの影響やら代償が必要になる様なのだ。
今回の場合、前世で強い執着のあった妹と相互に視認したことで星一つ犠牲にしたらしい。
俺がこの世界で以前のように過ごしたとしたら一体どうなってしまうのだろう?
何らかしら代償が発生する事に関しては説明無しでも気付いてはいたし、以前より頭の同居人から忠告を受けていた。
だがここまでヤバいものとは思わなかった。
まぁどんな代償があろうと一度戻ることは決定していたんだけどね。
何があっても同居人が何とかしてくれると思っていたし、どうしても二人に会いたかったっていうのもある。
そしてこれから言うことが一番の理由であり問題だった。
俺の持つ権能『運命の赤い糸』大先生が少々問題を起こしてくれたのである。
以前異世界でちょっとピンチになった時、この能力を極限にまで一気に高めて解放したことによって前世の縁を辿って能力が暴走してしまったのだ。
荒れ狂う祝福の向かう先は妹の所だと俺は直感的に理解した。
このままでは拙いと思った俺は咄嗟に願った『誰よりも強く幸せになって欲しい』と。
だがコントロール不能になった祝福は全く意味の異なるものとして付与されてしまったのだ。
その祝福の名は『極滅の大惨事』非常に不吉な響きのする祝福であったのだ。
これが発動すれば必ず妹を不幸にする、そのことだけは直感的に理解できた。
だが幸いにも送り込んだ祝福の発動には期間的猶予があった。
そう言った事情があったからこそ必死こいてこの世界へ舞い戻ってきたのである。
そして先程、妹へ付与されてしまった祝福が発動する前に解除することに成功した。
元々自身の権能から派生した力であることもあり、ほぼ代償無く散らすことが出来たのだ。
勿論、同居人大明神様の卓越した権能コントロールのお陰である。
では何故この度星が一つ消滅してしまったのか?
それは先程近くで二人を見ようとして俺がうっかり自身の隠蔽を解いてしまった時のことだ。
妹と目が合った瞬間、バッチリ代償を発動させてしまったのだった。
本当はもっとエゲツない事態になっていたのだろう。
それを誰にも迷惑のかからない消滅寸前の星一つで済んだのだ、はっきり言って頭が上がらない。
『だったら普段からもう少し慎重に行動を……』
「あー、あー、あー、聞こえぬでござる聞こえぬでござる」
久しぶりの里帰りなのだ。説教じみた小言はノーサンキューである。
でもまぁ嬉しい誤算もあった。
妹への縁を経由して姪っ子にも祝福が付与されていたのだ。
祝福の名は『静寂なる全き聖』といって、こちらは正しく祝福だったのだ。
母親の方へ流れた祝福が強すぎて気付くのが遅れてしまった。
この祝福の影響下では心が安まるとか幸せご訪れるといった効果があるようだ。
もしかするとこの祝福の影響で母親に宿った最悪の祝福の暴走を押さえてくれていのだろうか? そう思うと背筋が冷たくなる。
何か一つでも歯車が噛み合わなければ、今頃どうなっていたかわからない。
「『静寂なる全き聖』は残しておいても大丈夫でござるよな?」
『問題ありませんよ』
姪っ子の祝福は残しておくことになった。
「二人とも元気そうでほんとに良かったでござる……」
もっと長生きして一緒にいたかった気持ちは勿論ある。
だがひとまず現世での心残りは消化出来た、か……?
いやいやいや重要な要件が残ってるじゃないか。
「クックック……お楽しみはこれからでござったなぁ?」
俺は邪悪に歪む己の顔を自覚しつつ、空間に溶け込む様にその場を後にしたのだった。
ブックマーク、評価、有難うございます。
四話完結の予定でしたが、あと一話お付き合い頂けると嬉しいですm(_ _)m