【星宿(ほしやどり)の子シリーズ】 番外編 弍 リゲル幼少期
龍王国 王弟であり、現在王位継承権第1位で17歳のリゲル。彼は流星が降る日に生まれた。
これは彼がまだ子供の頃の話。
流星が降る夜に生まれた子供のうち、手のひらに星形の痣を持つ子が生まれることがあり、彼らは人外な力である異能を操る。
その異能で人々を豊かに導く、星宿の子と呼ばれている。
リゲルが5つの頃、長兄であり王帝でもあるシリウスがリゲルに弓を習わせようと、小さな弓矢をリゲルに贈与した。
この時の王位継承権は、次兄のカイルが第1位、長姉のミリアが第2位、次姉のサマンサが第3位、末姉のララが第4位、リゲルは第5位だった。
王位継承権第5位の彼が王帝から下賜されるなど、破格の待遇であり、リゲル自身も認識していた。
リゲルは恐る恐る王帝の前で跪き、弓矢を受け取る。
シリウスは満足気にリゲルに微笑みかけ「庭で試してみないか? 余が手ほどきを見せよう」と言って、玉座を離れ、リゲルに近づく。
リゲルは自身の左手にある痣を誰にも見せてはいけない、と母リアンから言われていたので、弓の手ほどき、と聞いて狼狽えた。
「あの、王帝陛下、私はまだ不慣れなので、練習してから手ほどきを………」
「うん? だが、最初が肝心だ。方向違いに練習したとて、上達はしないであろう?」
陛下がリゲルの右手を握り、庭へと促す。
リゲルは小さいながら頭を回らせていた。
(このまま、弓を練習したら、確実に痣に気づかれてしまう。かと言って、ここで嫌だと言って手を振り払ったら、不敬罪になる。どうすれば………)
リゲルの考えがまとまらないうちに、庭に辿り着いてしまい、ご満悦な陛下とは対照的にリゲルの表情は曇っている。
しかし、周囲の者は陛下から、直々に教えを請うため緊張しているのだろう、としか思っていない。
リゲルは不自然に小指の痣を隠しながら、庭の隅にある的にむけて弓矢を構える。
「ああ、リゲルよ、持ち方が違うよ」
陛下はそう言ってリゲルの後ろに周り、持ち方を矯正する。
その時、リゲルが必死に隠していた左手中指の星型の痣が露わらになった。
リゲルはまずいと思って、痣を隠そうと陛下の腕を振り払う。
「あ」
陛下がこぼした声に、リゲルはしまった、と思った時には遅く、弓矢はリゲルの手からこぼれ落ち、妙に甲高い落下音が地面から響いた。
落下音を境に先刻までの和やかな雰囲気から、突如、張り詰めた雰囲気へと変わった。
皆が王帝陛下の一挙手一投足を伺う。
陛下が憤慨するのか、それとも、弟を気遣うのかを。
「リゲルすまなかった。お前の手を強く捻ってしまったようだ。痛くはないか?」
陛下の一言で、和やかな雰囲気へとへと戻った。
「陛下、リゲル殿下はまだお小さい。無理は禁物ですぞ」
「宰相、そうだな。リゲル、無理をさせてすまなかった」
宰相の言葉に乗るように、王帝陛下はリゲルを気遣う言葉をかけたあと、リゲルの頭を撫でる。
リゲルはその行為にドキドキしたり、高揚感にも似た気持ちになった。
「いえ、私こそ、申し訳ございません」
リゲルは瑠璃色の瞳で陛下を見上げると、陛下の琥珀色の瞳が目尻を緩ませ「うむ」と言って、微笑む。
「陛下、それではこの後、鹿狩りにでも行きましょう」
「そうだな」
臣下からの提案に陛下は同意し、庭を後にした。
陛下の護衛や取り巻きは陛下の後に続き、庭を後にすると、残されたリゲルは地面に落ちた弓矢を拾いあげようとかがみこむ。
リゲルが弓矢に触れた時、手元に陰りが見えたので、思わず顔を上げる。
そこには先王の第四子であり、リゲルの姉であり、現在の王位継承権は第三位のララ皇女がいた。
この時のララは12歳で、焦茶色の腰まである髪を結い上げ、そこには紅玉でほどこされた牡丹の簪が付けられていた。
「姉上さま」
リゲルの言葉にララは頭にきたのか、眉を寄せて目尻を吊り上げ、リゲルの手を勢いよく踏み潰す。
「いた」
リゲルが痛みから、顔を顰め思わず声が漏れ出た。
「お前など、弟と思ったことなどないわ」
リゲルはせめて下賜された弓矢を守ろうと拳をぎゅっと握りしめる。
「陛下に恥をかかせるなど、あってはならない事だ」
ララは更に力を入れてリゲルの手を踏み潰す。鈍い音がなった時、リゲルはうめき声を上げ、対照的ララは高笑いをする。
「骨が折れたのね。もう二度と弓矢を掴むことはできぬわ」
リゲルは涙目になりながらも、痛みに耐えて目を瞑っていると、突然、リゲルの手を踏みつけていた者が消えた。
痛みから解放された、と思った矢先、ぐしゃり、と音がしたので、音がした方を見るとララが何者かに吹き飛ばされており、地面に横たえていた。
ララのつけていた簪は彼女の髪から離れて地面に転がり、彼女の髪は乱れていた。
「余が下賜した物を踏みつけるお前の方が無礼であろう」
王帝陛下がそこにいた。
「陛下、まさかいらっしゃるとは」
ララの言葉を無視した後、王帝はワザと簪を踏みつける。
「ああ、それは先王が私に下さったもの」
ララは真っ青になって叫んだが、王帝の返事はあっさりとしていた。
「死人にもらった物か。嘆くことはない。余はお前と同じことをしたまでだ」
リゲルは痛みに耐えながらも起き上がり、踏みつけられていない左手で弓矢拾おうとすると、先に陛下が拾い上げる。
「申し訳ございま」
リゲルの言葉を最後まで聞く前に、王帝はリゲルを抱き上げる。
「ついでだ。医務室まで運ぶ」
「そのようなことは! それに鹿狩りに送れてしまいます」
「鹿は宰相が追いかければ良い」
リゲルの言葉に陛下はしれっと答えた。
医務室に着くとリゲルは骨が折れていると言われ、包帯で右手を固定されると幾分かマシになった。
だが、しばらくは痛みがひどいと思うからと、痛み止めをだされ、言われるがまま服用すると、緊張がほぐれてきたからか、リゲルはそのまま眠りに落ちた。
リゲルがうつらうつらと眠りに落ちていく中で、陛下と医術者との会話を耳にしていた。
「リゲルの右手は骨が折れていると言ったが、治るのか?」
「骨と骨をくっつけるには技術が入ります。リゲル様の症状では、完治を望めないと診ております」
(もう、指、使えないんだ)
「お前たちでは治せないということだな」
陛下は医術者に尋ねた声がした。心なしか、陛下の声色が震えている。
「はい、左様でございます」
「悪いが、リアンにそのことを伝えてきてくれ。私はリゲルの側にいる。二人だけにしてくれ」
陛下の言葉の後、扉が閉まる音がした。それから先は覚えていない。
王帝陛下はリゲルが眠りにつくのを見計らい、リゲルの包帯で固定している手を握る。
「直ぐに直してあげるよ」
リゲルが目を覚ますと、医務室ではなく、自宅の寝台にいた。
母リアンが横にいて、リゲルの手には包帯が巻かれていた。
心なしか痛みがまるでない。
リゲルが包帯を取ろうとするとリアンはリゲルを止める。
「ダメダメ。今、骨を固定しているの。ふた月は動かさないで」
痛くないのに? あの痛み止めはそんなに効くのだろうか。
「わかりました」
薬の効果に半信半疑に思いながら、リゲルは母に返事をして、瞼を閉じる。
(あぁ、医務室の話が本当なら、この指は開くことがないのに、母様は藁をもすがる思いなのだな。申し訳ない)
ふた月後、リゲルの包帯が外れた。
ゆっくりと指を動かすと、特に問題なく動いた。
とは言え暫くは安静にするよう医務室の医術者から言われた。
ふた月も経つと季節も変わり始め、緑豊かな庭は仄かに冷気を纏い始めていた。夕暮れにはまだ早いが、徐々に夜が近づいてきているのを感じる。
本宮にある医務室から自分の住まう離宮に戻る際、侍女たちが火がつかないと騒いでいた。
リゲルは侍女に「私がやります」と言って微笑む。
「え、あ、殿下……」
「得意ですから」
戸惑う侍女から火打ち石を強引に貰い受けると、そのまま、竈門へと向かう。
リゲルは火打ち石を適当に数回鳴らした後、ポケットにしまい、代わりに竈門に向けて包帯を外した指に力を込める。
竈門からブワッと火がつき、近くにいた侍女があまりの早さに驚いて目を丸くしていると、リゲルは微笑む。
「だから言ったでしょう? 得意なんです」
リゲルはポケットから火打ち石を取り出すと、侍女の手元に石を収める。
(僕の星宿の力はこんなことにしか使えないけれど、それでもいつか皆の助けになるようにしたい)
リゲルが本宮の台所から出てくるのを見た王帝は、なぜ台所から出てくるのだ、と疑問に思い、その小さな背中を見ていた。
リゲルの少し後に、同じように台所から出てきた火打ち石を持つ侍女を呼び止める。
「なぜ、リゲルは台所にいたのだ?」
王帝に呼び止められ、侍女はすぐさまひざまずき、両手を額の高さに上げて顔を隠して、一礼をする。
「陛下、リゲル殿下は火おこしが得意とおっしゃって、台所の火おこしをしてくださいました」
「左様か。邪魔をさせてすまなかった」
「そのようなことはございません。いつもは1時間はかかりますが、殿下はものの数秒で火おこしをはしてくださり、大変ありがたい限りです」
侍女の言葉に、王帝は愉快そうにくすくすと笑った。
「そうか……」
(リゲルの力は、そうか)
王帝は2年前の離宮のボヤ騒ぎを思い出した。リアンが火を消し忘れたと言っていたが、本当はそういうことか。
「もし、またあの子が来たら、頼むよ」
陛下は朗らかに笑って、廊下を歩き出した。